偽りの保守政党。惨殺される日本
故に女系天皇という、父親が皇族でないがためにその子供も当然皇族でない単なる一般市民の天皇の誕生によって皇室を滅ぼそうとすることも、構造改革という名目で国益を守ってきた制度を破壊することも何ら異常でない所か、むしろそれこそが彼らの本分であり、そのために彼らはこの世に存在しているという考えることすら出来るだろう。故に党内の特に影響力を持つ閣僚達をはじめとした上層部においてはそうした言論が多く主張され、皇室や国体を守ろうとしたり国力や防衛力の強化への言論は隅へと追いやられていることとて当然である。アメリカの資本家へと跪き、頭を垂れなければ党内ですら認めてもらえないという異常な集団が自民党であり、郵政民営化法案に反対した平沼赳夫元議員のように外国資本から国益を守るという主張をすれば党から除名され、彼らを落選させるために選挙区に対抗馬まで送られることになる。歴代の総裁の全員を始めとして異国の権力者へと媚びを売り続ける彼らのほぼ全員は単なる売国奴である。そして、彼らと連立を組み、関係性の深い公明党や維新の会も同様である。
「自民党はなぜ皇室を守ろうとしないのか?」「なぜ北朝鮮拉致問題を解決しようとしないのか?」「なぜ不景気の原因であるデフレーションを脱却しないのか?」「なぜ経済成長をさせて国民の暮らしを良くしようとしないのか?」「なぜ北方領土や竹島を取り戻そうとしないのか?」「なぜ尖閣諸島を守ろうとしないのか?」「なぜ国民の雇用を守ろうとしないのか?」「なぜ新型コロナウイルスから国民の健康を守ろうとしないのか?」「なぜコロナ禍での失業や倒産から国民の暮らしを守ろうとしないのか?」
そうした悪政の全てに対する答えは「そんなことをした所で、海外の投資家や大企業は少しも儲からないから」であり「国民の皆様のため」と偽装した悪政によって国内経済と国民の暮らしを追い込み破壊して、国益を切り売りすればするほどに自分たちの飼い主である彼らが儲かって褒めてもらえ、国内における自民党の立場や党内での議員の立場が約束されるからなのだ。国内が抱える問題の解決には全く注力せず、経済問題を悪化させることになる構造改革や規制緩和だけは強く推進していることがそれを裏付けており、内閣総理大臣の執務室には株価パネルが置かれているという関係者の証言も同様だろう。GDPでも経済成長率でも国民所得額でも物価上昇率でもなく、あえて株価のパネルが置かれているということは、今の日本の政治がそもそも投資家達を儲けさせることにしか関心がないということの証左と考えることが自然である。
冷戦構造崩壊からの自民党の政策の根本は海外の企業や資本家達を儲けさせることであり、その存在理由とは「海外を中心とした大企業や投資家達を儲けさせるため」であった。
自民党が政策を行うかどうかの判断の基準は「国民の生活を豊かにできるか」でも「国体を強化できるか」でも「国を残してくれた先人の意志を汲むことになるか」でも「未来に豊かな国を残せるか」でもなく、唯一「海外の企業や投資家達が儲かるかどうか」だけであり、ただ単に海外の投資家が儲かる政策ならば積極的に行い、そうでないならば行わないというだけの極めて醜悪な基準に過ぎない。それを基準とした上で特に八十年代以降の与党政治を見れば、行われた政策は驚くほどに一貫し、そのほぼ全てにおいて海外の企業や投資家達の利益が拡大するものだけが強く推進されている。
国内の政治を見るに当たっての基準として、それが投資家達へ利益を偏って与え、優遇するものが行われて続けている内は国内政治の腐敗は全く改められておらず、日本が米国の植民地であるという状況も全く抜け出せていないと考えることが妥当である。何せ、特に八十年代以降の日本の政治は、只ひたすらに彼らに利益を与えるためだけに動いてきたのだ。
緊縮財政や国民軽視の問題の根幹として、それが行われるのは財務省が他の省庁だけでなくマスコミや学会に対して影響力が強すぎるためだと言う人がいる。そして更に詳しい人はそれを改めるには、財政健全化という文言の書かれた財務省設置法第一章第三条や、公債の発行を基本的に禁止する財政法四条を改正又は廃止するべきだと主張している。
財務省が中心となって緊縮財政を推し進めていることは確かだろうし、財務省設置法や財政法の改正も必要だろう。しかし、それと同時に財政法というものは、単なる方便であるとも考えられる。
一部の省庁や政治家と言った小さな事柄などは関係なく、もっと大きな「日本の政治」という基本的な枠組みそのものが、海外の投資家や企業が儲けるように外国からの強い力でのみ動いており、財務省は海外の投資家達の要望を叶える緊縮財政維持のための徴税や歳入歳出の管理という都合の良い役割を偶然持っていたから重宝されているというだけの単なる下僕や先兵であって、彼らが命令に従って行動するための方便や許可証のようなものが単に財政法や設置法というだけに過ぎないだろう。
つまり、日本が持つ資本や技術を海外の投資家や企業に売り渡すという政治の方針だけが何よりも先にあり、それに基づいて財務省は力を強くし、閣僚を中心とした政治家達は行動しているのだ。
故に日本の国会で行われている上辺だけの議論になど本来は僅かな意味すら無く、そこで何が話し合われようとも初めに決まっていた方針通りに外国を設けさせる方向にしか向かわないように日本の政治というものは強く固定されている。
議論をして政策を決定するのが自民党の長所や本質であると自ら言う自民党の議員達がいるが、それで行われた十分な議論を通して、長期的な政策が既定路線を外れたことが今までにたったの一度でもあったのだろうか。もしそれがあったというならば、なぜ貧しい人ほど苦しめる消費税率も社会保険料も上げ続ける割に、雇用を作り出す公共投資額は減らして資本家や財界の言う通りに法人税や所得税を下げ続け、現実には労働者の所得が激減する中で株主配当や役員報酬だけは増えて株価は上がり続けるなどという異常な状況が一向に改められないのだろうか。民営化にしても、参入障壁の撤廃にしても、TPPやFTAも、消費増税も公共投資の削減も、その全てが国民を苦しめ、国力を衰退させる方向へのみ動いている。起きたことと言えば、精々が実行される時期を少し先へ延ばしたというだけの僅かな違いに過ぎない。
民主主義国にとっての議論は、国家を豊かにする政策を決定する上で本来非常に重要なものだが、自民党を含む日本の国会にとっての議論など、その全てが、日本は独立国であると国民を騙すための単なる安い茶番にしか見えない。
悪政が激化しているという現実を踏まえれば、自民党の議員達が誇るそれらには全くと言って良いほどに内実が伴っておらず、無価値なものであると判断するのが妥当だろう。
作品名:偽りの保守政党。惨殺される日本 作家名:ナナシ