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都合のいい記憶

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 その時一緒にいたのが彼女なのかどうか分からないが、鎌倉は自分の右側に誰かがいたという感覚を容認できなかった。左側に誰も感じないのだから、二人きりだったことに間違いはない。それなのに、この感覚は何なのだろう? 今まで感じたことのない感覚を、虚空に求めたとでもいうのだろうか。
 そんなことはありえない。そう思うと鎌倉は別の発想を思い浮かべた。
「今俺が感じているこの感覚は果たして俺の感じていた感覚なのだろうか?」
 というものである。
 つまり、隣に感じたその人こそが自分であり、今感じている思いは自分以外の同行者の感覚ということになる。
 それは、自分の掌を目の前で重ねて、左右の掌の温度の違いを各々の手で感じているというような感覚に似ている。
 つまり、片方では自分の方が熱いので相手の冷たさを感じていて、もう片方では自分の方が冷たいので、相手の熱さを感じている。どちらも自分の手なのだから、脳に伝わった二つの相入れない感覚は混乱をきたすに決まっている。
 両方の正反対の感覚を掌だという同じではあるが、左右で違った感触にどのように対応すればいいのか頭では分かっている気がする。
「交互に感じればいいんだ」
 とは思うが、その時、
「頭で思っていることと、現実とでは違う」
 ということを、身をもって思い知らされた気がした。
 ちょうどそれと同じ感覚を、隣に自分という幻を感じながら、不思議な感覚に委ねなければいけない自分の正体を感じていた。
「自分がその相手になっているのだから、一緒に来た相手を認識することなどできるはずはない」
 という思いに駆られた。
 誰かと一緒に来たということを覚えているが、誰ときたのかを思い出せないという感覚はこういうことなのかも知れない。そこには罪悪感や自己嫌悪が含まれているかも知れないが、少なくとも自分を納得させることにはなるだろう。
 自分がなぜ右側に人を寄せ付けないのかというと、これは他の人が聞けばあまりにも愚かで、滑稽な話である。まるで都市伝説、いや、それ以下のことに、聞いた瞬間、失笑と言葉を失うかも知れない。もし聞いたのが自分であっても、一瞬自分のことを棚に上げて笑い出すかも知れない。
 それほど愚かで情けないことなのだが、まず前提として自分は右利きである。そして右利きであるがゆえに、女性と一緒にいて腕を組んでもらうとすれば彼女は必ず左側になる。利き腕である右手が自由になるからだ。さらにベッドの中ではどうであろう。腕枕をする際も左の腕を枕にするのではないだろうか。
 ただ、本当の理由はそれだけではなかった。鎌倉はいつの頃からか、たぶん十歳に満たない頃に遭遇した交通事故に由来していると思っている。友達と公園でボール遊びをしていて、それを受けそこない。ボールは横の道路に……。ボールに全神経が行っていたので、車は思わず道路に飛び出してしまったというわけだ。
「どうやら、頭も打っていますね。でもレントゲンやCTなどによる精密検査でも異常は見られませんでしたので大丈夫のようです。一か月ほど念のために通院はしてください」
 と親に話しているのを聞いた。
 どうやら頭から突っ込むという無謀なことをやってのけたようだ。
「死ななかっただけでも、本当ならよかったと思わなければいけないくらいだそうよ」
 と母親が父親に話しているのを聞いたくらいで、その場はその時、かなり騒然となったことであろう。
 そんな状況であったことなどまったく知らなかった。それでも医者の言った一か月後までに精神的な異常や、それを予想させる異変も起きなかった。両親はホッとしたことであろう。
 ただ一つ気になるのは、首が少しずつ曲がってきているということであった。自分から見ると右側に傾いている感じである。ただ、これが精神的なことに影響することはなかった。
 一応両親も気になって、整形外科に通って、コルセット治療を施してみたが、どうにも癖になってしまったようで、功を奏することはなかった。首が右に若干傾いているということで、その頃から、自分の右側に誰かがいるということを苦手とするようになった。別に首が曲がらず見えないわけではない。首が傾いていることで、普通に生活する分には何ら問題はなかった。
 しかし、スポーツをする際には大いに障害となり、左右で同じ動きをしない競技(つまりほとんどの競技に対してであるが)に関してはなかなかうまく行かない。したがってスポーツクラブへの入部は断念することになった。
 それでも今のところ、それが災いすることがなかったのは幸いであり、スポーツというものがどのようなものかというのを実感できなかったというだけのことである。
 それにしても癖というのは厄介なもので、無理してでも首を元に戻そうとすると、コルセットなどをしていても、次第に身体が拒否反応を示すようになり、そのため、次第に身体がこわってきてしまい、頭痛などの弊害を引き起こし、矯正どころではなくなってしまう。スポーツがうまく行かないというのも、無意識な拒否反応からの賜物であろうが、これもすべて癖になってしまったことが起因している。それが分かっていてどうしようもないのは精神的には痛々しいことであった。
 そういう事情があるので、先ほど記したような、
「愚かで情けない」
 というのは、いくら自分に対してであっても、少し気の毒ではないだろうか。
 せっかく記させてもらったが、この際なので撤回させてもらってよろしいか。読者諸君が許してくれるのであればであるが……。
 それはさておき、最初から違和感があったのだから、右側に誰かがいるとすればそれは自分でしかないと分かったのである。
 では左側はということになると、どうも女性だという意識が結構強い。そもそも鎌倉という男は、こういう綺麗な風景の場所は元から好きであった。絵を見るのも写真を見るのも好きで、よくそこに佇んでいる自分を想像し、悦に入っていたものだった。
 ただ、悦に入るのだから、隣は女性でなければいけない。実際に誰かと綺麗な景色を見たということがなかったわけではないので、その時は決まって女性だったのは言うまでもなく、それは妄想の世界と現実世界の狭間がほとんどない空間であった。だから、妄想であっても現実であっても、自分の左側は女性でしかないはずだった。
 では一体どんな女性なのか?
 残念なことに、今の時点で頭の中に浮かんでくる相手は皆無だったのだ。
 だが、それが女であるという各省のようなものは消えなかった。男だとすれば、納得のいかないことが多いからである。何に納得が行かないのかと言われると、言葉で説明するのは難しいが、心理的な矛盾という漠然とした表現を使うしかなかった。
 鎌倉は、そのまま少しだけ歩いてみた。歩くことによって、もう一人(この場合は自分なのだが)がどのように反応するのか見たかった。
 すると、もう一人の自分はそこから動こうとはしなかった。女(だと思う)だけが前に進んでいって、それを自分が後ろから眺めるという構図になっている。見つめられた女の後ろ姿が目を瞑ると瞼の裏に浮かんできそうで、その姿が思ったよりもがたいが大きな気がするのは、気のせいであろうか。
作品名:都合のいい記憶 作家名:森本晃次