小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

都合のいい記憶

INDEX|6ページ/28ページ|

次のページ前のページ
 

 その見慣れない乗客は駅を降りてから温泉宿の送迎バスの方に向かうことはなかった。この人もキョロキョロと初めての場所に戸惑っているわけではなかったので、目的地が違うのは分かった。
 では、この駅で降りてアタッシュケースなどを持った洋装の男性が行くところと言えば、もう小暮村のホテル以外には考えられないだろう。
 確かに、この日珍しく、最近ではあまり見かけることのなかったホテルの送迎が駅にいるのを目ざとい人には気づかれていた。
 ホテルの宿泊客は少なくはないが、送迎が駅に来ることは珍しかった。ほとんどの人が車での来客だったので、送迎は駅で待機する必要がなかったのだ。
 男はホテル送迎のバスに乗り込んだ。もちろん、他に乗客はおらず、
「すみません。私は鎌倉光明(みつっき)というものです。お聞きになっておられるとは思いますが」
 と言って、送迎バスに乗り込んだ。
「はい、伺っております。鎌倉様ですね。長旅お疲れ様でした。どうぞ、おかばんはこちらに
 と言って、促してくれた場所にカバンを置いた。
 そもそも他に客もいないので、促されることもなく、適当に置けばよかったのだが、せっかく勧めてきれたのだから、その場所に置いた。どうやら鎌倉というこの不気味な男は律義な性格のようだ。
 バスは、自動扉を閉めて、そのまま出発した。温泉旅館への送迎バスもすでに発車したようで、最初の場所にはもうすでにいなかった。
 温泉宿に向かうバスも途中までは同じルートのはずである。なぜなら道としては少し遠回りになるが、実際には背中合わせの場所で、直線距離にすれば、すぐそばにあるのだ。車がほとんどいないので、信号にでも引っかかれば、追いつくことはさほど難しいことではなかろう。
 果たして、温泉宿行きのバスにおいついたホテル送迎バスだったが、向こうは三四人の客が乗っていて、結構会話が弾んでいるようだ。その中に一人、見たことのある人が乗っていた。それは編集者の人で、彼がなぜ車でこなかったのかは分からないが、おそらくであるが、
「車があまり好きではない作家が来ているのではないか」
 という疑問が鎌倉の中にあった。
 そしてその車が苦手な作家というとすぐに頭に浮かんだのが古舘晋作だった。
 古舘晋作は、幼少期に交通事故に遭い、さらに同じ時期に大きな事故を目撃して、そのシーンがトラウマとして残ったことで有名な人だった。
 彼の作風は皮肉なことにその頃から確立されたと言ってもいい。作風には一種独特なところがあり、車社会に対しての徹底した嫌悪が隠れていた。いつも嫌悪系の作品というわけではないが、
「作品を見ただけで、古舘晋作の作品だということはすぐに分かる」
 と言われるほど、彼の作品には特徴と、人にはマネのできない独特の文章作法があったのだ。
 どこか、昭和の匂いを感じさせ、古臭さを感じるその文章作法に、昔からの固定ファンが多いのも事実だった。
 一つ不思議なことがあったのだが、
「確か、あの編集者の人、さっきの電車に乗ってたっけ?」
 というものであった。
 途中までは確かに人も多かったが、ある駅を過ぎると人が極端に減って、二両編成に数人しか乗っていなかったはずだ。しかも、この駅は終着駅なので、一番先頭に乗った自分は改札口を超えてから、送迎バスを探している時、反対側に止まっている温泉旅館行きのバスに乗る人を目で追っていたはずなので、見逃すはずはないと思った。さらに、バスが進行中という見えにくい状況で確認できる相手を、バスに乗り込むところを見なかったというのも合点がいかない。
 別に視線を逸らしたわけでもない。ほんの二三秒くらいは視線を切ったかも知れないがそれだけで見逃したなど考えられない。
「まるでキツネにつままれたみたいだな」
 と感じた。
 その不気味な感覚は身震いをさせるものであったが、普段ならすぐに別のことを考えるであろう。しかし、その日見た光景は何か末恐ろしさすら感じ、嫌な予感を挑発しているようで気持ち悪さがしばらく残っていた。
 ただ、編集者が電車に乗っていなかったかも知れないということは、すぐに意識から外れて、記憶の方に移動したようだった。
 そういえば、こんな経験は今度が初めてではなかった。
 確かあれは、中学の修学旅行の時だったろうか。修学旅行シーズンだということもあり、観光地にはいろいろな学校からの修学旅行のバスが駐車場に止まっていた。偶然、自分の学校の近隣の中学校のバスが止まっていたことがあり、小学校時代の友達にバッタリ会ったという偶然が重なったことがあった。
「やあ、こんなところで会うなんて、腐れ縁じゃないか?」
 などと、お互いに皮肉を言って苦笑いをしたものだったが、時間的にすれ違いだったので、ゆっくり話ができるわけではなかった。
 これも偶然と言えば偶然だが、進学した学校が同じで、入学早々話になった時、
「あの修学旅行の時、偶然だったとはいえ、よく再会できたよな。しかも今度は高校で再会なんて、あの時に言ったように、本当に腐れ縁だ」
 と言って声を掛けたが、彼はキョトンとして、笑ってもいなかった。あの時に苦笑いを見た時も、
――何か変だ――
 と思ったが、あの時はあまり意識しなかった。
 しかし、今回の彼のキョトンとした表情は明らかにおかしなもので、
「どうしたんだい?」
 と聞くと、我に返ったかのように、
「それ、人違いじゃないか?」
 と訳の分からないことをいう。
「何言ってるんだよ。俺が腐れ縁だって言ったのを忘れたのかい? それとも失礼なことを言ってしまったので、怒ってるのかな?」
 というと、
「いやいや、そんなことで怒る俺じゃない。それくらいお前も分かっているだろう。俺が勘違いだと言っているのは、もっと根本的なところなんだ」
 話がどうも噛み合っていない。
「えっ? どういうことだ?」
「だって、俺中学の修学旅行では体調を崩して行っていないんだ」
 というではないか。
「じゃあ、あの時、清水寺で会ったのは?」
 と聞くと、
「うちの中学は、修学旅行で京都になんか行っていないぞ。山陽道の岡山、広島、山口のコースだったんだ」
 というではないか。
 京都と山陽道ではかなり離れている。これはどういうことなのか? まるで夢でも見ていたのかも知れない。言われてみれば、すでに記憶の奥に封印された彼を見たという思い出は、今思い出そうとしても、白いベールに包まれたようだった。実際に時間もそれなりに経っているので当然と言えば当然だが、本当にキツネにつままれたような話であった。
 もし、これがもっとインパクトのある記憶だったら、彼に対してもう少し食い下がっただろうが、彼の表情があまりにも無表情で、ウソを言っているようには思えなかった。
――無表情な人間が、これほどウソを言っていないと感じるなんて、思ったこともなかった――
 と感じた。
 ただ、小学校の頃、いつもグループの中心にいるようなやつだったはずなのに、高校に入学してくると、まるで別人のようだった。
「何を考えているのか分からない」
 と、彼を始めて知ったクラスメイトは、そう感じていた。
作品名:都合のいい記憶 作家名:森本晃次