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都合のいい記憶

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 すべてが計算されているかのように思えるこの場所であったが、それも自然が育む天然の計算がなせる業だった。だからこそ、富豪の人たちがこの場所を別荘地に選んだのだし、かつての伯爵、子爵などの華族様がただの世襲による待遇だけでのし上がったわけではないということが分かるようだ。このあたりに別荘が最初にできたのは明治時代というから、当時の元勲と呼ばれる人たちが密かに開拓したのだろう。
 戦争でもこのあたりは被害に遭うことはなかった。しかも、自給自足にも適している場所だったので、家族制度が崩壊し、没落した華族が多い中で、隠居してこのあたりに疎開のような形で住んでいた人は、戦後の混乱も何とか乗り切り、没落を免れて、生き残ったごく少ない人たちだった。
 この場所が極秘にされたのも、その影響があった。このことが占領軍や政府に知れてしまうと、このあたりの行政は立ち行かなくなるだろう。行政、それからこのあたりの住民そして華族の連中と、ここを隠すことがすべての人間のためになったのである。
 その頃の名残がどうしても残っていることで、現代でもここを知る人は少ないのだ。昔からこのあたりに住んでいる人は知っているかも知れないが、時代の流れとともに、若い連中は、高校卒業とともに、都会に出ていく人がほとんどなので、年配の人しかここの存在を知らなかった。
 小暮村には、都会で暮らしていて、時期にだけこの別荘を使う人もいれば、ずっとここに永住して、ここに根を生やしている人もいる。そんな人たちには自治体からお金が出ていた。これは使途不明金ではなく、ちゃんと国にも申請しているもので、いかに成立させているのか分からないが、非合法では決してなかった。
 戦後の政治に対して彼らの影響力があったというウワサが一時期あったが、あくまでウワサとして根拠のないこととして語り継がれてきたが、それが本当のことだったのではないかと言える数少ない証拠の一つと言えよう。
 ここに永住している人たちがいるから、たまにしか来ない人たちの別荘が綺麗に保たれている。つまりここで彼らの生業は、
「この村の管理、運営」
 ということになるであろうか。
 中にはホテルの従業員もいたり、自給自足のための農業や牧畜などを生業にしている人もいる。
 この街の治安は、ほぼ安全の中に成り立っていると言ってもいいだろう。地図上は街の一部となっているため、行政区画としての「小暮村」というものは存在しない。それだけにこのエリアに交番などの警察組織を置くわけにはいかず、非公式で警察組織の下部組織と言ってもいい、昔で言えば、
「村の青年団」
 と呼ばれる人たちが非常勤で存在した。
 それは警察に限らず消防においても同じである。消防車などの特殊車両は、このエリアに別荘を持っている人たちがお金を出し合って、街が買い入れる消防車を回してもらっていたりした。
 ここは一種の出張所のような形で運営されている。交番や消防署などは、届け出が県に必要だったりするが、出張所ではそれぞれの市町村の権限で作ることができる。現在の法律ではそのようになっているので、それを利用して、村は村で独自に治安の防衛に従事していた。
 ある程度自由ではあるが、国家権力が入り込めない特殊な場所だけに、治安の維持には神経を使う。なるべく他の地域から人の流入を抑えているのもそのためだった。
 どちらかというと煩わしさが表に出ていて、治安を含めた運営の維持には神経を使うことで、
「この村を廃止しよう」
 という声が上がったのも事実だった。
 だが、前町長がどうしてもここの存在意義を唱えて譲らなかったことで、何度も空転を繰り返しながら、結局この場所の存続が決まった。町議会からもこの村の正式な運営が委託され、このエリアに永住している人に、町議会所属になるか、それともあくまでも富豪の会社から雇われた形にするかの選択自由は与えられたが、その選択は半々だった。
 企業に属している方が給料の面などが優遇される反面、町議会であれば、公務員ではなくとも、公務員に限りなく近い権限を与えられるので、安定という意味で、町議会を選ぶ人もいた。
 だが、公務員に限りなく近いということは、それだけ厳格で自由を縛られるという制約もあったりする。この選択も難しいものだった。
 ただやることはどちらでも一緒で、公務の人と、会社から雇われた会社員とが見分けがつかず、やっていることは同じだというややこしい体制になっていた。
 そのうちに、会社が直接雇用する形ではなく、その間に特殊法人を作って、そこに運営を委託するという案が示され、最近やっと、そのややこしさから脱却できたのである。
 そのおかげで、さらに秘密性が強化され、下手をすれば、町議会に所属している人でも、この村のことを知らないという人もいる事態に陥った。町議会からも、
「忘れられた存在」
 になりつつあるこの場所は、この場所に別荘を持つ人以外からも忘れられるという状況になってきた。
 それでも、別荘を売りに出すような人はおらず、ホテルを利用する人も後を絶えないので、十分にその存在価値はあった。
 忘れ去られるくらいで済んでいれば、それだけでもマシなのかも知れない。そういう言い出は世知辛い俗世からいよいよ切り離された、本当の意味でのリゾートとしてこの村の本来の役目が確立してきたということなのだろう。
 この場所に立ち入る人、皆が安心してゆっくりできる場所がやっとできたと言えるのではないだろうか。
 そんな神秘的で閉鎖的な村を、秘密主義で覆い隠すことで、成り立っているというのは、どこか矛盾しているようだが、そんな村で何が起こっても他の世界は何も関係なく過ぎて行くのだった。
 その村に一人の男が現れたのは、今から一週間ほど前のことだった。
 その男はローカル線に揺られて、どこかの都会から来たようだが、どこから来たのかは身なりを見る限りでは分からなかった。彼は大きなアタッシュケースによれよれのワイシャツを着て、紳士というには程遠い感じで、それほど晴れ上がった日々でもないのにサングラスを掛け、それは日よけのためではなく、あくまでも人相が分からないようにするためではないかと思わせる分、まわりに対して気持ち悪さを漂わせていた。
 と言っても、実際に電車の中に人はほとんどおらず、特に途中の駅からは一気に人が減ってしまったことで、二両連結の列車に数人しか乗っていないという感じであった。
 昼間の時間なので、こんなものかとは思ったが、別にこの先、住宅街や会社の工場などがあるわけではないので、朝夕のいわゆるラッシュの時間だからと言って、人がたくさんいるとは思えなかった。
 彼が降りた駅は終着駅で、温泉宿目的の客しかいないと思われていたが、雰囲気として温泉宿に向かうようには見えなかった。それ以外の客は温泉湯治の客が多かったようで、表の送迎バスにゾロゾロと乗り込んでいった。彼らは常連客のようで、バスがどこに停車しているのも分かっているのか、何も考えることもなく、キョロキョロすることもなく、黙ってバスに乗り込んでいく。
作品名:都合のいい記憶 作家名:森本晃次