都合のいい記憶
一応は人が乗り越えることのないように、安全のための策は施してあるのだが。それでも恐怖に駆られるのは誰でも同じで、まだ崖っぷちまでかなりあるところでも水しぶきが襲ってくるくらいなので、かなりの勢いなのは分かるだろう。
「これなら、自殺者が訪れるのも分かるというものだ」
と、誰もが感じ、滝の奥にある祠がその供養のために建てられたというのを聞くと、皆その祠に自然と手を合わせるのだった。
だが、恐ろしいのはその場所だけで、ちょっと離れたところから森に入ると、そこには生い茂った木々の間から、光が差してきて、プリズムの光のように、七色に感じられる日もある。それはきっとその横の滝の勢いが影響しているのかも知れない。かすかにだが、打ち付ける水の音が、聞こえてくるのだった。
そんな温泉宿を掠めるように通っている国道を抜けると、その向こうにT字路になった三差路がある。そこを左に曲がって少し行くと、左河合入る道があるのだが、今では標識が出ているが、以前は標識もなかったので、誤っていきすぎてしまうことも結構あったという。
そもそもこんなところで曲がる人はそんなにもいないので、標識を作るという時も賛否両論あった。しかし、観光地としてのホテルは、このあたりでは利益を出していて、街の産業からもいろいろ仕入れてくれるお得意様でもあった。
ホテル自身も繁盛しているようで、行政としては、これをつぶす手はないということで、このホテルに対しての待遇は、他の観光地と比較しても決して引けを取るものだはなかった。
ここのホテルの近くには高級別荘が結構あり、別荘に訪問してくる客が泊まることが多い、つまりは富豪のお客さまなのだ。温泉旅館の裏にそんな豪邸のような別荘やホテルがあるなど、知っている人は少ない。なぜなら一般の市民には、まったく立ちとることのない場所だからだ。
表の温泉旅館は、秘境として一部の人間には有名で、実際に訪問客も多い、当時や静養には持って来いで、何も隠すことはない。
だが、裏のエリアは高級住宅に属するもので、政治家の偉い先生や、大学教授などがひそかにやってくるところである。一般的に有名な避暑地などとはわけが違う。
そのため、田舎によくありがちの暴走族やヤンキー連中の騒音から隔絶された場所でなければいけない。普通の人が立ち入らない場所というだけで安心していてはいけない場所だった。
そのことが標識をつけるかどうかで揉めた理由でもあった。
「せっかくの静かなところに標識なんかつけたら、それこそ暴走族の巣窟になってしまうんじゃないか?」
という意見もあれば、
「あれだけ拾い場所なので、いろいろ悪事に使われる可能性がないとは言えない」
という意見もあって、標識を付けないという方の意見が多かった。
しかし、
「だったら、地名だけにすればいいじゃないか」
ということになった。
どうせ道は荒れ果てているので、あんな場所にわざわざ入り込むことはないだろうという意見だったのだ。
しかも、昔の名残か、白い骨組みだけの気の扉がつぃていた。真ん中のスカスカの部分はバッテンになっていて、まるで戦時中の窓ガラスに貼られた白いテープのようだった。
それを見て、ここが昔別荘地だったが、今は使われていないと普通なら判断するだろうという意見があった。
確かにその通りだった。とりあえず、地名だけを書いた標識を出しておいて、他はそのままにすることに決まった。
それがよかったのか、騒音が奥に響くことはなく、実際にその奥に入り込むなどという殊勝な人は現れなかった。本当に用事のある人しか立ち入ることのないその場所は、外界とは隔絶された場所に思えた。
この標識には、
「小暮村」
と書かれていた。
市町村をよく知っている人なら、このあたりに村などないことは分かるのだろうが、昔からの小暮村という地名がこの場所ではまだ生きているのだった。
だが、この舗装もされていない、普通なら見逃してしまうような道なき道を通って行ったところには、村などというにはあまりにも豪華な場所があるなど、本当に一部の人しか知られていない。
雨が降れば道は一気にドロドロとなり、車は泥だらけになってしまう。しかも雨が降っていない乾いた空気の中では、地面は今度は固くなりすぎて、走っているとガタガタと酔いを誘うくらいであった。
だが、舗装されていない部分は入ってからの数十メートルくらいで、途中の木々が生い茂っているあたりからは、舗装が施されている。もちろん、それは道路を走っている連中からは確認できないように計算した位置から舗装されているのであった。
「まるで秘密基地のようだな」
子供であれば、こんな場所を喜ぶのではないだろうか。
大人でも冒険心が旺盛な人はいる。特に富豪と呼ばれる人たちは他の人たちと感性が違うのか、結構子供心を持った人も多いという。結構この仕掛けを楽しんでいる人も多いのではないだろうか。
それでも最初に入ってくるところは耐えがたいようで、雨が降っても降らなくても、ここは誰もが苛立つ場所であった。
だが、ここのホテルの送迎バスは改造されていて、四輪駆動で作られているので、少々のガタガタ道は大丈夫だ。雨の日も大丈夫なように、タイヤも特殊なものに変えられている。
森からの一本道は、少し曲がりくねっていて、これも計算された仕掛けになっていた。そのおかげで森の厚みよりも実際に走る距離が遠く感じられ、奥深さを実感させられる。これも外界との遮断を希望する人たちにとってはありがたい演出で、彼らとしては、至れり尽くせりの感覚だった。
奥までいくと、そこは森のトンネルを抜けた別世界が広がっていた。中央には大きな池が広がっていて、向こう岸がかろうじて見えるくらいだった。実際に奥の正面に大きな西洋のお城のようなホテルがあるのだが、湖を見た瞬間、
「あんなところにまるで模型のような建物がある」
という印象しかない。
それほど湖は大きくて、静かだった。
ここまで来ると、雨でも降っていない限り、天気が悪くなるということはない。風もほとんどなく、湖面はまるで指紋のような細かい線が無数に流れていた。それが繊細であればあるほど無風であるということを示していた。
この土地に別荘を持っている人たちは見慣れた光景であるが、それでもここまで来ると、一度は車から降りて、湖面を眺めようという人がほとんどのようだ。そのためか、ここに出てくるとすぐのところに駐車場があり、そこから眺める光景が絶景だったりする。これも計算されているところから、実に区画が行き届いているのだった。
別荘は山の中腹に点在している。隣の別荘まで歩いていくのは無理なくらいに離れていて、森から出たところからは、森の木々が邪魔をして見ることができない。
ここから見えるのは、目の前の西洋館のようなホテルであり、そこまでは車でも結構走らなければいけないほどの遠さがあった。
かすかにしか見えないほど遠いのだが、実際にはさらに遠い。端っても走ってもホテルがその大きさを変えないというところであり、精神的に慣れてくると、いつの間にか到着しているという錯覚を感じさせる、そんな変わった場所でもあった。