都合のいい記憶
そのことは一部の人しか知らないが、こんなところにもバス停があった。ほとんど誰も乗り降りしないが、バス停があるのは間違いないことなので、時々乗り降りする人も実際にはいる。
その人はこの森の奥に住んでいる人だが、定期的に街まで通っている。それは病気だというれっきとした理由があるのだが、病気と言っても入院するほどではない。ただ定期的に薬を飲まなければいけないような病なので、クスリを貰うために街まで赴くのだった。
「このあたりは民家もないからな」
とその人は言っていたが、生活をするには困らない。この森の奥には一軒のホテルがあり、そこの人がこの人の面倒を見てくれている。食事など頼んでおけば作って運んでくれる。
さすがにただというわけではないが、ただ同然の値段でやってくれる。街にある公共の介護施設よりもよほど割安だった。
しかも、同じ場所で住んでいるという思いがどちらにもあるからか、病人の方が遠慮すれば、ホテル側が恐縮する。ホテル側が遠慮すれば、病人が恐縮するという具合で、これも、
「田舎ならではのいい風習だ」
と言えるのではないだろうか。
実際にこのホテルの従業員の半分くらいは。都会からの人である。都会で仕事に疲れ、一休みをしたいと思い、このホテルのウワサを聞きつけて骨休めに来てみると、こんなに居心地のいいことはない。もちろん、仕事をするとなるとまったく違ってくるのは先刻承知のことであるが、
「それでも都会の喧騒としたあの空気の悪さとは雲泥の差だ」
ということで、ここで働きたいと言って、そのまま居座る人も少なくはなかった。
それでも、数年すれば、都会が恋しいのか戻っていく人もいる。命の洗濯ができたという心境であるか、ホテル側も、
「去る者は追わず」
の姿勢で、快く送り出してくれる。
このホテルはそういう意味では完全に、
「救世主のようなホテル」
と言っていいのではないだろうか。
最寄りの駅というのは、この近くに古くから湧き出ている温泉を主として作られた駅である。温泉の歴史は古く、何でも鎌倉時代にはあったというのだから、由緒正しきとでもいうべきであろうか。そこにはひっそりと温泉旅館が一軒あり、秘境の温泉をそのまま示しているような感じであった。
また、温泉は山に囲まれたところにあり、近くには鎮守の森があり、温泉の守り神として祀られているのだった。旅館が一軒しかないというのも、まわりが山に囲まれたごく狭い範囲の温泉だということが理由のようだった。
湯治客が多いのか少ないのかは、似たような温泉があまりないので、比較にならない。それでも宿泊客が一人もいないなどということはなく、いつも二三組はいるようだった。その人たちも療養や湯治が目的なので、長い間の滞在となる。つまりは、まるで家族のような場所だと言ってもいいだろう。
病気に怪我に、さらには老化防止にと、いろいろな効用はあるようで、県内の病院も推奨しているので、そのあたりは安心だった。療養する場合、一定の年齢に達していれば、国から宿泊費の補助が出て、年齢に達していなくても病院が推奨した患者には、県から宿泊費などの補助が出ているようだった。
この温泉宿の奥には、すぐ山が迫ってきているということは前述の通りであるが、道というには少し難易度の高い山道があり、そこの土質はいつもドロドロだった。
しかも、まるで万年の霧が張っているかのように、視界がハッキリとせず、足元が危ういことから、なかなかここまで入ってくる人は少ないが、途中までくると、
「ゴー」
という音が聞こえてきて、そのうちに耳に慣れてくるのか、その音が気にならなくなるという不思議な現象があった。
やはり、かなり山間に入ってきているので、平地と違って空気が薄いのか、轟音も次第に慣れてくるもののようだ。
その轟音の正体は途中からほとんどの人には分かってくるようだが、奥に行くと、そこには大きな滝があるのだった。湿気に満ちているのも、轟音も、さらには霧に包まれたような幻想的な光の悪戯も、この滝がすべての原因だった。
滝の近くには、先ほどの祠とはまた別の祠があり、定期的に誰かがお供え物を持ってきているようだ。実は今の時代ではないが、数十年くらい前まではこの滝は自殺の名所とも言われていたようで、秘境と言われる温泉にこの世の名残を惜しんでから、楽になろうという考えの元、自殺志願者が訪れたという。
さすがに一時期は問題になり、この場所が立ち入り禁止になり、今でもその時の名残で立ち入り禁止の立札が残っていたりするものなので、立ち入る人がほとんどいないというのも無理もないことだった。
それでも昔からこの宿を切り盛りしているもう引退してしまったが先代の奥様が、
「誰にも供養されないのはかわいそうだ」
と言って、時々穀物をお供えしているようだ。
今では自殺志願者がたくさんいて社会問題になった頃のことを知っている人もいなくなり、供養するのは先代の奥様だけになってしまった。
そんな田舎の温泉宿を常宿にしている人の一人で、小説家の先生がいる。その人の名前はペンネームであるが、
「古舘晋作」
という。
彼は温泉宿で、時代錯誤になるかも知れないが、昭和の恋愛情話のようなお話を書いていた。
本当は明治時代の文豪が書いたような作品を書きたいと思ったのだが、そこまでしなくとも昭和でも十分書くことができると思ったようで、この温泉を常宿にして、この温泉をイメージして、秘境の温泉での情事を書き続けていた。
彼の小説はそれなりに売れていた。今の時代の小説というと、どうしてもライトノベルであったり。ケイタイ小説などと言った軽い話がもてはやされるが、古き良き時代を思わせる昭和情緒を描く彼の作品は、一部の熱狂的な読者に支えられているという。
「やっぱり明治時代までさかのぼらなくてもいいんだよ」
と言っているが、昭和の時代にも大いなるロマンがあり、それは今の時代からは想像もできないような背景に、心躍らせて読む小説をワクワクしながら、感じているのではないだろうか。
だが、この宿を常宿にして小説を書いている古舘であったが、彼はウワサには聞いてはいたが、この近くにあるもう一つの秘境に立ち入ろうとはしなかった。それはやはり純日本風の温泉宿とは程遠い、別の意味での秘境に対してなぜか興味を示さないのは、
「俺の作品がブレてしまう」
と考えているからなのかも知れない。
それほど、もう一つの秘境は、純日本風の佇まいとは正反対なのだろう。
その滝の勢いというのは、結構なもので、音が聞こえにくいなどというのはまだしも、近くまでいくと、その風で吸い寄せられそうになり、チューリップハッとなどを被っていたりすれば、いきなり吹いてきた突風により、あっという間に濁流に流されることになるだろう。
人間が覗き込んだりしていると、風の勢いで巻き込まれるのではないかと思うほどで、じっと流れ落ちる水を見ていると、普通であれば目が回って、気絶しかねないだろう。そのまま滝つぼに飲まれてしまうのではないかという恐怖が、初めて見る人には必ず襲ってくるはずだった。