都合のいい記憶
「はい、でも、これも彼の表に見えているだけの性格であって、彼は決してストーカーなどができる男ではなかった。恋愛小説などを書いている人で、その内容にはとてもストーカーなどができる人には思えないんです」
「しかし、小説家なんぞというのは、妄想で作品を作るんだよね。だったら、そういう二重人格なところがあるんじゃないか?」
「いえ、彼にはそれはないようでした。スナックでは警察からの事情聴取にも皆彼がストーカーのように言っていましたが、そこに何かの力が加わっているような気がしたんです。そして彼はストーカーという隠れ蓑を使って、彼女から何かの情報を手に入れようとしていたところ、桜井忠弘と知り合った。古舘は良心から、そして桜井忠弘は自分の欲望から、同じ人間をターゲットにしていたんです」
「それで?」
「そのことを中川綾音がどうして知ったのか詳しいことは分かりませんでしたが、中川綾音はある人の情婦だったんです。その相手は公開されては困る秘密を持っていた。だから二人は近づいた。古舘という作家にとっては、ある意味何かの復讐だったのかも知れない。この作家について、この報告書にはありませんでした。きっとこの報告書を書いた人は、きっとそのことを憂慮していたんでしょうね。この探偵さんはある程度まで完成された報告をしています。しかも、ご丁寧に二度清書をしています。一度はメモしたものを、調査順に清書したもの、そしてさらにそれを時系列でさらにまとめています。本来なら箇条書きのような形であれば、そして、関係した人間ごとにまとめればよかったんですが、きっと人間ごとにまとめることができなかったので、時系列で纏めたんでしょうね」
「どういうことだ?」
「この報告書には、ところどころ肝心なことが抜けている気がします。つまり、分かっていることを敢えて書いていないということではないかと思ったんです。どうしてそんなことをしなければいけないのかを私は考えてみました。それは、きっとあなたに忖度したのではないかということでした。確かにこの報告書を読むと、あなたに都合よく書かれています。しかし、都合がよすぎるんです。それが私には引っかかりました」
「なるほど」
「この事件の詳細をもし今知っている人がいるとすれば、綾音さんが勤めていたスナックのママではないかと思っています。作家の古舘という人も知っているのかも知れませんが、きっと彼はすべてを知らないと思います。ただ、彼は綾音さんが自殺だったということは分かっていると思います。もし、そうでなければ、きっと彼は復讐を考えているからです」
「じゃあ、その男には復讐の意志はないと?」
「ええ、だから、もしこの事件の黒幕の人が復讐を恐れているのだとすれば、その心配はないということです」
「では、桜井忠弘の方はどうなんだね?」
「彼は確かにお金の亡者のような人で、知り得た情報で、本当は相手を脅迫するつもりだったんでしょうね。社会正義など関係ないと思っていた人ですから、今は行方不明ですが、今もって彼が脅迫しにこないということは考えられることは二つしかないです。一つはもうこの世にいない。つまり口封じされたか、もう一つは口封じが怖くて逃げているという考えです。どちらにしても彼は脅迫できるだけの決定的な証拠は持っていません。それを得る前に綾音さんが気付いたんでしょうね。彼の正体に。だから、綾音さんが自殺をした本当の理由はそこにあります。信じていた相手に裏切られたということですね。ただ、彼女が自殺をしたというのは、この事件の黒幕からすればありがたかったんじゃないかと思います。自殺をしなければ、彼女はそのうちに消される運命だったはずですからね」
「ところで、その黒幕というのは?」
と社長は切りこんできた。
鎌倉は少し考えてから、
「それはあなたなんじゃないですか?」
と静かに答えた。
「ほう、私がこの事件の犯人だと?」
「事件の元を作ったという意味ではそうかも知れませんが、でも実際には自殺なので、事件ではありません。それをあなたは以前探偵に調査させた。この探偵の名前は署名されていませんが、これをあなたも信用できなかったんじゃないですか? この探偵を今度はあなたが密偵した。ひょっとすると殺害も考えたかも知れない。しかし、密偵が彼に見つかってしまった。そして、お互いに傷ついた。しかも恐ろしい偶然で、二人とも記憶を半分失ってしまった。いわゆる、『記憶の欠落』というやつですね。そしてあなたが密偵を命じた人は、金でしか動かない人間。つまり桜井忠弘だったんではないですか? 彼が今も行方不明なのは、記憶が欠落したことで今は別の人になって生きている。これもあなたにとって都合のいいことでしたね」
というと、社長は平静を装っていたが、タバコの火はすでに半分以上を燃やしていて、肺が零れそうになっていた。
声を出すこともできないように見える社長を横目に、鎌倉は再度話し始めた。
「そしてですね。もう一人、この探偵ですが、これって実はこの私だったんじゃないですか?」
「どうしてそう思うんだね?」
「まず、ここに署名がないのが不思議だったのと、すぐにこの書類に不自然さがあることに気付いたこともその一つでした。ちょっと考えれば分かるのでしょうが、私の場合、考える必要もなかったんです」
「なるほど。では、私は一度調査をした君にもう一度調査依頼をしたということかね? 下手をすれば君が記憶と取り戻すかも知れないのに?」
「ええ、それでもいいと思われたんじゃありませんか? 戻れば戻ったで、ここに記されていない内容を知るのに、私をどうにでもできると思ったんでしょう。記憶が戻らなければ、どうせ誰かにまた再調査させるつもりだったけど、もう一度させれば、そこから何かが分かるのではないかと思ったのかも知れない」
「それを私が分かってどうするんだね?」
「あなたは、彼女をストーカーしていた人物を知りたかった。スナックではすでに緘口令が敷かれているし、桜井忠弘も行方不明、さらに愛人がこの世を去っている。自殺だということはあなたには分かっていたでしょう? 自分が手を下さなければ彼女を葬る人なんかいませんからね」
というと、社長は少し怪訝な表情になり、
「そうじゃないんだ。彼女は殺されたのかも知れないと思っていたのも事実なんだ」
「ほう、それは誰にですか?」
「ストーカーの男にだよ。ストーカーというのは何をするか分からないからね」