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都合のいい記憶

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 だが、やはり気になったのは桜井忠弘という男が、影でルポライターのような仕事をしていたということだ。彼がどのような事件を追いかけていたのかはまったく分からない。彼の行方も分からなくはなっていて、失踪届も出ているが、だからと言って、家宅捜索をするほどではない。さすがにそこまではプライバシーの侵害に当たるだろう。確かに彼は先に失踪した綾音と恋人関係にあったようだが、それだけのことで彼の家を家探しすることもできない。
 もっとも、彼が影で何かの仕事をしていたのだとすると、果たして失踪者に対しての家宅捜索程度で見つかるところに保管しているとも思えない。そう思うと彼の失踪は綾音の失踪とは関係なく、もっと切実な、例えば仕事の方で何かまずいことが起こって失踪したのかも知れない。
 それを思うと、どうしても桜井忠弘を、嫌疑の外に置くことはできないのではないだろうか。
――だけど、探偵であれば、何か分かるのかも?
 桜井忠弘のことがほとんど調査報告書に書かれていないのも気になった。形式的な調査として、彼女の交友関係のその他大勢の一人として書かれているだけだった。報告書をパッと見ただけでは、彼が何か関わっていると考えることなどできないほどだ。
 そしてもう一つ、ストーカーについても、誰のことかまでは書かれていなかった。もし、綾音と依頼者が愛人関係にあるとすれば、ストーカーの存在も、そんお正体も分かっていて当然と思えるが、敢えてその怪しい人物についても書かれていないのだ。
「どうしてこんな肝心な、しかもすぐに分かりそうなことを書いていないのだろう?」
 と思う。
 確かに彼らの存在を除けば、綾音が自殺をしたという理屈は成り立つ。いわゆる依頼人にとって、
「都合のいい報告書」
 ということになるだろう。
 しかし、それで騙せる相手だとは思えない。何か曰くがあって作られたのだとすれば、それは何だろう?
「ひょっとすると、この報告書だけでは満足できずに、再調査を他の人に依頼するのではないかと考えたのではないか」
 これは結果論からの推測だが、この場合、結果論もまんざらでもないような気がする。あまりにも分かり切ったことが書かれていないのだ。これでは読んだ人間は自分に忖度し、そのために都合のいい報告書を作って、調査料をちゃっかりいただこうという魂胆に見えて仕方がない。
 物事が表に出た時、必ずそれには裏があるということを認識しておかなければ、物事は解決しない。目の前に見えていることがすべてではないし、見えているものですら、信じられないものもあるだろう。見えているのに、見えていないという錯覚を起こすこともあるし、人間というのは、実に厄介な動物なのだろう。
 ではなぜ再捜査の白羽の矢が、鎌倉に当たったのかというのも疑問である。彼は別に探偵でもなければ、調査の権限もない。ただ一介の小説家というだけで、その作風も別にミステリー作家でも探偵称津を得意としているわけでもない。そのあたりの勉強はしたことがあったが、
「俺にはこんな緻密で計算された作品は書けないよな」
 と早々に断念したくらいであった。
 しいて言えば、深層心理を抉るような、不思議な世界を織り交ぜた(決してファンタジーというだけの意味ではない)小説を書いていた。人が想像もしないような世界、常識では考えられないようなそんな世界を描ければと思っていた。
 そもそも人の脳というのは、何を考えるか分からないところがある。天国も地獄も昔の人の創造だとすれば、この世の理屈も昔の神話であったり、日本書紀のようなものがそれを証明していだろう。
 もう一つ気になることがあった。実は、この話の主役である鎌倉には一時期の記憶がない。小説家を目指して書いていた記憶と、なぜ自分が小説家になったのか、ハッキリと意識できていないのだ。自分が小説家としてデビューした記憶、それもほとんど人から聞いたものであり、自分の記憶ではない。だから鎌倉は、記憶が欠落しているのであり、記憶喪失ではないのだ。
 どれくらいの記憶がないのかというと、約三年くらいではないだろうか。それなのに、この出版社は鎌倉を拾ってくれて、小説を発表させてくれている。本当はありがたいと思うべきなのだが、今回のような不思議な依頼も今回だけではなかった。
 これまでの依頼はさほど困難もないし、あっという間に済むことだったので、意識としては何もなかったが、今回の依頼は探偵業務であり、なぜそれを自分に依頼してくるのかよく分からなかった。
「俺が疑念を抱くことを分からなかったのかな?」
 とも感じた。
 今まではこの出版社に対して恩義ばかりしか感じていなかったので、何でもできる気がしていたが、今回は調査していて、自分がこの出版社との間に利害関係はまったくない人間に思えてきた。
「ただ、依頼を受けて調査する探偵」
 それが、鎌倉光明という男なのだと思うようになった。
 ここの社長が鎌倉に何かを頼む時、低姿勢で今回のように、
「できる範囲でいいんだよ」
 という言葉を額面通りに受け取ってはいけない。
 それも分かって依頼してきているのだろうが、その時の社長の顔を思い出しただけでも吐き気を催しそうで思わず歯ぎしりをしてしまいそうになる。
 鎌倉は、この調査報告書に書かれている内容を見ると、忖度を感じないわけにはいかない。ただ、この内容、どうにも他人事とは思えない。ひょっとすると、これは自分が作ったものではないかとまでの飛躍した発想に、思わず閉口してしまった。失笑が隠せないくらいである。
 この調査をした探偵の名前は記されていない。そこも怪しいところである。普通、報告書にはその会社と報告者の名前があるはずだが、わざとその部分を省いているようだ。
 ある程度の妄想は出来上がった。後はこれを社長にぶつけるだけだった。
 それから三日後社長とコンタクトが取れて社長室で面会した。
「どうだべ? 何か分かったかね?」
「ええ、何となくの想像ですが、それでよければ」
「よろしい、意見を聞かせてもらおうかな?」
 そう言って社長はソファーに腰かけ、タバコに火をつけた。
 鎌倉も対面で腰を掛けると、おもむろに話し始めた。
「まず、中川綾音さんは、自殺です」
「ほう、その根拠は?」
「彼女は彼氏に失望し、自分が利用されていたことを知って、命を断った。そう考えるのが自然と思います」
「では、犯人はいないということだね?」
「いいえ、そうではありません。彼女を死に追いやった人は存在するのです」
「それは誰だというのかね?」
「直接的な相手というのは、桜井忠弘という男性です。彼は中川綾音の彼氏でした。そして彼は裏で暗躍しているルポライターでもあったのです」
「じゃあ、彼女は彼に裏切られたと?」
「そうです。彼は綾音さんのことを愛していたわけではありませんでした。ある情報を得るために彼女に近づいただけです。その情報をもう一人探っている人がいました。その人物も私と同じ作家なのですが、彼は綾音さんにストーカーをしていました。その人の名前は古舘晋作と言います」
「ほう、作家がストーカーなどを」
作品名:都合のいい記憶 作家名:森本晃次