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都合のいい記憶

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「私は桜井さんをあまり好きじゃないと思っていたのね。何か暗いところがあるし、何か隠しているように見えたからね。だから、こういうお店には不釣り合いなんじゃないかって思っていたの。でもお客さんでしょう? ちゃんとお相手はしないといけない。でもなかなか会話にならなくてね。結構苦痛だったわ。でもね、ある日、あの人が変な話をするんです。自分はフリーのルポライターで、本当の特ダネ記者なので、その正体も極秘なんだけどね」
 と言って、苦笑いをしていたという。
 あの彼がそんな笑い話をするなんて思わなかったので、覚えていたらしいが、どうにも笑えない気がして、しかも、最後の彼の苦笑いが実に気持ち悪かったと言っていた。
 そういうことなのだろうか? ただ、彼女が最後に、
「でも、気持ち悪いとは思ったんだけど、あのお話、本当のことだったような気がして仕方がないの。ウソだという確証がまったくないのよ」
 と言っていたのが妙に気になった。
 鎌倉は、その忠弘という男性に遭ったことはない。だからなんとも言えないのだが、今の時代にそんな影で暗躍するルポライターなどが存在するのか、それも疑問だった。
 さぞやお金になるのだろう。そうでおなければ、結構危険な仕事なのだ。割に合わないと言えるのではないか。
 もっとも、、そんな記事を書いて一件いくらで売れるというのだろう。そんなに出す出版社がなければ、ルポライターとしても、一種のスパイ行為に近いものなので、身元がバレると、誰も助けてくれる人などいないのではないだろうか。それを思うと恐ろしい。よほどバックに大物が控えているか、よほどの正義感でなければ務まらない。ひょっとすると、桜井忠弘という男の出生に何か秘密があるのかも知れない。
 正義感というと、この話の中でもう一人、正義感に溢れている人物がいたではないか。それは作家の、
「古舘晋作」
 その人ではないか。
 彼と桜井忠弘に何か関係があるとすれば、この話は俄然面白くなってくる。果たして真相はどうなのだろうか?
 それにしても、綾音が本当は自殺なのか、何者かの手によって殺害されたものなのか、そのことが一番の問題だった。鎌倉に依頼した捜査というのは、それを中心に探ってほしいということではなかっただろうか。
 そういえば、この捜査というのは、相手から見ても頼まれた鎌倉側から見ても、かなり曖昧なものだった。
「君は探偵や警察のように生業としているプロではないので、多くを期待するわけではない。何といっても、君には捜査の権限も、相手から何かを聞き出すにしても、力がないのはわかっている。今の時代は個人のプライバシーには厳しい時代だから、この調査資料を元に、分かる範囲で探ればいいんだ」
 というくらいの漠然としたものだ。
 調査依頼というのが、こんなに抽象的なことでいいのだろうか?
 謝礼にしてもハッキリいくらと示されたわけでもない。今後の私の小説をこの手柄を元にある程度認めてくれるようなことを言っていたが、それとこれとは次元が違う話のように思える。
 だが、背に腹は代えられなかった。今何かをしなければ、このまま鳴かず飛ばずのまま何を変えることはできない。これからの自分の内外で何かを変えない限り、このまま小説家などと名乗っていて、先があるわけではなかった。
 昔の小説家という人は、仕事がない時、何か工夫をして生計を立てていたものだ。例えば戦前、戦時中などの数年間は、軍の力が強く、出版物などには、必ず検閲が掛かり、情勢に沿わない書物は書き換えを要求されたり、発禁になったりされるという憂き目を受けてきた。
 戦時中になれば、ジャンルいよっては、発行すら禁じられるものもあったようで、そんな時、やむなく別のジャンルで書いたりしていた。探偵小説家がほのぼの家庭ものを書き、その中に戦時色を散りばめることを余儀なくされたり、時代小説を書く羽目になってしまったりと、散々だったようだ。
 それでも何とか生き残った小説家が、戦後売れてきていることは、歴史が証明しているではないか。
 鎌倉も、今の自分の立場を決していいとは思っていない。確かに自分では納得のいく作品を書いているつもりでも、それは「売れる小説」というわけではない。もし自分が読者だったら、その本を買うかと聞かれると、きっと頭をかしげてしまうだろう。
 そんな時に目の前に現れた、いわゆる、
「馬の前にぶら下げられた人参」
 に飛びつくかどうか、これからの自分の人生の選択だった。
――こういうのを、「考える」というのだろうか?
 言うとおりにして、どこまでできるか分からないが、少なくとも現状を打破しようとした自分に自信を取り戻すという選択。
 無難に、このまま何もせず、今まで通り、自分のやり方が一番いいという自信に基づいた生方ではないという思いを抱いたままの中途半端な自分。
 どう考えても前者なのだが、鎌倉は最後まで迷っていた。
――俺は利用されているだけなんjないかな?
 という思いが消えなかったからだ。
 こんなに中途半端で曖昧で抽象的な依頼があっていいものだろうか。元々は探偵に依頼し、探偵が調べてきたはずである。もちろん自分なんかにもらえる探偵料に比べれば、当然高いお金がかかっているはずである。
 その中には探偵の経費も含まれている。情報を引き出すための「袖の下」も若干は入っているに違いない。
 もちろん、鎌倉だって同じことをしないと得られない情報なら、経費として申請するつもりだ。当然そのことは了承してもらっているが、それでも探偵料に比べれば微々たるものだろう。
――できる範囲でいいと言われているじゃないか――
 と思っていたが、どうして不安を感じるのか分からなかった。
 それを蚊が得ていて、一つだけ頭にあるのは、
「この社長は、探偵が調べ上げてきたこの資料に疑問を感じているのではないか」
 ということであった。
 そうでもなければ、人に再調査を依頼したりはしないだろう。要するにこの調査報告は疑問であり、彼にとっては大いに不満に感じられることだったのだ。
 鎌倉がどうしてこの調査報告を最初から疑って考えたのかというと、心のどこかで、
「依頼人がこの調査報告に不満を持っているからではないか」
 と感じていたからではないだろうか。
 そう思うと、最初からそっちの目で見てしまっていた自分が本当に真実に辿り着けるかどうか、逆に不安にもなってきたのだ。
 では、どうしてこの調査報告書では不満なのだろう?
 いや、そもそもどうして出版社の社長がこんな調査を依頼しなければいけないのだろう。思うに彼女はこの社長の愛人で、そのために、死んだ彼女のことが気になって、それで親切心からこのようなことをしていると思うのは、あまりにも都合のいいことであろう。
 あの社長であれば、愛人くらいいても不思議はない。そもそも愛人をそこまで大切にするであろうかというのも考えものである。
――ひょっとして、その裏に何か大きな力が働いているのかな?
 とも感じた。
 社長はその人のいうことなら何でも聞かないといけないような弱みを握られているというのは考えすぎであろうか。いろいろと想像していると、発想はとどまるところを知らなかった。
作品名:都合のいい記憶 作家名:森本晃次