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都合のいい記憶

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 その話を聞いて、思い出す作家がいた。それが古舘晋作だった。
 古舘晋作とは直接の面識はない。どちらも売れない作家ではあったが、彼の方が自分よりは売れている作家だという意識を鎌倉は思っていた。だが、二人とも世間一般に見れば、どちらも売れていない作家には変わりなかっただろう。発行部数や売れ行きに関してはさほど変わりはないかも知れないが、名前に関しては彼の方が知られていた。なぜだかは分からないが、鎌倉の名前を知らないのに、古舘の名前を知っている人が多かったことでそう感じたのだ。
 だが、こうやって歩き回ってみると、スナックなどで自分のことを明かしているのであれば、確かに知名度はあるかも知れない。それは作品というものにではなく、その人本人という意味でである。鎌倉はそれほど世間に露出することはない。どこに行っても名前は話しても職業まで話すことはなかった。彼との違いがそれだけだとすれば、彼に対して劣等感など抱く必要などまったくなかった。
 だが、そんな古舘はどうしてストーカーのように言われるようになったのだろう? 確かに彼のことはよく知らないが、彼の恋愛小説を読んだことがあり、その内容は、まさかストーカーなどができるような人には思えない内容だった。
「小説というものは、作者の本質とまったく関係のないものとして見いだせるものなのだろうか?」
 自分が作家を志していた頃、鎌倉が考えていたことだった。
 実際には本質と違う作品は書けるものではないと思っている。それは小説が妄想や瞑想にやって書けるものであり、それは夢の世界に似ていると思ったからだ。
 夢というのは潜在意識が見せるというもの。それであれば、本質しか見ることができないと思うのは間違いであろうか。
 ただ、意識が脳の中にあるものだとすれば、超能力という考えも頭をもたげてくる。昔の学者が提唱した言葉に、
「人間は自分の中の一部しか使っていない」
 という説があるという。それを、
「脳の十パーセント神話」
 と呼ばれているらしい。
 この話は、一種の都市伝説として語り継がれているもので、信憑性の薄さ、つまり科学的に証明されていないからで、いくら異なる学者が提唱しようとも、都市伝説の息をでることはない、それゆえの、
「神話」
 と言われているのだろう。
 そうなると、想像や妄想というのは、どこまで行くか分からないということになり、十パーセント以上の意識を持てた小説が、
「売れる小説」
 ということになるのかも知れない。
 自分の中の隠れた妄想が他の人が感じることのないものだとは思えない。人によって感じ方も感じるものもそれぞれなのだ。皆が口を揃えて、
「思ってもいなかった発想だ」
 というのは、なかなかないことだろう。
 では、売れる作品が(脳の十パーセント以外の発想だとするならばという前提での話にはなるが)、どういうものかを考えると、
「きっと十パーセント以上の脳から出てきた妄想というのは、何かのプラスアルファの力を持っていて、そのことを無意識のうちに、『面白い』と感じさせるからではないだろうか」
 と言えるのではないだろうか。
 もっとも、この都市伝説は信憑性すら低いので、この発想はあまりにも飛躍しすぎていると言えるだろう。
 発想や妄想は、小説家にとってなくてはならないもので、一般的に他の人から見れば、あまりいいイメージのものではないはずだ。だから、昔から、
「小説家という低俗な職業」
 として低く見られていた時代があったのだろう。
 昔の人が、見んあ現実主義者で、娯楽に対して偏見を持っていたとは思えないが、帝国主義であったり、挙国一致の国家体制であった時、教育も社会情勢もそれ以外を認めないという状況だったのも、大きな原因だったと言えるだろう。
 鎌倉は古舘を意識している理由のもう一つは、彼の作風にあった。鎌倉は自分の作品が深層心理を抉るような話しか書けないことにコンプレックスを感じている。他の作家のようにミステリーであったり、SF、さらに恋愛小説のようなものを書いてみたいと思っていた。実際にそういう小説を書いてみようと学生の頃は考えていたし、実際にも書いてみたりしたが、思うようにいかない。自分で納得のいかないものを、こともあろうに他の人に見てもらったことがあったが、やはり酷評されてしまった。
 その時は、ほぼ酷評されることが分かっていたので、それほどのショックではなかったが、それでもトラウマが生まれたような気がした。
――俺の作品って、こんなものなのか――
 その時、一般的に売れる小説のジャンルは自分には書けないと思い、作家を志すのはやめようかとも考えた。
 しかし、
「小説って、基本的には自由で、思ったことを書けばいい」
 という言葉を元に、本当に思っていることを書くと、今のような作風になった。
 娯楽小説とは程遠い作品ではあったが、
「誰にもこんな小説、書けるはずない」
 という勝手な思い込みで、書いた小説が、ほとんどのところで問題にされなかったが、今回持ち込んだ出版社で読んでくれた。普通なら読んでくれるはずのないものを読んでくれるだけで奇跡なのに、それを出版してみようと言ってくれたのは、
「神様っているんだ」
 などと本当にベタな考えが頭に浮かんだくらいだった。
 だが、売れる要素はなく、それ以降は鳴かず飛ばず。そしてこんな仕事まで引き受けるということになった次第だ。
 小説を出版できるようになってから、鎌倉は他の人の小説を読むことはしなかった。
「人の小節を読むと、自分の作品がブレる」
 という理由であり、他の作家も同じことを言っているのを聞いて、
――やはり同じことを考える人がいるんだ――
 と感心したほどだった。
 だが、最近は他の人の作品も読むようになった。
 それは今までの自分の考え方が偏見に基づいたものだったということ、そして、人の作品を読んで、自分の作品を買えりみることができるのではないかということだった。
 後者においては、実際にはそういうことはなかったが、執筆する上で、自分の作品がブレると思っていたのは勘違いだったということに気付いた。
 では、他の人が感じたということも勘違いだったとすれば、この説は信憑性が薄いということで、脳の十パーセント神話ではないが、
「一種の都市伝説のようなものだったのではないか」
 と言えるかも知れない。
 そういう意味で、もう一度古舘晋作の作品を読んでみると、以前に読んだ時のような感覚はなかった。もし、あの時に感じた、
――こんな作品が書けるなんて羨ましい――
 という思いがあったとすれば、
――自分には絶対に書けない――
 と思っていたほど、意識から遠い作品ではないような気がしてきた。
 だからと言って、彼と思考が近づいてきたという気はしない。逆にその距離の遠さを再認識したと言ってもいいだろう。最初に感じたのは漠然としたものだったのだが、二度目に感じた時は、かなり具体的な感覚だ。口では説明ができないが、やはり二度目に思うのは、最初よりも少しでも具体性がないと感じることのできないものであるのだろう。
作品名:都合のいい記憶 作家名:森本晃次