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都合のいい記憶

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 鎌倉は探偵の資料を読めば読むほど、一つのことが気になっていた。それは捜査を進めていくうえで、知り得た情報から発展しての捜査がどこか中途半端な気がしていた。本当に捜査するのに最適な探偵だったのだろうかと思うくらいだ。
 ただ、再捜査する上ではそれも悪いことではないと思った。すべてを知ってしまうとそこからの疑問もわいてくることはなく、どこから何を再捜査すればいいのかが分からない。与えられた情報を机上で整理しただけで推理を組み立てていいものか、これほど難しいことはないような気がしたのだ。
 あらためて、出版社が自分にこの話を持ってきた真意について考えてみた。
――本当に結論のような結果がほしいのだろうか? ただ、向こうで納得のいく答えを期待しているだけではないか?
 と思うと、自分が忖度しなければいけないと思い、
――俺にはそんなことできるはずないのにな――
 と思った。
 そもそも忖度するのであれば、なぜ最初に探偵に頼んだのか、そこから疑問もわいてくるのであった。
 忠弘に関しての捜査であるが、彼に関しては結構細かく書かれていたが、ここまで細かく書いてあるということは、彼に対しての捜査にはほとんど困難を伴わなかったということであろうか。ひょっとすると、一か所で聞くだけで、芋づる式に過去のことも露見していき、その話の裏を取るだけでよくなり、下手をすると電話で済むこともあったのではないかと思うと、いろいろ書かれているわりに、この男の人生がどんなに薄っぺらいものなのかが想像ついた。
 ただ、それを全面的に信じることもできない。なぜなら一本筋の通った人間であれば、いろいろなところに顔を出したり、神出鬼没になるわけはないだろうから、捜査がスムーズだったとしても理解できる。
 それを思うと、一つの結果からもたらされた事実は、両極端な見方のできるものではないかというものであった。
 忠弘は、学生時代は優等生で、あまり友達もいない人で、高校も進学校に入学し、現役で国立大学入学に成功している男だった。
 優等生というレッテルを貼ればそれまでなのだろうが、挫折したのは、就職してからだった。某商社に入社したのだが、上司に大学の先輩がいて、その人に徹底的に嫌われたようだ。
 その先輩というのは、バリバリの体育会系で、スポーツの成果で入社した人間だっただけに、忠弘のような青二才は一番腹が立つ人だった。
 しかも、成績優秀者には劣等感を抱いていたので、先輩という権力をひけらかし、いびっていたようだ。いわゆる「パワハラ」と呼ばれるものだった。
 まだ、この会社ではそこまでコンプライアンスに厳しいところはなかったので、上司のやりたい放題であった。
 少しは我慢していたが、このままでは精神に異常をきたすということで病院に受診すると、
「このままなら、神経が崩壊します」
 と言われたことで、迷っていた退職を決めたようだ。
 その後再就職した会社は、地元の中小企業だったので、今までの大手に比べれば格段に風通しもよかった。社長も社員皆とよく一緒に呑みに行くような関係で、大企業から逃げ出したような忠弘であっても暖かく受け入れてくれた。本当に、
「捨てる神あれば拾う神あり」
 というべきであろう。
 そんな社長の行きつけの店が、ちょうど綾音の勤めているスナックだったというわけで、ここで二人は知り合うことになったのだ。
 最初に惹かれたのは、綾音のようだった。綾音は実に活発な性格であり、ズバズバ思ったことを口にするタイプだったが、その代わり人一倍正義感に満ちていたという。だから、忠弘が前の会社で受けたパワハラを聞いた時、とにかく同情し、かわいそうだとまわりの人に話していたという。
 ただ、その時に彼女の中に恋愛感情があったのかというと、疑問だったようで、その証拠にその頃綾音には付き合っている男性がいたということだ。
「でもね、その頃、静香ちゃん(綾音の源氏名)悩んでいたみたいなの」
 と、店の女の子が話した。
「どういうことで?」
「付き合っている男性がかなり猜疑心が強くて、本当に参るっていっていたわ。その人にかなり気を遣っていたようだし、あの娘、見るからに人に気を遣うなんてできない雰囲気でしょう? だからかなり無理をしていたんじゃないかしら?」
 と言っていた。
「そうかも知れないね。で、結局どうなったんだい?」
「ママさんが中に入って、円満に別れることができたらしいんだけど、それから少しして静香ちゃんと桜井さんが仲良くなっているってウワサになっていたの。まわりは皆静香ちゃんの悩んでいたことを知っていて、ママに相談して前の男と別れたのも知っていたから、二人のことを心の中で応援していたんじゃないかな?」
 と言っていた。
 綾音に対して、少なくともホテルでの表に出てきている雰囲気とはかなり違うようだ。それに忠弘に対しての態度もまったく違う。一体何がどこでいつ、彼女を変えてしまったというのだろうか?
 二人の関係はよく分かった。ただ、綾音のその前の過去がまったく書かれていないのが不思議だ。調べていないのか、調べられなかったのか。それとも調べる必要がなくなってしまったのか、鎌倉は、資料を見ながら腕組みをしてしまった。
「うーん」
 と唸るばかりである。
 このホテルの従業員は、誰も鎌倉の目的を分かっていないだろう。宿泊者カードの職業欄には、
「小説家」
 と書いているので、皆鎌倉のことを、
「小説を書くために来た」
 としか思っていないだろう。
 もちろん、半分はそのためであるが、もう半分の目的に対してなど、まったく想像もしていないに違いない。祝各日数に関しては、とりあえず一週間にしておいたが、そこまでに帰ることはなくとも、宿泊を延長するかも知れないという旨は伝えておいた。作家が執筆するのだから、一週間やそこらで終わらないと思っていたとしても、それは当然のことであった。
 しかも、紹介者がお得意様の出版社社長である。半分はそちらからお金が出ているのだから、ホテル側としても、VIP扱いに等しいもてなしを考えていて当然であった。
 鎌倉は捜査の事前確認を終えて、一度部屋を出た。せっかく来たのだから、このあたりを散策してみようと思ったのだ。
 ロビーにカギを渡し、近くを散策する旨を告げた。
「湖畔にはうちのボートを使っていただければいいですよ。モーターボートもあります。もし運転できなければ、うちのスタッフが運転いたしますので、お気軽にお申しつけください」
 と言われた。
「ありがとう。その時は、利用させてもらうよ」
 と言った。
 今日到着したばかりで疲れていることもあって、そんなに遠くに赴くつもりは最初からサラサラなかったのだ。
 表に出ると、すでに日は沈みかけていた。それなのに、さっきのフロントではボートもあると話していたが、夜間でも大丈夫なのだろうか。モーターボートなどは大丈夫だろうが、手漕ぎだと、漕ぎ出したらすぐに暗くなるのではないだろうか。
 だが、その心配は無用だった。ホテルからまるで灯台のようなサーチライトがまわりを明るく照らす趣向がもたらされていた。
「なるほど、これなら日が暮れても大丈夫なようだな」
 と感じた。
作品名:都合のいい記憶 作家名:森本晃次