都合のいい記憶
だが、それも考えてみれば嫌だった。多分、その人が何を言うか、ある程度想像がつくからだ、想像がつくから余計にそういう言葉が嫌いなのであって。そのセリフが、自分が嫌いだという根拠そのものになることだろう。
夢から覚めるにしたがって、夢の中で見た出版社のオフィスが思い出された。ここに来る前に、お願いというか、
「できればでいいんだが」
ということで調査依頼のようなものをされた。
その内容というのを少しずつ思い出していたが、どうにも理解しがたいものだった。
「実は、今度行ってもらうホテルで二年前に一人の女性が行方不明になっている。この編集者に原稿を持ち込んできた女性だったんだが、彼女の書いた小説の内容がそれに酷似していたんだ」
「どういうことですか?」
「彼女はその小説を僕のところに持ってきて、それから君に紹介するホテルに赴くと言ったんだ。僕もビックリしたよ。そのホテルを時々うちの社長が使用しているということは誰も知らないはずなのだから、偶然なんだろうと思うけど、この小説を読めば私のことがよく分かるなどというセリフを残してね。で、小説の内容を読めば、そこに登場するホテルの外観だったり、まわりの風景など、まるで見てきたように書いてある。だから、彼女はきっとこのホテルのことを知っていて、わざと見てきたんだろうね。そして何らかの目的を持って小説を書き、うちに持ち込んだ。まるで脅迫を受けているような不気味な感じがしたんだが、それから数日してからのことだった。ホテルからうちの会社に連絡があって、わが社から紹介されてやってきた女性が行方不明になったというんだ。僕が誰にも紹介した覚えがないと言えば、いや、社長の紹介状を持っていると言って、掛かってきた電話なので、こっちも笑い話で済ますわけには行かなくなって、僕はさっそくホテルに駆け付けたんだけどね」
と、編集者が言った。
「それで、紹介状は実在したんですか?」
「ええ、確かにうちの社長の紹介状に間違いありません。社長自身が認めたことです。どうやら彼女とは以前から知り合いだったらしく。ただ、その時にはその縁は切れていたんですが、確かに彼女のために招待状を書いたことがあると言っていました」
「社長の女だったということですか?」
「下品な言い方をすればそういうことですね。ただ、こうやって招待状もある。そして彼女の宿泊していた部屋には、彼女の着替えが一着残っていたんです。着替えを残したまま失踪したのだから、計画的な失踪ではないかも知れないということになって、何かの理由で自殺したのではないかという疑いも出てきたので、湖を捜索したり、森の中を捜索したりと、結構な人数を割いて、警察も捜査してくれたようなんですが、何しろあれだけ大きな森や湖なので、もし自殺していたとしても、そう簡単には見つかるものではありませんよね」
まだ、その時鎌倉は湖のその土地を見ていなかったので、実際にどれほど大きなものなのか分からなかったが、自分で勝手に想像してみた。
最初に森を抜けてこの湖とホテルを見た時、
「初めてではないような気がする」
と思ったが、それは間違いではなかったのかも知れない。
鎌倉は出版社の人から聞いた言葉を想像した。それとほぼ変わりない光景が、大きさや規模でほとんど誤差がなく、瞼の裏に重ねてみると、ほとんどズバリ嵌りこむほどの酷似に、
「初めて見た気がしない」
という感覚に陥ったのではないか。
そう思うと疑問は一気に氷解する。それだけ想像力が豊かなのか、本当に以前どこかで似たような光景を見て、それが鮮明に記憶として残っていたからなのか、自分でも何とも言えない感覚があった。
「ところで死体は結局?」
「うん、死体はおろか、それ以降彼女を見た人が誰もいないんだ。もちろん捜索願を出して、全国で捜索のポスターも作成し、完全な公開捜査を行ったが、彼女は煙のように忽然と消えてしまったんだよ」
「そんなことってあるんだろうか?」
「そうなんだ。だから、本当はいまさら君にお願いしても仕方のないことはじゃないかとも思うんだけど、何しろ警察がずっと捜索していても見つからなかった相手だからね。でも、君も深層心理をテーマに書いている作家だ。君なら我々と違った発想で、考えることができるんじゃないかと思って、せっかくだからと思ってお願いしているんだ。軽く、アルバイト感覚でお願いできないか? それなりに報酬を出してもいいと、社長も言っているんだ。なるほど社長にとっても、寝つきの悪いことだろう。何とかしてあげたいという気持ちもあるので、何とか君の頭で捜査してみてくれないか?」
そう言われると実も蓋もなかった。とりあえず、宿泊費の半分以上は出版社が持ってくれるということで、さらに納得のいく捜査ができれば、形になって現れることでなくともそれなりに謝礼は出すつもりでいるんだ。
というのだった。
さすがにそうでもなければ、いくら何でも初めての客の宿泊費が半分以下になるなどありえない。実に奇妙な交渉を行い、彼はそれを引き受けた。
確かに、
「できればでいいから」
と言われたが、それでも何らかの仕事をしたという証拠を示さなければ、答えを見つけることができなくても、その証があれば、それでいいのかも知れない、
もしそれをしなければ、せっかく今だに売れない小説家の自分の相手をしてくれる出版社など他にはないので、この会社と切られたら、もう小説家と言えない立場に追い込まれてしまう。それはなるべく避けたかった。
そういう意味では今回の旅行は自分にとってのテストのようなものだった。出版社が鎌倉にどれほどのことを期待しているのかは分からない。その女性を見つけてほしいというのか? 失踪した当初、地元の警察や捜索隊が見つけることのできなかった相手を二年も経った今、見つけることがどれほど困難なのか分かりそうなものだ。
それとも、本人の捜索よりも失踪の理由であったり、その手段を知りたいというのだろうか。実際に聞いたり、その場所に行くことで、小説家としての感性が何かを探し当てるとでもいうのであろうか。
確かに芸術家は、
「考えるのではなく、感じるのだ」
と思っていて、他の一般の人とは何かが違わなければ、芸術的なことに造詣を深めることはできないと思っている。
だが、彼はミステリー作家でもなければ、SF作家でもない。人間の心理について感じ、そして小説として描いている。そんな鎌倉だからできる何かを期待しているのだろうか?
もしそうだとすれば、やはり失踪した理由について、何かを知りたいということになる。だが、そもそもその女性の失踪を、今になってあの出版社がここまで気にしなければいけないのだろうか。それは、あの時少し聞いてみた。
「どうして二年間もの間、僕に相談するまで、何もしていなかったんですか?」
と聞くと、
「そんなことはない。我々も手をこまねいてただ見ていたわけではなない。独自で捜査のマネ事をしてみたんだが、なかなかうまくいかなかった。やはりプロではないからね。でも、警察にしても作家にしても、プロとしての意識があるだろうから、それを君に期待したいんだ」
と言っていた。