都合のいい記憶
ただそれも、このエリアの状況については、前もって出版社の人から聞いていたので、それほどビックリもしなかった。
「きっとお気に召すと思いますよ」
と言われて、心はすでにこちらに向かっていたのかも知れない。
小説のネタについては、何となく漠然としたものはあった。このエリアの話を聞いたのと、数枚の写真を見せられたことで、何となくイメージが湧いたからである。
「でも、こんな環境が他の人にあまり知られていないなんて、何かもったいない気がしますね」
と、心にもないことをいうと、相手の編集者の人も以前馴染みだったこともあってか、鎌倉のことをよく知っている。
「またまた、そんなことを言って、まったくそんなことは思ってもいないくせに」
と言ってからかうのだったが、間違いではないことを指摘されて、
「まあ、そうなんだけどね」
と苦笑いをするしかなかったが、
――まだ俺のことを分かっていてくれているんだな――
と思うと、嬉しくなってきた。
小説家というのも現金なもので、将来についても安定が約束されているわけでもなく、まったく何もないところから作り上げていくという難しさがあるだけに、絶えず不安が付きまとっている。それを払拭させるには、ちょっとした些細なことでも安心する何かがあれば、それだけで心境は一転したりするものだ。
だから、おだてに弱いというところもあるし、調子に乗りやすいところもある。そのせいもあってか、有頂天になった時にはまわりのことを考えないという悪い癖もあって、鎌倉もそれにたぐわぬ性格だった。それがそのまま小説家としての彼を作っているのかも知れない。売れない中でも小説家にしがみついているのは、そんな性格が影響しているのだろう。
小説を書くことは最近ではさほど苦痛ではなくなった。元々苦痛な気持ちがあったから不安が尽きなかったのだが、苦痛がなくなったからといって、不安が消えたわけではない。むしろ苦痛ではなくなったことで、余計に不安の方が増幅していったのではないかと思うようになった。
小説というものを書いていると、集中力が高まってきて、まわりを気にせずに書けるようになる。
それはまるで夢の中のようで、「夢中」という言葉があるが、それもまんざらではないような気がする。
一生懸命に描かなくても、集中さえできれば、負では進むものだ。そういえば、最初に小説が書けるようになった時のことを思い出した。
あれは、大学生になってからだったか。それまでは何度も執筆に挑戦してみたが、どうしても書けない。数行書いただけで、そこから言葉が出てこない。本屋に行って、
「小説の書き方」
なる本を買ってきて読んだり、ネットでも類似の記事を読んだりしたが、書いてあることは至極当たり前のことであって、
「そんなの分かってる」
としか言えないことだった。
「だから、どうだっていうんだ。その先が知りたいんだ」
と言いたかった。
ただ、ほとんどの本が書いているのは、
「小説は自由であり、自分の書き方で書けばいい」
ということと、
「とにかく、最後まで書き切ること。途中でやめてしまっては、まったくやっていないのと同じで、いくら途中まで書けたとしても、そこに何も残らない」
と書いてあった。
それも分かっていることであったが、そのためにどうすればいいのかということをどこにも書いていない。
だが、考えてみれば、
「どうすればいいか」
ではなく、
「どう考えればいいか」
ということの方が大切ではないだろうか。
モノを書くことが考え方だけだとは言わないが、少なくとも何もないところから新しく作り上げていくという発想は、考え方ひとつでいくらでもどうにかなるのではないかと思わせる。
そして思い至ったこととして、
「そうだ。人と話ができるんだから、書けるんじゃないか?」
ということだった。
確かに、会話は誰かに教えられたわけではない。面接であったり試験されている場合は、それなりにマニュアルがあるのだろうが、それ以外の雑談や友達との会話に決まり事などない。ただ、相手の気分を害さないようにすればいいだけだ。(本当はそれが一番難しいのだが)
そう思うと、プロの書いた出版されている小説を、声を出して読んでみた。そうするとまるで自分が喋っているかのような錯覚を感じ、朗読なのか会話なのかが分からなくなるほどになり、書き方については何とかなりそうな気がした。
後は、何を題材にどう書くかということであるが、いわゆる「プロット」のようなものは苦手だった。
プロットを書いても、なかなか最初の発想にはならなかった、途中で書いていて脱線してしまうのだ。
それは小説を書きながら急に立ち止まってしまう原因が、
「書いている時に、余計なことを考えてしまうからだ」
と思ったからだ。
つまりは、今書いている文章の三つくらい先の文章をすでに頭に浮かべていれば、そこに向かって突き進むだけで、集中力も落ちることはない。時間もあっという間に過ぎてくれたような気がして、
「これこそがリズムというものだ」
と思い、リズムこそが執筆に一番大切なものではないかと思うようになった。
集中力も発想も、すべてがこのリズムから始まっていると思えばいいのだと感じたのだった。
小説をうまく書くという発想ではなく、途切れることなく書くということが書き上げるうえで重要なことだったのだ。
何とか曲がりなりにも一作品書きあげるとそこから先は難しいことではなかった。もちろん、それができるようになったからと言って、そこが終点というわけではない。だが、そこからは賞に応募してみたりして、作品を表に出そうという努力をするのだが、なかなか入賞は難しい。
しかも、応募しても、一次審査、二次審査で落選した作品は、どこから何も評価を受けることもない。順位も分からなければ、読んだ人の感想が聞けるわけでもない。落選通知もないくらいだ。
そんな状態で、自分の今のレベルがどれくらいなのかを判断できるわけもない。ただ、集中力と書き上げる力というものは紛れもないものだという自信だけは持ち続けることができた。
そうでなければ、売れないとは言いながら、小説家としてデビューなどできるはずもない。
最初デビューできた時は本当に有頂天だった。小説家が有頂天な気分になった時はどうなるかということは前述の通りだが、まさにそんな感じで、まわりの色が変わってしまったのではないかと思うほどになっていた。
小説を書きあげることができるようになったのは、偶然というわけではなかっただろう。そこには努力というにはおこがましいが、何か得るタイミングが潜んでいたはずである。そう、タイミングなのだ。
「タイミングを掴むというのも才能の一つ」
と言っていた人がいたが、それもそうだと思った。
「運も才能の内」
という言葉と酷似しているではないか。
だが、ここからが本当の正念場だったようで、書いても書いてもなかなか出版には漕ぎつかない。
しかも、
「最近は出版不況と言われていてね」
と、出版社からも渋られてしまう。