短編集85(過去作品)
別に逃げ道を見つけながら生活しているわけではないが、気持ちに余裕を持つためにはそこまで考えなければならないことを、和子との恋愛で知ったのだ。やはり後悔はしていないが、自分の中に残った和子への思いはそれだけ強いということだろう。
表に出る性格と、実際に本音として隠している性格が、今ほど違うのではないかと思うこともなかった。余裕を持ちたいと思う反面、余裕がそのまま余計なことを考えることに繋がってしまって、本来やりたいことや向かうべき道が分からなくなってしまうことも、往々にしてあったかも知れない。
しかし、考え方は一つではなかろうか。余計なことを考えてしまうのも、目指すものが同じであるために、少しでも精神状態が違えば、かなり違って考えてしまうような錯覚に陥ったとしても、それは無理のないことだろう。
最近見る夢が恐ろしい。
朝起きるとグッショリと汗を掻いていて、どんな夢なのか思い出そうとすればするほど頭痛が残って思い出せないのである。まるで思い出そうとするのを邪魔するかのように……。
そんな夢を見た時というのはロクなことがない。
――運が悪い日――
として今まではあきらめなければならないような日だった。
昔、「天中殺」という言葉が流行ったが、何をやってもすべてが裏目、人間にはバイオリズムというものがあるようで、上限と下限をそれぞれ規則的なカーブを描きながら、形成されているが、それぞれ健康、感情だったりするものである。
そのラインがちょうど下限で合流する時、それが最悪の運勢に当たる時のようだ。
そんな時が分かるのだろうか、精神的に不安定になり、鬱状態などもそんな時に当たるのだろう。だが別に鬱状態ではなくとも、最悪のバイオリズムに落ちるのが分かる時がある。それが汗を掻くほどに嫌な夢を見て、それを覚えていない時である。
夢の内容を覚えている時はまだいい。精神状態の対処法がそれなりに分かっているからだ。しかし夢を覚えていないということは、それだけ忘れようという防衛本能が強いからである。それはきっと目黒だけに限ったことではない。
悪夢を思い出せないとそれだけ余計なことを考えてしまう。まるで考えることを夢の中で予期していたような変な気持ちに陥ってしまう。
――まさか、いろいろ考えることを予感させるだけの夢だったのではないだろうか?
夢に踊らされている。孫悟空が地の果てまで飛んでいったつもりで、実はお釈迦様の手の平を飛んでいただけだったという話を思い起こさせる。堂々巡りをさせられているような心境だ。
今まで夢を見ていなかったと思っていても、意識的に忘れていることもあるだろう。それが何かの拍子に思い出すことがある。
――この光景、どこかで見たような……。こんなシチュエーション、どこかで味わったことがあるような……
いわゆるデジャブー現象と呼ばれるものだ。それは潜在意識の中に眠っていたものが何かの拍子に出てきたものだと考えるのが一番無難ではないだろうか。前世に見たものを思い出しているという考え方もあり、
――ありえないことではない――
とも感じるが、いかんせん無理があるように思う。夢は裏の世界の中で、紛れもなく自分にとっての現実として繋がっているものなのかも知れない。
静子がどんな夢を見ているか聞いてみたいものだ。自分の夢を見てくれていると信じているが、それは自分が夢について覚えていない時と合致するような気がする。今までに静子の夢を見たという記憶がないからだ。
和子の夢はハッキリと覚えている。喧嘩をしているところから始まり、結局お互いの気持ちを確かめ合うところで終わってしまうのだが、目が覚めて残っているのは、最後の和子への思いだった。
――別れたくて別れたのではない――
この思いがある限り、静子が自分の夢に出てくるような気がしないのだ。
静子との出会いは、和子との生活の清算を考えている時の出会いだった。和子にないものを持っている静子に惹かれたのは、和子との生活の反省だけではない。当然愛するべくところがあって惹かれたのであって、余裕を持つことの素晴らしさは静子によってもたらされたものだった。
静子によってもたらされた余裕はそのまま「運のよさ」に結びついていった。和子と一緒にいる時は感情が先走りしていたために、自分の中の運がどれほどのものかなどという感情が生まれる余裕すらなかった。気持ちに余裕が生まれれば、自分の中で運のよさが芽生えてくることを教えてくれたのも静子だったのだ。
だが、夢の中では違う。まだ和子を欲している自分がいるのだ。それを思うと、自分の中にもう一人いることに気付く。しかしそれは今の自分と正反対の世界にいる自分、まるで鏡の向こうにいるようだ。
それは心のどこかで和子を憎み続けている自分である。決して表に出てくることはないが、心の中でじっと表に出るのを待っているかのように気持ちだけが高ぶっている。普段はそんな自分の存在に気付かないが、ある瞬間にだけ気付くのだ。
それが、見た夢を忘れていて、思い出そうと努力をしている時だ。
夢を思い出せないのは、余裕を持っていない自分がどこかにいて、存在を感じているから無意識に思い出したくないと思っているからではないだろうか。その考えを思い知らせてくれたのも、静子だった。
「あなたは、心の中に憎悪というものを隠しているように思えます。とても無理をしているように見えるのですが、そんなあなたを私は救ってあげたいと思っています」
ベッドの中でそういいながら涙ぐんでいたことがあった。意味が分からなかったが、涙ぐむほどの気持ちに目黒は心を打たれた。
――この女は真剣に自分のことを思ってくれている。不幸にしてはいけない――
その思いが、和子への未練を断ち切らせているのだ。
――未練なんていう一言で片付けられるものだろうか?
考えれば考えるほど、おかしな気分になってくる。静子との生活がすべて和子との裏返しであるはずもないのに、まったく重なることのないもう一人の自分が和子と一緒にいるのではないかと感じてしまう。
時々鏡を見ると、誰かに見られているような気がしていた。鏡の向こうにいる自分の後ろから、視線を感じるのだ。
しかし、それが間違いではないかと思うようになった。視線の強さを感じると、それは鏡の中の自分自身からも浴びせられているように思うのだ。
その視線は憎しみに溢れており、何がそんなに憎いのか、もう一人の自分の存在について否定できなくなると余計に視線の強さを感じるようになった。
――きっと今の自分を羨んでいるのではないだろうか――
確かに静子と出会って、今までの運の悪さが消えたように感じていた。それは静子によってもたらされた心の余裕だと思っていた。だが、和子と別れた瞬間、自分の中で何かが終わった気持ちとは別に、何かを失ったような気分にもなっていた。それは灰汁が抜けてスリムになった心地よさのようだった。
鏡の中の自分と一緒にいるのは和子ではないだろうか、和子をあきらめきれないもう一人の自分によって作られた世界、そこに和子と暮らしている。しかしなぜこちらの世界の自分を憎むのだろう。
作品名:短編集85(過去作品) 作家名:森本晃次