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短編集85(過去作品)

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 鬱状態に陥っていても、以前であれば、会社のトラブルも何とかなってきた。今から思えば未然に防げたことが多かったのであって、一旦起こってしまったトラブルはあまり記憶にない。鬱状態でのトラブル解決の記憶がないからだ。
 今回の鬱状態では、そのトラブルが起こってしまった。やはりちょっとしたミスからのトラブルなのだが、何とか解消しなければいけないと焦る気持ちは普段と変わらない。
 しかし、どうにも気分が入り込めない。まるで他人事のように思えてしまうのだ。
――自分が起こしたトラブルを他人事のように思うほど、自分の感覚は麻痺してしまっているのだろうか――
 自問自答を繰り返す。
 今まではまわりの人との協調でトラブルを乗り越えてきたように感じるのに、自分が他人事ではどうしようもない。しかし、却って気は楽でもあった。まわりはそのことに気付いていないようだ。
 まわりがいてくれるからトラブル解消できたという思いは、実に皮肉なことだが、鬱状態になってから感じることである。
 和子とは一触即発の仲だった。ちょっとしたことで喧嘩になったりしたが、それでも一年は続いた。自分の中で大きくなっていく彼女を離したくない一心でしがみついていたようにも思う。もう二度と和子に抱いたような熱い思いで人を好きになることはないに違いない。
 そんな時目の前に現れたのが静子だった。静子は名前の通り静かな雰囲気で、大人の香りを匂わせる女性である。和子も普段こそ子供っぽいが、時折見せる静かな雰囲気が大人を思わせた。同じ大人の雰囲気でも静子とはかなりの違いがある。
 和子が見せる大人の雰囲気に、一番ゾクゾクさせるものがあった。一緒にいて入り込んでいけそうな包容力を感じる静子と違い、和子に漂っている大人の雰囲気は、人を寄せ付けない雰囲気さえ醸し出している。妖艶さを含んでいるといってもいいだろう。
 静子の大人の雰囲気を見ていて、和子を思い出してしまうという皮肉な結果はしばらく続いた。
 目黒は、人に隠し事ができない性格だ。だから静子と知り合ってすぐに、自分に和子という付き合っていた女性がいたことを話していた。静子はまだ目黒に対し、ハッキリとした恋心を抱いていたか自分自身でも分からない時だっただけに、、素直に聞いてくれたのかも知れない。
「僕は、君に僕のすべてを知ってもらいたいと思っている。だから話したんだよ」
 こんな歯が浮くようなセリフを素直に話せたのも、きっと静子の持つ包容力のある大人の雰囲気がそうさせたのだろう。
「あなたの気持ちはよく分かります。私もどこまであなたの気持ちに触れることができるか分からないけど、あなたを感じていたいという気持ちに偽りはないですわ」
 と話してくれた。
 目黒は自分が自信家だと思っている。静子は謙虚なとことがあるだけに、自信家の目黒を見ていて羨ましいと思っていることだろう。目黒は謙虚な人は好きなのだが、自分が謙虚でないだけに、どうしても甘えてしまうところがある。それを受け入れてくれる女性でないとうまくいかないことは分かっているが、果たして静子はどうなのだろう?
 静子のまなざしは尊敬の念に似ているように思う。すぐに自信過剰になりがちな目黒だが、却って何も言わずそばにいてくれるような女性がいることで、過剰になりかかる気持ちを抑えられそうな気がする。
――自信過剰になってはいけない――
 自分という存在を自分の中だけで抑えられなくなっていた目黒は、和子に抑えを求めたが、それは無理だった。そこまで目黒のことを理解できていなかったというよりも、和子自身、自分のことで精一杯だったのだ。
 目黒にも同じことが言え、同じ感情がぶつかることで抑えられなくなった気持ちが喧嘩という形で表に出たのだ。喧嘩はすぐに冷めるが、心に残ったわだかまりはそうも行かない。
 わだかまりはむしろ、喧嘩が終わって気持ちが落ち着いてくる時に生まれるものだ。自分の中で消化できずに心の奥に溜まっていってしまう。それも自分が気付かないところで……。
 気がついた時には、仲がぎこちなくなってしまっていた。
 別れの原因が喧嘩が絶えなかったことというよりも、わだかまりの集積が一番だったのだ。
――次はまったく違うタイプの女性と……
 と感じるのも無理のないことだ。特に喧嘩をしないような、お互いに気持ちを尊重し合えるような、それでいて甘えられるような女性の出現を密かに待っていたに違いない。
 静子は心の隙間を埋めてくれて余りある女性だと感じた。最初に知り合った時にはそれほどでもなかったが、次第に存在が大きくなってくる。一目惚れではなく、自分が人を好きになるための気持ちの高ぶりを感じていた。
 気持ちの高ぶりは自然に湧いてくるものだ。
――この人でなければ――
 などという無理な思いはそこにはない。ただ、そばにいてくれるだけで温かさを感じるという気持ちを味わいたかった。その強い思いが静子に通じたのだ。
 静子も一目惚れなどではなかったはずだ。
「最初はおかしな人だって思っていたんですよ。明るく振舞っている中で、暗い素振りが見えたんです。しかも少しぎこちなく」
「きっとまだ、前付き合っていた女性が頭にあったんでしょうね」
 それは間違いないことだ。静子と知り合ったから、却って和子のことを思い出したとも言える。そのことを静子もウスウス感じていることだろう。だから余計に謙虚に見えるのだ。
 甘えさせてくれる女性だということを静子に感じたのはそれからだった。すべてを話して、
「話してくれてありがとう」
 といった静子の表情は、目黒の気持ちに近づけたことへの安心感だったように感じてしまうのだ。
 目黒はすぐに相手の気持ちを読もうとしてしまう。自分の気持ちが信じられなくなりかかった時などに多い。鬱状態の入り口の時である。
 本当に鬱状態に入ってしまうと、まわりのことを考える気持ちすら麻痺してしまうが、その前に相手の気持ちを読もうとする自分が悲しくなってきて、鬱状態へのスピードを加速させる原因にもなっている。
 きっと短所なのだろう。ハッキリと短所だと言えないところ、長所だと言えないところ、そんな中途半端な気持ちが目黒にはある。
 自分にできないことは人にも指示できない性格だ。よく言えば優しいところなのだろうが、相手を信用していないのか、それとも、あまりにも自分を中心に考えているからなのか、とにかく、損な性格であることには違いない。
「お前は上に立つタイプの人間じゃないな」
 何度か言われたが、その通りだ。面と向かって言われればさすがにショックだが、自分でも意識していることを相手が知っているからこそ言えるのだろう。
 上司になりたいという気持ちと、なりたくないという気持ち、今はなりたくない方が強い。最初は威張っていられる上司に早くなりたいと思っていたが、上からは管理能力を責められて、下からは統率力を突き上げられる。そんな上司にはなりたくない。
 しかも自分にどこまでの権限があるかも大きな問題だろう。権限が大きければ大きいほど、責任が生まれ、さらには見なければいけない範囲は広がってくる。果たしてそんな状況に耐えられるだろうか。
作品名:短編集85(過去作品) 作家名:森本晃次