短編集85(過去作品)
和子との出会いは完全な一目惚れだった。今まで一目惚れなどしたことのない目黒にとって、まるで初恋を思い出すようだ。思い出すといっても、どれが初恋だったかを思い出すのは困難だ。
――後から考えればあれが……
ということもあるだろう。女性を異性として意識し始める前、気になるとまでいかないが、いつもそばにいて違和感のない女の子がいた。
小学生の頃だったが、相手の女の子も、何ら意識はしていなかった。
その子のイメージがそのまま自分のタイプになっていることは間違いないだろう。物静かであどけなさがあり、ただ、自分の意見だけはきっちりと話す。そんな女性に今でも惹かれるのだ。
最初にイメージしたことがすべてだと思う性格でもある。自分が今まで常識だと考えていたことをまわりが否定しても、自分だけは常識のつもりで突っ走る。長所なのか短所なのか分からないが、長所だと自分では思っている。
――長所と短所は紙一重――
というではないか。それは自分があまりにも自分の中の常識に固執することでも明らかだ。きっと人は短所だというだろう。要は考え方の問題だ。
初恋を思い出す時、女の子の顔を思い出すことができなかったが、和子と知り合って、初恋の子の顔をおぼろげだが思い出すことができる。
――あの子が今目の前に現れたら、きっと和子のような雰囲気だろう――
顔が似ている似ていないではない。雰囲気が似ている似ていないの問題なのだ。
一目惚れというのは冷めるのも早いだろうと思っていたが、和子に関してはそうではなかった。それまでに好きになった女の子もいるにはいたが、最初は友達から、そして徐々に相手のことを分かっていくうちに好きになるものだと思っていた。逆に初恋などというのは、自分には無縁だろうとさえ思っていた。
目黒は和子と一緒にいる時間が増えてくるにしたがって、時間が長く感じられるようになってきた。今まで付き合った女性は逆だった。次第に一緒にいる時間を短く感じたものだ。
それがなぜなのか分かったのはかなり後になってからだ。一目惚れを信じられない自分の中で、一人の女性が次第に大きくなってくる。確かに一途なところのあると思っている目黒だが、それも自分の性格を熟知した上でのこと、なかなか納得できる答えが出てこない。
まわりに流されやすいと思われている目黒は人のいうことを必ず信用する。もちろん、絶対的に間違っていると思うことには反対するが、基本的には相手の考えに従うことが多い。
それはまわりの人すべてが自分よりも優れていると思っているからで、逆にあからさまに自分より劣って見える人には嫌味な態度に出ることがある。物事を素直に捉えるといえば聞こえがいいが、要するに融通が利かないのだ。
だからこそ、一芸に秀でているような人に憧れる。自分もそうなりたいと思うことで、他の人とは違う自分を作り出そうという気持ちを表に表す。
露骨に見える人もいるだろう。それで損をしたこともかなりあった。
――長所と短所は紙一重――
まさしくその言葉がピッタリだと思っていた。
――人の意見を聞き入れるのと、流されるのでは根本から違う――
と思っている。相手を理解していないと、相手の意見を聞き入れるとは言わない。そこには素直さと、自分の考えを見つめる目がないと成立しないものがある。そこが流されることと違うところだ。
だが、そのくせ人の意見に逆らいたくなる時がある。自分の信念で妥協できないところだろう。しかし、まわりの人に突っ込まれれば言い返すことができない自分に苛立ちを感じる。自分の信念が他の人に到底受け入れられるものではないと感じているからだ。一般常識は目黒に通じないのかも知れない。
変わり者と言われても、それはそれでいいと思っている。自分の中で、納得できるものさえあれば、それが自分の信念だと思っているからだ。自己満足という言葉があるが、自分が納得しての行動であれば別に悪いことではない。あまりいい意味に取られないのは、自分の中に信念がない人に対して使うからだろう。
――自己満足すらできなくて、人に満足などさせられるものか――
と思っている。いわゆる言葉のあやというものだろう。
だが、そこまでの境地に至るまでには、まだまだ時間が掛かることは分かっている。自覚さえしていればそのうちに分かってくることだろう。
そんな和子との別れ、分かっていたような気がする。付き合っていて、お互いにどこか無理を押し通しているような気がしていたのはお互い様だったのかも知れない。
目黒が気付き始めた時、すでに和子の様子は変わっていた。気付いていなかったから変わっていたことに気付かなかっただけかも知れない。和子という女性は情熱的だった。目黒も情熱的な部分を表に出して、お互いの気持ちを確かめ合うような恋愛である。
目黒にとってそれまでにない張り合いのある毎日だった。一日一日に何か発見や変化があり、それが新鮮だった。和子にしても同じだったように思える。変化はその中で起こった。ぶつけ合う気持ちが絡み合わなくなったのである。
お互いの気持ちをぶつけ、それが噛み合っている時は本当に楽しかった。しかしそれが噛み合わなくなると、まるで両刃の剣、お互いに
――どうしてなんだ?
と感じながら、戸惑いの中での付き合いになってしまう。お互いにぎこちなくなり、自然だったことが、自然ではなくなってくる。猜疑心が生まれ、そこから先は疑いが信頼よりも先に来てしまう。
そんな頃、会社でも少しずつ変化が起きていた。
それまでにも仕事でのトラブルが頻繁だったが、そのほとんどは自分が起こしたもので、いわゆるトラブルメーカーだった。
ちょっとしたミスから失敗を重ねてきたが、不幸中の幸いというか、自分の起こしたミスで大きなトラブルになることはなかった。
「こっちがミスっていれば、とんでもないことになっていたぞ。それを考えると恐ろしくなるな」
と先輩に言われたが、まさしく後で冷静に考えてみたら、何度冷や汗を掻くことになったことだろう。
「お前は運がいいんだろうな。これだけいろいろあって、大きなミスに繋がらないんだからな」
「それも一つの才能かも知れないな。羨ましいよ」
褒め言葉として受け取っていいのだろうか。いや、皮肉交じりの言葉なので、他意はないにしても、厳粛に受け止めなければならないだろう。そうは思ってみても自分の中で、
――何とかなるさ――
という気持ちが慢心に繋がらないとは限らない。運のいいのが本当に自分の人徳のようなものではない限り、心得ておかないといけないことだろう。
しかし、最近和子との仲が急にこじれ始めてから、自分を取り巻く環境が変わってきた。――鬱状態に陥りかけている――
鬱状態に陥る時、事前に分かる時がある。大体分かっているといっても過言ではないだろう。まわりの色が少し黄色掛かって見えたり、何か言い知れぬ胸騒ぎのようなものを感じる時というのは、鬱状態への入り口だと思って間違いなかった。
作品名:短編集85(過去作品) 作家名:森本晃次