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短編集85(過去作品)

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 彼女は二歳ほど目黒よりも年上だ。古風という意味で考えれば、静子よりも和子の方の考え方が古風だったのかも知れない。年齢的に二十歳代後半になってくると結婚をするものだと思っていたようで、執拗に結婚という言葉を表に出していた。
 普通ならそこまで言われてしまえば、
――別れよう――
 と考えるものだろうが、その頃には別れることができないほどになっていた。それだけ和子に入れ込んでいたというのも事実だし、
――自分と別れて他の男と……
 と考えただけで、脂汗が出てきて身体に痙攣が走り、たまらなくなってしまう。それだけは避けたかった。
――もう和子のいない生活なんて考えられない――
 その頃には半同棲のような生活をしていた。和子が目黒の部屋に駆け込んできたような形だったが、そこまで来れば完全に情が入ってしまって、和子抜きの生活など考えられない。
 まわりを引っ掻き回していると感じながらどうすることもできない自分に腹を立てていた目黒だが、和子はどう感じていたのだろう。お互いにお互いをむさぼるような激しい恋愛、まさしくそういう時期だったに違いない。
 そんな恋愛が長続きするわけがない。
「ねぇ、もう別れましょう」
 別れ話を持ちかけてきたのは和子の方だった。
――こんな結末だってあるかも知れない――
 と考えていた中の一つだが、可能性としては低いと思っていた。お互いにむさぼるような愛を貫くという覚悟があったつもりだったが、和子の方から別れを言い出されては、状況に流されないように気をしっかり持っていたつもりが、一気にくたびれてしまった。
――この結末が一番しっくり来るのかも知れない――
 自分から諦めを言い出すような性格でもないし、そんな気は毛頭なかった。逆に和子に言わせる方がある意味気が楽である。
 自分が卑怯な性格に見えてくるくらいで、なぜなら、
――憎んではいけない。和子はお互いのためを思ってくれたんだ――
 と、心の底で思いながら、和子を憎むことで自分を正当化できると思っている自分がいるからだ。
 自分が弱い人間であることをその時に初めて悟った。和子にはお礼を言わないといけないのだろうが、さすがにその時は精神的にどうしようもなかった。何をやってもうまくいかない、そんな時期が続いた。
「失敗が多いぞ」
 上司からは言われていたが、何も言い返せない。そんな性格が今でも残っている。いや、元々あった性格なのだろう。その時に初めて自分の性格に気付いたに違いない。とにかく言い返せないだろうと思ってもやってしまう性格。そしてそれをやはり言い返せない自分、本当に憤りを感じてしまう。
 学生時代に社会人になると人間関係が一番辛いと教えられてきた。就職活動の際の先生からも言われたし、会社訪問の前にやる恒例の先輩への訪問、その時も同じことを言われた。
――何がきついというのだろう?
 不思議で仕方がなかった。自分の考えを普通に話していれば、それでいいのではないかと単純に思っていたがそうではない。確かに最初はそれでも許されるのだが、相手にもいろいろいて、自分の考えと違う人もかなりいるのだ。
 せっかく資料をまとめても、難癖つけていろいろと言われてしまう。いくら最初は自信を持っていても何度も難癖をつけられれば何が正しいのかが分からなくなる。
 特にまだ会社に入って間がない新人には酷というものだ。
「どうだい? 分かってきただろう。社会というのは毎日がそういうことの繰り返しなんだ」
 先輩の言うことももっともだ。要するに人から言われないだけの自信を自分につけることが大切なのだ。それができないと苦しいのは自分である。
 理屈は分かっても実際にそれを行動に移すことができる人とできない人がいる。
 そしてできる人でも、すぐに受け入れられる人と、受け入れられない人がいるのだ。いわゆる順応できるかできないかだ。
 目黒はなかなか順応できなかった。とにかく自分の中で理解して整理することが難しい。元々整理整頓には向いている方ではなく、大雑把な性格だったのが、社会に出ていきなり災いしてしまった。
――理屈が分かっているんだから何とかなるだろう――
 という考えでいるから、順応はできるだろうと思っていた。しかしやはりその間が苦しい思いをしなければならない。自分が躁鬱症の気があることに気付いたのは、その時だった。
 躁状態の時は、本当に何をやっていても楽しい。人から少々悪口を言われようが、気にしなければいけないことまで、
――別にいいや――
 と思えるくらいになっている。そんな時は自分の今見ている世界が本物なのかどうか分からないと思っているくせに、あまり気にしない。
 しかし、鬱状態に陥ると今度は反対である。気にしないでもいいことがすべて気になる。信号の色や、ネオンサインがやたらと鮮やかに見えていて、ハッキリと見えている自分が恨めしく思う。現実であってほしくないと思いながらも、目の前がハッキリとしすぎているために、これ以上の現実はないのだ。
――現実逃避――
 この言葉が一番ふさわしい時期であり、恨めしい時期なのだ。
 会社に馴染めない時は周期的な躁鬱状態の繰り返しだった。他の人たちがどんな目で目黒を見ていたか分からないが、きっと目黒だけではないのだろう。あまり目黒だけをおかしな目で見ているわけでもないし、鬱状態から抜け出せることが分かり始めた頃に感じるまわりの目は温かみを帯びているようにさえ感じられた。
 会社に馴染み始めたと思ったのは、そんな温かいまなざしを意識し始めたからかも知れない。人のまなざしをこれほど真剣に感じたことは今までになかった。もちろん、普段から嫌味な人はさすがに温かい目を感じることはないが、それすら、あまり気にならなくなる。それが躁状態への入り口だと言っても過言ではない。
 鬱状態がいつも決まった周期で長さも大体二週間足らずだということに気付いたのはすぐだった。まなざしを感じるようになったからなのか、それとも、自分の中で気持ちをコントロールできるようになったからなのか、どちらにしてもいい方向に向かっていることに間違いはない。
 それでもなかなか順応できないのは、
――人に染まりたくない――
 という信念を持っているからだ。すべての面で人より少しずつ優れているといわれるよりも、
「一芸に秀でている」
 といわれることに生きがいを感じる。自分が芸術家肌だと思うようになったのは、大学に入ってからだった。
 会社に慣れ始めた頃に出会ったのが和子だったのだ。自分にそれなりに自信が生まれ、会社でも何とかやっていけると思っていた時に出会えたことで、自分の自信が間違いのないものだと思えたのだ。
 躁鬱症の時でも、自分が弱い人間だとまで思えなかった。躁鬱症は自分だけではなく、皆が掛かるものだと思っていたのは、いわゆる「五月病」という言葉を聞いたからだ。
「五月病」は大抵の人が掛かる「麻疹」のようなものである。学生時代に掛かればそれほどひどくないが、社会に出て掛かれば少しひどい場合がある。それはまわりの環境の違いによるもので、麻疹のように受け入れる身体の成長によって違う場合に似ているのではないだろうか。
作品名:短編集85(過去作品) 作家名:森本晃次