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短編集85(過去作品)

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 どこかで見たことがある顔だと思ったのは、最近文学賞を受賞した作家で、週刊誌に顔が出ていたからだ。
 だがその作家を見たのはその時が最初で最後だった。週刊誌に出ていたといっても、気にして見ていなければ気にはならないほど、小さく載っていたのだ。なぜ気になったかというと、顔というよりも雑誌に載っていた表情が、どの角度から見ても、見つめられているように見えるからだった。
 下から覗いても、上から見ても、その視線はじっとこちらを捕らえている。グラビア雑誌などで、表紙を飾るアイドルが紙面いっぱいに満面の笑みを浮かべているのとは違う。まったくの無表情で、まるでお札の肖像画のようだ。
――ということは威厳を感じたのかな?
 確かに総司は自分よりも才能があったり、上の立場にいる人に対し、必要以上にかしこまってしまうところがある。それだけに諦めも早く、まわりから冷めているように見られて損をしてしまうことが多い。
「君の場合は欲がないというか、謙虚というか、どう表現していいか分からないところがあるね」
 飲み会などで上司に言われるが、苦笑いをするしかなかった。
 その作家の話が頭の中で繰り返される。皆が同じ感覚になれる小説というのは究極なのだろうが、どんなものか読んでみたい気がする。少し怖い気もするが、それが果たして作家の意図したところであるならば、すごいことだろう。
 テレビで話していた作家も、
「私も、以前にそんな作品に出会って、人を共感させるだけではなく、本当に同じ視点に立って読めるような作品を目指そうと思ったんです。作家によっては、皆それぞれ違う視点で見るから小説って面白いんだと言われる方もおられますが、それはそれで正論だと思います。しかし、私が目指すのは、“小説のカリスマ”のようなものなのです」
「小説のカリスマ」とはよく言ったものだ。人を引きつけることのできるものがカリスマであるならば、まさしくその通りだ。
 人間としてのカリスマを総司は自分に備えようとは思わない。あまり人との交流を大切にしたいと思っていない総司は、会社の仲間にしても、あくまで仕事上での付き合い、決して心を許そうとはしない。
 それは女性に対してもそうだった。特に藍子と別れてからは、完全に女性に対する見方が変わってきた。どこがどう変わったのかと聞かれれば明確に答えられないだろう。しかし、少なくとも甘えたいという気持ちは消えていた。どちらかというと、女性を自分の気持ちの中で支配したいという気持ちが生まれていた。
 支配という言葉に語弊があるとすれば、それは精神面よりも、むしろ肉体的な意味での支配を望んでいるのかも知れない。
――精神的な面を支配などできるはずがない――
 という思いが根本にあるから考えることなのだろう。
 そんな総司だからこそ、「カリスマ」という言葉に反応して、作家のトーク番組が頭から離れないのかも知れない。
 そんなにいろいろなことを考えるほど時間が経っていたのだろうか?
「お客さん、着きましたよ」
 タクシーの運転手が後ろに身を乗り出して総司の身体を揺すっている。
「え、ええ、ありがとう」
 急に現実に引き戻された感覚があったが、身体を揺すられないと現実に戻れないほど、意識が朦朧としていたのかと感じた。運転手はニコニコ微笑みながら、最後までその表情を崩さなかった。田舎の純朴さに触れた感覚である。
 先ほど見たと思った黒く迫ってくる屋根は何だったのだろう。夢だったのだろうか?
 そう考えると今も夢の続きのような気がしてくる。先ほどまで後姿しか見ていなかった運転手が、今度は正対している。鏡に写った顔とどこかが違っているように思う。気のせいだろうか?
 タクシーが道の向こうに消えていくのを入り口から見ていると、峠から見下ろしているせいか、山が小さく見えてしまう。遠近感が取りにくいのか、それとも日が暮れてしまって、そこまで迫っている夜の帳を意識しているせいか、次第に深緑に染まっている山に、目の焦点が合わなくなってくるようだ。
 綺麗な景色は明日へのお楽しみに取っておいて、とりあえず目的の温泉と、おいしい食事に舌鼓を打ちたかった。宿の人の案内で部屋に入ると、すっかり気持ちは寛いでいた。
 ゆっくりとした気持ちの中、まずは温泉ということで、宿の人の案内で連れて行ってもらったところは、山が四方から迫ってくるような谷になった露天風呂だった。
「明るい時間帯であれば展望露天風呂がございますが、こちらは夜になるとお勧めしているところなんですよ」
 なるほど、狭い空間ではあるが、夜になると闇に紛れているためか、壮大さを感じさせる。壁がなくともまわりは闇、限られた場所からであっても、空に散りばめられた煌く星は、実に綺麗で壮大である。
 暗い中で白い湯気だけが立ち込めている。空へと向って伸びていて、ある一点までくれば闇に紛れてしまう。
――昼に見ればどんな光景なのだろう?
 昼の光景を思い浮かべてみたが、不思議なことに昼の光景であれば、かつてどこかで見たような気がしてくるのだ。それにしても今回の旅行で、
――前にも見たような気がする――
 と感じたことが何度あったことだろう。比較対象がないだけに何とも言えないが、見たことがあるという偶然は、場所というよりも、記憶の中の感覚に由来するものが大きいのかも知れない。
 今までにも同じように、前にも見たことがあると感じたことがあったはずだ。それが思い出せないでいる。
 温泉に浸かっていると、白い湯気の向こうに影が見えてくる。人にしては大きく見えるが、影として浮かび上がっているのだから、当然それほど大きなものではないことは想像できる。
 最初は熊のように見えて怖かったが、慣れてくると水音の小ささから、驚きは徐々に薄れてきた。逆に静かになっていくことで、恐怖を煽っているようで、気持ち悪い。
 一日の中で人が大きく見えることがある。夕方の一定した時間であるが、時間帯にして大体五分くらいのものだろうか。急激に闇が迫ってくるのを感じる途中の時間を切り取って、まるでコマ送りをしているように感じる。
 風もなく、音が迫り来る闇に吸収されてしまいそうに感じる。風がないのは、いわゆる「凪」と呼ばれる時間帯で、魔物が現われやすい時間だと昔からされているように聞いたことがある。だから、田舎の人は闇を恐れ、闇へと運ぶその時間を敏感に感じ取っているとのことだった。
 「凪」の時間は目の錯覚なのかも知れないが、目の前のものがモノクロに見えるらしい。それまで眩しいオレンジ色だったものが急に真っ暗になってしまう。その急激な変化にモノクロに見えるのだろう。
 現代であれば、一番交通事故の起こりやすい時間である。真っ暗な時間帯よりも錯覚を呼びやすいのか、影に見える部分が実際に人間だったりするのか分からない。見えるはずのものが見えなかったり、見えないはずのものが見えるのもこの時間なのかも知れない。
作品名:短編集85(過去作品) 作家名:森本晃次