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短編集85(過去作品)

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 と感じたほどだ。
「あそこの温泉は観光ブックにも載っていないにもかかわらず、なぜか来られる方が多いんですよ。人づてということもないはずなんですが」
 運転手の話は意味深だった。どこか興味を引く内容である。それがどこから来るものか分からなかったが、ミラーに写った顔は無表情で、笑っている様子もない。
 運転手の顔を見ていると、いつの間にか車は商店街を抜け、田舎道へと入り込んでいた。
どちらを見ても同じ風景、気がつけば夕日も山に隠れてしまっていて、右側と左側では、明るさがまったく違っていた。厳密に言えば、同じ風景ではない。明るさの残った部分と闇に包まれた部分では、おのずと違った様相を呈している。
「ここの温泉は、昔落ち武者が逃れてきたという噂もある温泉なんですよ」
「噂だけなんですか?」
「ええ、おおっぴらに匿ったなどと分かると、村全体が崩壊の危機ですからね。しかし後世にそのことを伝えたかった人もいたようで、書面としては正式に何も残っていないのですが、伝説として残っている次第ですね」
「それはそうでしょうね」
 その名残りがあるからか、宣伝をしていないのだろう。だが、それだけに秘境としての魅力は十分にある。それにしても会社の同僚はよくこんなところを知っていたものだ。
 それにしても、進めば進むほど、どこかで見たことがあるように思えて仕方がない。
 今度感じたのは、白い帽子の女性がこの光景のどこかにいたような感覚である。日が暮れて暗くなればなるほど、白い帽子が映えて見えるのだ。
「ほら、そろそろ見えてきましたよ。あそこです」
 運転手が指を刺したが、そこに見えるのは、暗闇が差し掛かっている中で、不気味に浮かび上がっている黒い屋根だった。もう少し暗ければ見ることができないだろう。玄関先には灯しが炊かれていて、昔の本陣のようである。戦国時代にタイムスリップしたような感覚、落ち武者伝説を聞いていたから余計に時代の重たさを感じさせられた。
 近づいてくるにしたがって、次第にその大きさが明らかになってくる。山間の中でポツンと建っている一軒の温泉宿というのは、以前にも経験があるが、それもここまで大きなものではなかった。
 あれは学生時代に訪れた一軒の温泉宿、そこは、山間を走る国道の横にあるところで、気付かなければ民家がポツンとあるだけにしか見えないだろう。なぜその温泉宿に寄ってみようと考えたかハッキリとその時の心境を思い図ることは難しい。
 その時は友達と二人だったのだが、最初に気がついたのはその友達だった。その時は泊まる宿など決めずに、ただ行けるところまで行こうというだけの計画だった。場合によっては、車の中で寝てもいいと思ったくらいである。当てのない旅であった。
 そもそも、
「綺麗な星空が見たいな」
 と言い出したのは友達の方で、実はまったく同じ事を考えていた総司はビックリさせられた。まるで心の底を見透かされているようで気持ち悪かったが、頭に浮かんでいた星空が急に現実味を帯びてきた。
 思い立ったが吉日、なるほど来てみると、乾いた空気に星が煌いていた。点いたり消えたりとまさしく夜空の祭典、生きているかのようである。
 遠くに見えるはずの山が暗闇の中で怪しく浮かび上がる。その向こうに広がる星空は手を伸ばせば届きそうで、思わず手を伸ばしてしまったくらいだ。車の中でしばし見とれていたが、寒気を感じてきた。
 寒気を感じてくると、急に寂しさが襲ってきて、どこかで暖まりたい気持ちの中に、包まれたい気持ちがこみ上げてきたのを感じた。
「やっぱり、どこかで泊まろうか」
 総司が持ちかけると、
「そうだな、それがいい」
 まるで言い出すのを待っていたかのように、二つ返事だった。もう頭の中には布団の中に包まれた暖かさが浮かんでいたようだ。
 宿はすぐに見つかった。来る時はそのつもりではなかったので、見過ごしたのだろう。確かにその気がなければ見逃してしまうに違いない。
 そこで見つけた一軒の温泉宿、普段なら探している時にはなかなか見つからないということが多いのに、よく見つかったものだと二人で感心していた。
「山の神様が僕たちを見るに見かねてくれたんじゃないか?」
 と友達が言っていたが、それほど秘境と呼ぶにふさわしい温泉宿だった。
 宿は、普通の民家を改造したもので、看板も、生え放題の木に隠れていた。帰り道だから分かったようなもので、行きは完全に隠れている。
 あれからもう数年経っているというのに、その時に見た光景はまるで昨日のことのようだ。深緑の闇の中に、屋根が覆いかぶさっているような光景、まさしくそんな表現がピッタリである。
 宿に着くと、友達の体調に変化があった。少し疲れが出たのだろう。身体がだるいということで熱を測ると、軽い微熱だった。しかし、よく見ると顔は浮腫んで見え、青白い表情は明らかに体調が悪そうだった。
「僕はあまり熱を出さないから」
 と言っていたが、そういう人間が却って熱に弱かったりする。
「熱がある時はおいしいものを食べて、ゆっくり寝るのが一番ですね」
 女将さんがそういって食事の後に布団を敷いてくれた。
「すみません、お世話になります」
 そういうと、食後に飲んだ薬が効いてきたのか、すぐに眠りに就いていた。
「残念だけど、温泉は一人で浸かってきてくれ」
 そういって友達が送り出してくれた。温泉は露天風呂になっていて、少し離れたところにあるようだ。仲居さんが案内してくれるということなので、ついていくことにした。
「こちらへどうぞ」
 仲居さんというからにはおばさんを想像していたが、現われたのは、まだ学生と思えるほどの女の子だった。和服を着ているので、実際の年よりも若く見えるかも知れないが、それでもまだ二十歳そこそこだろう。
 あまりジロジロ見てはいけないと思いながらも、目が行っているのだろうか、あどけない表情でこちらを見ている。少し上目遣いになっているそのまなざしは、大人と子供の間を行き来しているように見える。瞬きして再度目を開ければ、どちらになっているのだろう。興味津々である。
 一度通りに出て道を渡ると、その先には小さな道が作られていた。道というにはお粗末であるが、何となく暖かさを感じる。
 きっと宿の人が温泉を作るために自分たちで整備したのだろう。それだけの時間が掛かったのか分からないが、業者の手に寄らないところでの一生懸命さが滲み出ているような暖かさを感じる。
 闇が森をさらに深く見せている。どこまでが森なのか、どこからが空なのか分からない。歩き始めてそれほどでもないにもかかわらず、すでに自分がどこにいるか分からないような錯覚に陥るのは、思わず見てしまった空のせいかも知れない。
 露天風呂まで来ると、脱衣場が見えてきた。ヒノキでできたかのような木の壁に、わざとであろうか、裸電球が当たって鮮やかな色を映し出している。
「おや?」
作品名:短編集85(過去作品) 作家名:森本晃次