短編集85(過去作品)
記憶に残っていることとして、都会の国道沿いの横に児童公園があったこと、田舎道の田園風景の中に、なぜか大きな墓石が積まれていたのが印象に残っている。
――きっと、都会の道と田舎道に対する自分の中のイメージが、児童公園と大きな墓石だったのだろう――
と思えてならない。
国道沿いの道に関しては、確かに出勤途中に児童公園があり、そのイメージそのままに記憶に残っている。だが、田舎道に関しては記憶がなく、子供の頃に見たかも知れないという程度のものである。
田舎に一人で行った記憶がないからかも知れない。母に連れられて親戚の家に行った記憶があるが、その時の記憶は非常に薄いものだ。連れられて行ったというイメージが、記憶を薄くしているのだろうか?
総司は一度結婚を考えたことがあった。
相手は会社の女性で、同じ課の事務員だった。
名前を藍子といい、相手もその気だった。いや、最初に惚れたのは総司だったが、結婚に執着したのは藍子の方だった。正直まだ結婚について漠然としてしか考えていなかった総司にとって、藍子を手放したくない一心で考えた結婚という二文字である。
本当にどれだけ真剣に考えていたのだろう? 自分でもハッキリと分からない。それほど漠然とした考えでいたのだから、親から見れば、気持ちの中など手に取るように分かったのかも知れない。
「あなたにまだ結婚なんて無理です。相手のことをしっかり考えていない証拠ですよ」
母親に掛かれば一刀両断であった。しかし、結婚に執着する藍子を繋ぎとめておくには結婚を考えるしかなかった。
――結婚してしまえば何とかなるさ。見合いだって、出会いから始まるじゃないか――
という気持ちでいっぱいだったが、考えを口に出すことはできなかった。口では絶対に負けるからである。きっと数回会話のやりとりをしただけで、言い返せなくなってしまうだろうことは目に見えていた。それならば、黙っている方がマシなのだ。
総司はいつもそうだった。
都合の悪い時には黙り込んでしまう。下手に動いてまわりから攻撃を食らうより、黙っていてやり過ごす方を考えようとする。
「あの子は頑固だからね」
母親のそんな言葉を、長所のように聞いていたが、今考えれば決して長所ではない。社会に出て、それが通用しないことが分かったのだ。
黙っていれば、すべて承知のことだと解釈される。
「聞いていませんでした」
は通用しない。そのことは、皆が分かっている。ということは、皆それぞれ同じような思いがあるということなのだろうか。だから逃げの気持ちであることを感じ、妥協を許そうとしない。皆それぞれ育ってきた環境は違うだろうが、結局考え方で通らなければならない道は、同じように通ってきたに違いない。
――案外、目の前にいるまったくの他人と、同じ道のすぐ横を歩いてきたのかも知れない――
そんなことを思いながら道を歩いていると面白いものである。すべての人と必ずどこかで一度は会っているように思えてくるから不思議だ。
時々そんなことを考えているが、考えている端から忘れていく。そして何かの拍子に思い出していくのだ。
ローカル電車が目的駅へと到着した。白い帽子の女性もその駅で降りるようだ。その駅は温泉宿があるだけで、他にはこれと言って何もないところである。温泉宿にしてもガイドブックに載っているというわけでもないほど静かなところで、総司は同僚に聞いてやってきたのだ。
なるほど、駅前は寂れていた。商店街があるにはあるが、店はほとんど閉まっている。それでも電車が到着すると駅前にタクシーが二、三台待機している。白い帽子の女性はどこを見向きするということもなく、タクシーに乗り込んでいた。
総司は少し駅を降りてからあたりを見渡す余裕を感じていたが、まだ西日が山の合間からこぼれていて、若干の暖かさを保っていた。
そろそろ山に隠れようとする西日は最後の明るさと暖かさを現しているようだった。
このあたりは山間にあたるようで、普段生活しているところと、温度差がかなりあるようだ。風はほとんどない。それなのに、駅に降り立ってすぐに、手の感覚がなくなってくるほど凍てついている。
両手を思わず口元に持ってくる。
「ハァー」
息を吹きかけると、白い煙が上がっていった。
次の瞬間、身体が震えた。一気に寒さを感じたからだ。タクシーまでは、ほんの数歩でいける距離である。目の前にいるタクシーに近づいても、近づけば近づくほど、遠ざかっていくように感じたのは、気のせいであろうか。
小さな駅の小さなロータリー、そこはどこかに壁のようなものがあって、そこから先は別世界が広がっている気がした。目の前の景色は間違いのないものだろうが、どこか平面的なものを感じる。
遠近感がないように思える。明るさも感じているよりも暗く感じて、晴れているのに、途中から曇っているように見えるのだ。
どれくらいの間、見つめていただろう。結構な時間だったように思ったが、実は一瞬だったようにも思える。
――一瞬の夢――
現実を見ているようで、実は夢を見ていた。そんな気持ちになったことは、今日が初めてではないように思えた。
何かから逃げ出したいと思う時に、感じることだと思っていた。
今まで生きてきて、いろいろ逃げ出したいと思ったことがあったはずだ。それは大きなこと小さなことさまざまで、年齢を重ねるごとに、重く、そして頻繁になってきたことだろう。
胸の鼓動が激しくなり、耳鳴りが聞こえてきて、まるで自分ではない感覚。現実逃避しているはずなのに、すでに自分はその中にいないことを分かっていない。
だが、客観的に自分を見ているもう一人の自分に気付いてはいた。いつのまにか身体を離れて、客観的に見ている自分は夢のようでもあるが、それにしては見ているのが夢だと感じるのもおかしなものである。
目が覚めてしまってから思うから夢だと思うのだろうか? いや、夢を見たこと自体ほとんど覚えていないので、考えにくいことだ。現実逃避するには現実が分かっているから逃げたいと思うのであって、夢の中ではもう少し都合よく考えるのではないだろうか。そう考えると、夢というのが無限に感じられるが、所詮は意識の中から超越できるものではないことを知るようだった。
しかし、今度の旅行は現実逃避などであるはずがない。目標をやり遂げて、そのご褒美を自分にあげるための旅ではないか。気持ちに余裕がありすぎるから、普段と違った気持ちになるのかも知れないが、夢を見ている環境ではないように思えてならない。
タクシーに乗り込んで行き先を告げる。しかし、タクシーも行き先は分かっているようで、別に聞こうともせずに発車したところは、さすが田舎といえるだろう。タクシーの中は暖かく、却って表との温度差からか身震いをしてしまったのを見て、運転手が話しかけてきた。
「お客さん、ここは初めてですかい?」
「ええ、初めてですよ。何でも落ち着ける温泉があると聞きましてね」
その言葉を聞いた瞬間、バックミラーに写った運転手の顔が怪訝に歪んだ。しかしそれは一瞬で、気にならなければ気付かずに過ごしただろう。
――あれ? 似たような人を乗せた経験でもあるのかな?
作品名:短編集85(過去作品) 作家名:森本晃次