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短編集85(過去作品)

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なぜなら時計の示す三十分前は、まだ自分はコンビニでの勤務時間だったはずだからだ。
――ひょっとして、前に会った時と頭の中で混乱しているのかな?
 と感じ、まわりを見渡してみた。まわりには、奥の席に客が一人いるだけだった。
 その人は熱心に本を読んでいる。一心不乱にである。橋本がいるのを知ってか知らずか、頭を上げようとはしない。むしろ、その人のまわりだけが、違う空気に包まれているといってもいいだろう。
 店ではクラシックのBGMが流れているが、その時に感じたのは、耳鳴りに包まれて聞こえてくる音楽である。キーンという音がまるでオブラートのようになり、オブラートの隙間から侵入してくるように聞こえてくる音楽は、まわりのざわめきを掻き消すようである。実に新鮮であるが、元の音の大きさが分からないだけに、夢うつつの中にいるのではないかという気持ちに陥ってしまう。
 喫茶店で本を読むことは、今までにもあった。だが、まわりへとすぐに気が散ってしまう橋本は、目の前の男のようにじっと本に集中することなどできない。しかも首に疲れを感じ、必ずどこかで頭を上げているだろう。微動だにしない目の前の男を見ていると、それこそ時間の感覚を忘れてしまう。
 そういえば店の人はどこへ行ったのだろう。
 カウンターからは水が流れる音が聞こえているが、音にまったく変化が感じられない。もし洗い物をしているのであれば、水飛沫の音や、乾いた陶器の当たる音が小気味よく聞こえてきてもよさそうなのに、気配もない。ただ水が垂れ流しになって、勢いよくシャーっと弾く音が聞こえるだけだった。
 それがどれくらいの間続いたというのだろう。昼下がりに感じる西日が差し込んでくるような心地よさがあった。それはまるで冬の寒い日に、ガラスの扉を通して暖かい日差しを浴びている縁側でのひと時のような心地よさである。
 高校を卒業するまでは、縁側のある木造の家に住んでいた。おばあちゃんが一緒に住んでいたこともあってか、縁側が好きな子供だった。
 縁側にいるのが好きだったのは、中学の頃が一番だっただろう。時間があればいたように思う。
 縁側にいる時は必ず本を持参していた。読みふけることもあったが、本を読んでいるとすぐに眠たくなってしまうタイプで、しかも場所がポカポカの縁側、気がつけば本を片手に寝ていたことも何度もあった。
 そんな時は、必ず夢を見ていたように思う。その時々で内容が違ったようにも思うが、必ず目が覚める時は、同じだった。何かに驚いて目が覚めたように思えるのだ。
――目が覚めてそこが縁側だった――
 安心感でホッとしたのを覚えている。さらに汗で背中がグッショリとなっているのを感じると、やはりその夢が起きた時の現実とかなりかけ離れたいたことが分かってくるというものだ。
 今思えば、読んでいた本の世界に入り込んでいたようにも思う。縁側で本を読むのは気持ちに余裕ができるからだと思っていたが、さらに心地よい気持ちになりたかったからだということに気付いたのは、かなり経ってからのことだった。
 あまり幅広く読んでいるわけではなく、好きな作家の本を読み漁っていた。最初はミステリーから入った橋本だったが、友達の影響からか、テレビドラマの影響からか、少し奇妙な物語を読むことに嵌った。今、絵を描くのが好きなのもその影響があるからで、奇抜な発想の裏返しが、キャンバスの上に目の前の真実だけを忠実に描きたいという思いに繋がっている。
 嵌ったのは、好きな作家がいたからだが、その作家は作風同様、神秘性を持った作家として話題の人だった。写真も載せない、出版社にもその素性すらよく分からない作家としての話題性も強かった。
 小説の内容としては、SF、ホラー、ミステリー、それぞれを兼ね備えたような内容で、幅広さも感じるが、一貫しているところもあった。他の人にはマネできない作風は、きっと読者一人一人、感銘を受けるところが違っていることを暗示しているようだ。
 本を読む一番の醍醐味は、自分の世界に浸れることだ。それには、場所というのが大きな影響を示してくる。橋本にとって読書をオアシスに変える鍵は、縁側にあったのだ。
 最初に読んだ好きな作家の本を思い出している。少しいやらしい感じの内容だったが、あっという間に読んでしまった。そして感想は、
――ここで終わり? こんなのありかよ――
 というものだった。中途半端なところで終わってしまったように思えたからだ。小説に限らず文章には起承転結があるはずである。その作品は、「起」があって「転」が訪れ、いきなり「結」になった。読者に考える隙を与えない電光石火だったのだ。
――もう一度読まないと分からないぞ――
 読み手をうまく小説世界に引き込むのが小説家の手腕、実に見事に引っかかるのも愉快なものである。
 内容は短編が多く、それだけに歯切れのよさが目立つ。無駄な文章が一つもないように思え、集中して読もうとすることが作者の術中なのだろう。
 短編ということで登場人物、場面が限られる。にもかかわらずの電光石火、文章力もさることながら、読み手の心理をつくことが、それこそ深層心理をテーマとした作品に仕上がっているのだ。
 主人公が、これまた人を食ったような性格で、まわりの慌ただしさ喧騒さに振り回されることなく、わが道を生きている。しかし、本人の望む望まないにかかわらず、渦中に身を投じていくことがストーリー展開の骨格となっている。
――こんな生き方ができればいいのにな――
 破天荒な性格は、小説世界でしか出会うこともないだろう。どうせ想像の中の世界なのだから、出会いたいと思っている人の話を読みたいものだ。彼の作品はまさしく読者のそんな気持ちを代弁しているかのようだった。
 一度、その作家について、作品について友達と話したことがある。友達も本が好きで、誰の作品がいいというわけではなく、手当たり次第に読んでいるやつだった。
「あの人の作品、見る人によって主人公が変わって見える時があるんだよな」
「どういうことだい?」
「きっと自分が読みたいように読めるような作品になっているんだろうね。不思議な感覚だよ」
 その時は友達の話がよく分からなかった。自分が読んだ作品について話をしてみようと思ったのだが、いざ話をするために思い出そうとするのだが、思い出せない。まるで目の前が霧に包まれてしまっているようだ。
 だが友達の話だけは妙に引っかかっていた。そのためか、もう他の作者の作品が読めなくなっていたのだ。
 あやと会ったのは、次の日だった。橋本の場合、一人の人と会うとなぜか続けて会うというジンクスめいたものがあった。会いたいと思うからというだけでは説明がつかない。
 今度もあやが一人で来て座っている。じっと下を向いているかと思ったら、すぐに顔を上げて、橋本を見つめた。その表情はまるで舌なめずりをするようで、獲物を狙うヘビのようにしなやかだった。
 見つめられて動くこともできないが、この気持ちを味わうのは初めてではない。
 だが、本当に誰かに見つめられて感じた気持ちとはまた違う。誰かの目を通して感じたことのように思えてならないのだ。
――誰の目だというのだ――
作品名:短編集85(過去作品) 作家名:森本晃次