短編集85(過去作品)
夢という言葉を聞いてハッとした。
――同じことを考えているのだ――
彼女の夢の中を想像してみた。しかし出てくるのはいつも自分が見る夢でしかない。
――夢って、みんな同じような見方をするのだろうか?
そういえば実際の夢について友達と話をしたりしたことなどなかった。夢の中身についてはあったのだが、夢がどのようなシチュエーションで展開されるかなど聞いたこともない。理由の一つとして分かっているのは、自分でハッキリとしていないことだ。急に場面が飛んでしまったり、時間が飛んでしまったりする。さっきまで社会人だと思っていた自分が急に学生に戻っていたりなどである。
かと思えば、見たことのある光景だと思って見ている風景が走馬灯のようによみがえる時がある。夢の中でだと、
――あれは前の夢で見たんだ――
と感じることができるが、起きていると、夢で見たことだという自覚がない。夢の世界は違う夢であっても、現実から見れば、「夢」という意味では同じものなのだ。
SF特撮などで、地球人に対して宇宙人という言葉を使うが、どこの星の者であっても、宇宙人は宇宙人である。それをいうなら、地球人だって、アメリカ人であろうが、日本人であろうが、地球人には変わりない。要するに、比較の見地の違いではないだろうか。
そういう話をすると、一晩中でも語り明かすくらい好きなのに、夢ともなるとあまりにも漠然としていて捕らえどころがない。それだけに、どう話をしていいか分からないのだ。
夢のことを気にし始めると、時間が経つのを忘れてしまう。
「夢でお会いしたのかしら」
という彼女の言葉が頭の中で半鐘する。言葉の魔術に掛かったのではないかと思えるほどだ。
普段なら絶対に思い出すことのないはずの夢だが、彼女の夢を見たのは、かなり前だったという気持ちでいる。
――もうすぐ会社をやめるんだ――
と思った時で、その時はまだ会社を辞めるなどということは夢でなければ考えられないことだった。
夢が現実になるということは時々あるようだ。夢を見たから意識してしまうのかも知れないが、夢に見るほど思いつめていることもあるだろう。
――夢というのは潜在意識が見せるもの――
とよく言われるが、まさしくその通りである。
最初は、普通の話だったと思う。饒舌に話ができた。忘れてしまうほど舞い上がっていたのは、話が盛り上がったからだろう。
彼女は名前をあやといい、主婦である。喫茶店からは電車を二つほど乗り継いだところに住んでいるのだが、
「あまり家の近くにある喫茶店には行きたくないの」
「どうして?」
「だって、現実から離れたいから喫茶店に来るんですよ。なるべくなら少しでも離れている方がいいの」
なるほど、だから夢で会ったように思う橋本が気になるのだ、気持ちは分からないでもない。
普段、あやはこの店で本を読んでいるらしい。しかし、橋本に出会った時、あやの手には本がなかった。
「今日は出会いがあるような気がしていましたので、本は置いてきました」
「勘が鋭いのかな?」
「どうやらそのようです。夢に見たことが現実になったりすることも時々あるんですよ」
どこか神秘的なところのある女性だった。既婚者ということなので、それで落ち着いて見えるのだろうか。既婚者で、しかも女性で知り合いのいない橋本には、そのあたりは分からなかった。
気がつけば昼近くになっていた。
――結構話し込んだんだな――
時間を忘れるほど話し込むなど学生時代以来だ。学生時代であれば、将来のことや女性についてのことなどを話す友達がいたが、社会人になると、どうしても自分のことだけで精一杯である。学生時代にはそれだけ社会に対しての漠然とした不安や将来についての道筋などで不安に思っている人が多かったということだろう。
あやとの出会いは、少しずつ橋本の生活を明るくさせた。それまでは、趣味を持ってバイトをしているということに時間的な満足はしていたが、どこか釈然としないものがあった。それが寂しさであったということを、あやが教えてくれたのだ。
主婦というだけあって、明るさの中に落ち着きが見られた。雰囲気的に醸し出されていたもので、さりげなさがあったのだ。だからこそ、さほど緊張することもなく、時間を感じることもなく話ができたのだと思う。
主婦という言葉、妖艶で怪しげなものである。安物のビデオのイメージがあるからか、過激なイメージすら浮かんでくる。あやにも妖艶で怪しげなイメージを感じた。心の底で、
――深入りしてはいけない――
と思うのだが、話をし始めるとそんな意識は吹っ飛んでしまっていたようだ。
その日、一人になって考えると複雑な心境だった。会話の内容までは思い出せないが、楽しかった雰囲気が頭に浮かんでくる。思い出すというよりも頭の中で創造しているような感じである。夢見心地といっていいではないだろうか。
だが、相手は主婦である。そういう思いが心のどこかに現われたということは、話し込んでいるときは相手を主婦だと感じていなかったのかも知れない。
橋本は結婚というものに憧れを持っている。以前付き合っていた女性と結婚したらどんな家庭になるか、漠然とシュミレーションしてみたこともある。だが、憧れだけでできるものではないのが結婚、どうしても想像の域を出ることはなかった。
あやと次に会ったのは、それから三日後のことだった。同じ時間の同じ席にあやは座っていた。ただ、この間と違ったのは、あやの手に文庫本が握られているということであった。
「おはよう、今日も早いね」
「ええ、やはりここが落ち着くんですの」
と言って、また本を読み始めた。
「私、実はいつもは昼下がりに利用していましたの。でもこの間から出会いを感じるっていいましたでしょう? だから最近朝から来ることが多いんですよ」
この間と雰囲気は明らかに違っていたが、どこがどう違うのか、一言で言い表せるものではない。
よほど自分の感覚に自信を持っているのだろうか。そうでもなければわざわざ朝から来ることもあるまい。何しろまだ出勤途中のサラリーマンすらまばらな時間帯ではないか。声を掛けられることもなくずっと待ち続けていたということなのだろうか?
表を見ていると、まるで自分がたくさん歩いているようだ。皆俯き加減で、背中を丸めるようにして足早に歩いている。スピードこそまちまちだが、格好や雰囲気は一様に同じである。
顔まで同じに見えてくるから不思議だ。それもすべて自分の顔、鏡でしか見ることがないので、あいまいな記憶ではあるが……。
あやも同じように表を見ていた。どんな気持ちで見ていたのだろう。橋本と同じような気持ちで見ているに違いない。
「サラリーマンの人がいっぱいですのね」
「ええ、あの中に私はいたんですよ」
漠然と見ているつもりでも、自分がいたのだという意識が一番強い。あの中にいた時は意識などしたことがなかったが、こうやって見ると、何と生気がないんだという気がしてならない。
作品名:短編集85(過去作品) 作家名:森本晃次