家族と性格
知ってしまうと、我慢できていたはずの我慢が今度はできなくなってしまう。我慢の限界が、結界に見えてくるからだ。そこから先に一歩足を踏み入れてしまうと、もう元に戻ることはできない。そう思っても、結界を見てしまったことで、引きづりこまれてしまう状況に陥ると。精神が崩壊してしまい、精神異常に陥る。
「我慢できずに、精神に異常をきたした」
というのは、結界を見てしまったことで、自分が元に戻れないと自覚したために起こる究極の精神状態になるのではないだろうか。
恭一と父親の関係がそこまで行ってしまったのかどうか分からないが、もしそこまで行ってしまうのであれば、すでにその兆候は表れているだろう。
どんなに抗っても逃れることができないものを運命というが、運命にはいい運命と悪い運命がある。その二つは表裏一体で、
「一歩間違えば」
という場面がいくつも存在し。それが分岐点となり、その行先という可能性は無限に広がっていることだろう。
「父親のことを少しでも理解したい」
という気持ちになったこと、今までにあっただろうか?
気持ちになったことはあったかも知れないが、行動に移したことはないはずだ。ここまで性格や趣味趣向が違うことを意識せざる負えなくなってしまったのだから、意識してしまったとすれば、それを忘れてしまうなどありえないことだからである。
思い出そうとしても思い出せないのは、きっとそれまでにそこまで考えたことがなかったからに違いない。
恭一は父親に対して抱いている感情を常に否定しようと思っている。考えたことはすべてにおいて、間違っていると思うからだ。
もっとも、何が正解なのかを本当に求めているのか、自分でも分からない。正解を求めたところで、それが実際として問題の解決に繋がるとは思えないからだ。
「問題解決には。その問題になったことを探し出し、正解を求めることで、解決になるのだ」
という言葉はあまりにも形式的すぎる気がする。
もっと現実的でリアルな発想がなければいけないのだと恭一は思っている。
そんなわだかまりのある家庭に新たな家族が増えるというのはどういう感じなのだろう? 当然父親もわだかまりを感じながら生活をしてきたのであろうが、その中に、しかも自分と関係の深い相手を入れるというのは、一種の冒険に近いものだと思う。
むしろ恭一のように、直接的に官界のない人間の方が気が楽ではないか。確かに新たな血が入ることで、新鮮な感覚があり、お互いにけん制しあうことで葛藤や喧騒が生まれにくくなるかも知れない。しかし、それはあくまでも可能性という意味での問題で、実際にうまく行く可能性がどれほどのものか、お互いの性格をしっかりと把握していないとダメであろう。
少なくとも当事者にお互いの性格を把握できているというのは難しいかも知れない。恭一の場合は、自分の性格を思い図ったうえで、父親を見て、
「これは性格的にも趣味趣向の意味でもまったく違う」
と感じた。
だが、それは恭一が自分の性格をすべて把握してのことではなかった。むしろ父親との確執の中で、父親の性格を鏡として映すことで、自分の性格がどういうものなのか、分かってきたようなものである。
つまり鏡という媒体がなければ、できることではなかった。しかも鏡というのは、相手に自分を写すことで成立するものだけに、そこには左右対称という弊害がある。果たして相手を鏡とした時の、
「自分を写す媒体」
には、どのような弊害があるというのだろう。
恭一にはそこまでは分かっていない。鏡のような媒体の存在もハッキリと認識しているものではないだろう。
父親にしても同じであろう。自分を恭一に照らすことで、自分の性格を把握しているのだとすれば、どこまで自分のことが分かっているのか、分かったものではない。
そう思うと、恭一は自分も父親も相手のこと以前に自分のことを分かっているというわけではないことに気付く。
そもそも、どれだけの人が自分のことを分かっているというのだろう。自分のことが分からずに右往左往しながら、紆余曲折を繰り返して、時間とともに成長していくものではないだろうか。だが、それは自分個人だけにおいてうまくいくことであり。父親や息子との関係は、成長の間、わだかまりを残さない程度に収まっていることが条件ではないだろうか。そう思うと、今の二人の立場は実に微妙だ。お互いにどこまで理解し、相手を思いやるかが必要なのだろうが、相手を理解することができたとしても、それは自分が許容できるものだという保証はない。特にこの親子関係においては、これこそが一番の難関ではないかと思うほどではないだろうか。
だが、どうやら父親には何か自信があるようだった。それは自分のことというよりも、恭一のことを考えて、
「こいつとなら、大丈夫だ」
という自信である。
最初は、父親は母親しか家に連れてくることはなかったが、
「おい、今度表で食事をしようと思うんだが、都合のいい時を言ってくれ」
と言ってきた。
父親が外での食事を誘ってくるなど、母親がいた頃ならまだしも、離婚してからは一度もなかったことだ。それを考えると、この誘いはきっと新しい母親も一緒だということを暗示していると恭一は察した。
果たしてその思いは間違っていなかったのだが、
「いいよ。俺はいつだって」
というと、
「よし分かった。あっじゃ、明後日の金曜日の夕食を表で一緒に摂ろう」
といい、場所と時間はまた連絡するということになった。
実際に連絡を貰ったのは翌日のことで、午後六時、駅前での待ち合わせとなった。
駅前には有名ホテルも有名レストランも結構あり、食事を摂る場所としては事欠くことはない。それなりの恰好をして約束の日時に駅に向かうと、すでに父親は来ていた。金曜の夜ということもあり、駅前は待ち合わせの人でごった返していた。すぐに見つけることができない自分に、父親は手を振って分かるように手招きしてくれていた。
「おお、こっちだ」
と言って無表情で手を振る父を見て。違和感があった。
――こんなことができる人ではなかったはずなのに――
こんなことを平気でできる人なら、無表情というのが違和感を抱かせるが、逆に初めて見る光景に無表情というのは、実に当たり前に見えた。違和感を抱くだけでそれ以上の感情を抱くことがなかったのは、そのせいであろう。
父に寄り添うようにしてそばにくっつぃいていると思っていた、
「母親となるはずの女性」
は、そばにいなかった。
思わずあたりを見渡している恭一に対して、
「何をキョロキョロしているんだ」
と言ったので、
「いや、一人なのかと思ってね」
「新しいお母さんがいてほしかったか?」
と言われて、すぐに返事ができなかったのは、柄にもなく照れてしまったからなのかも知れない。
「いや、そんなことはない」
と口では言ったが、まんざらでもなかったのも事実である。
恭一は実際には父親が誰かと再婚することに関しては反対ではない。父親が恭一の本心をどのように考えているかは分からないが、恭一としては、
――きっと親父が思っているよりも、俺はずっと冷静だし、反対するような気持ちなんかない――