家族と性格
と言っただけで、別に感情を表に出さなかったが、その時の父はどう感じただろう?
「こいつ、どこまで逆らうんだ?」
と頭に来ていたのか。
それとも、結婚するというという感情の高ぶりから、それほど息子の感情に興味自体がなかったのか、ただ一言言って踵を返した息子にそれ以上何も言わなかった・
それから三日ほどして、恭一が学校から帰ってくると、珍しく父親は帰ってきていた。応接間で聞こえる話声が聞こえてきたことで、それが分かったのだが、相手が女性であることと、笑い声が聞こえたことで、見る前からそれが父の再婚相手だということは想像がついた。
すぐに階段を上がって自分の部屋に行ってもよかったのだが、せっかくだからと思い、応接間に挨拶した。
「おかえり」
それは相手がいるということは分かっていて、わざと父親だけにした挨拶だが、却ってそっちの方がよかった。父親に相手を紹介させるタイミングをうまく作ってあげることができたという意味で正解だったのだ。
「ただいま」
と父がいうと、その言葉を待っていたかのように、奥に座っていた女性が立ち上がると父も一緒に立ち上がり、
「まあ、ちょっとこっちに来ないか。お前に紹介したい人がいるんだ」
と言って、恭一を応接室に招き入れた。
「こちらは、今度お父さんが再婚しようと考えている方で山本さんだ」
と言って、掌を上にして、彼女を紹介してくれた。
紹介を受けたその女性は身体はあまり大きくなく、実の母親よりも小さかった。少しモジモジしたような様子で、若干下を向いたまま、
「あの、私山本美鈴と言います。お父様とお付き合いをさせていただいております」
と、言ってペコリとあいさつした。
――こんなにも緊張するものなのか?
と、こういうことはやはり実際に経験しないとその緊張感は分からないものらしいということだけは感じた。
「彼女は、お父さんの取引先の事務員をしているんだけど、お父さんとはここ二年ほど前からお付き合いをさせてもらって、この間やっとプロポーズしたんだ」
二年前というと、お父さんがあまり家に帰ってこなくなってからではないか。
――そういうことだったんだ――
と、知らなかったことではあるが、不思議と怒りはなかった。
それどころか、安心した気分になっていた。家に寄りつかないのは、家にいても面白くないとか、自分と顔を合わせるのが嫌だというわけではないということだけが分かっただけでもよかった。
もし、そうだったら、これからもずっとそんな関係が続いてしまって、親子関係が崩壊してしまわないかと思っていただけに、安心したというのも本音だったに違いない。
目の前に立ちすくんている二人は、実に神妙に見えて、自分の方が立場は上だとは思ったが、その微笑ましさに、結婚を反対するなどという意識はまったくなかったのである。
その日はぎこちない挨拶だけで終わったが、それから一緒に食事に行ったりすることもあり、徐々に相手の女性にも慣れてきた。さすがにいきなり母親として意識するなどできるはずもなかったが、それはそれで楽しいことだった。義理の母親とはいえ、結婚するのは父なので、自分があまり意識する必要もないだろうと思ったからだ。
ただ、大人二人はそれなりに気にしていたようである。何といっても思春期の男の子のこと、精神的に微妙でデリケートなものだということを考えていたのだろう。本人はそれほどでもないのに、変に気を遣っているのはよく分かった。
その頃はまだ知らなかったが、二人が恭一に気を遣っている理由にはもう一つあった。それは山本さんには娘がいるということだった。
彼女の方も再婚で、父との違いは夫だった人とは死別だったということだ。交通事故だったようで、即死だったということだ。いきなり夫や父親が急にいなくなったというショックは、恭一には想像を絶するものだったに違いない。
それでも、死んでから数年が経っているということで、父が知り合った二年前くらいというのは、まだショックが残っていた時期だったのかも知れない。父がそれを励ましてそこから男女の関係になったのだとすれば、そこに何ら問題はない。反対する理由もなければ、二人ともに幸せになってほしいと思うだけだった。
だが、相手に娘がいるということは、恭一にとって義理の姉か妹ができるわけである。父の話では妹になるそうだが、そのうちに遭う機会を与えてくれると言っていたが、恭一はドキドキしていた。
思春期を迎えてはいて、異性に興味を持つようにはなったが、実際に彼女ができたことはない。気になる女の子がいないわけでもないが、話しかける勇気があるわけでもなく、好きになった女の子は品行方正で誰にでも優しい。そんな女の子が恭一だけを好きになってくれるという可能性は非常に低いと思わざる負えなかった。
学校に行っても、どこかムズムズした感覚が芽生えてきて、それが精神と肉体のバランスを崩しているという証拠だということに気付いていなかった。
その特効薬になるのはやはり彼女を作ることしかないというのは分かっているのだが、気になっている女の子に対して声を掛ける勇気がないだけではなく、もし付き合い始めるようになったら、その女の子との関係がまったく見えてこないことが心配になってきて、恭一を不安にさせるのだった。
その理由の一つには、恭一の方で女の子と付き合うということがどういうことなのか分かっていないのが一番の原因だった。一緒にいて、何を話して、どのように接すればいいか、具体的にまったく頭に浮かんでこない。そんな状態で二人きりになったとしても、お互いにぎこちない空気が充満し、息苦しい状態が続くことで、ひょっとすると、衝動に駆られる行動に出るのではないかという自分の欲望を抑える自信がなかった。
「そんなことは誰だって最初に通る道なんだから、お前だけじゃない」
と言われるだろう。
しかし、実際にその立場に陥れば、どうしていいのか分からないというのが本音ではないだろうか。一番気になっているのは、
――もし、二人とも話題がなくて、無口になってしまった時、何をしゃべればいいのか――
ということであるが、それは自分が相手の傷つくようなことを口にするのではないかという可能性が非常に強いと思っているからだ。
相手も不安、自分も不安。相手の不安まで自分で背負わなければいけないと感じた時、プレッシャーとなって自分だけに襲いかかった時、
――どうして俺だけがこんな思いをしなければならない――
というプレッシャーから逃れようとして安直な考えに入ってしまうと、逃避行に走ろうとするだろう。それが、自己防衛本能というのので、このような場面では決して表に出してはいけないものだと感じた。
自己防衛という言葉を自ら感じてしまうと、本性が出てしまう気がした。本性が本能を通り越して、衝動だけで行動することになってしまったら、不安の相乗効果で、してはいけない行動に走り、収拾がつかなくなってしまう。
もし相手がそれを問題にしなくても、自己嫌悪に陥った後、罪悪感から自分を引きこもらせてしまい、表に決して出ることのない性格を形成してしまうのではないかと思った。