家族と性格
その日、父親は少し遅く帰ってきた。少し酒が入っているようだったが、普段に比べればそれほどのことはなかった。仕事の付き合いとは別に、さほど飲まないで帰ってくることもある。それを道子さんは知らないわけでもなかった。
ウスウスではあるが、
――どこかで、一人で呑んでいるのかしら?
と最初は思っていたが、どうやら一人ではないようだ。
その証拠にその日の服には決まって女性の香水の匂いがついていたからだ。
そのことを道子さんは父尾谷言及したり、ましてや責めたりすることはなかった。知らぬふりを続けていたが、それが父親を却って増長させる原因になったのかも知れない。それからしばらく父親のそんな、
「浅い酒を煽って帰る」
という所業は続いていたような気がする。
それをれっきとした浮気として実証することは不可能だが、道子さんはとりあえず、そんな日の状況だけはメモに残しているようだ、いざという時の証拠にと思っているのか、これも彼女なりの自己防衛なのかも知れない。
それにはいろいろな理由付けがあるのでないか。子供や自分のことで心配をかけて、それを晴らす間もなく死んでしまった元夫への義理立てであったり、娘に対しての愛情の注ぎ方が長男のこともあって、自分でもよく分かっていない中での子育てであることでの不安を与えているという自負もあり、今度の結婚に対してのそれなりに「保険」を持っていることは大切だと思っていたようだ。
「それなのに、どうして再婚なんかしたのか?」
と言われるかも知れないが、恭一の父は、実は道子さんとその元夫との共通の知り合いだった。
元々二人が結婚した原因を作ったのも父親で、二人にとってはキューピットのようなものだった。結婚後もいろいろ相談にも乗ってくれていて、他の誰にも話せないようなことでも父親には話せたようだ。
本当は、恭一がまだ小さくて物心もついていない頃、何度か家にも遊びに来ていたことがあるという。だから実の母もまったく知らない仲ではないだけに、二人の再婚は誰も驚くことではなかったという。
だが、二人とも再婚であることで、センセーショナルというわけにはいかず、地味な結婚でもあった。そもそも市子さんの元夫と道子さん、両親の四人は、ほとんど四人だけでつるんでいて、それ以外の仲間というとほとんどいなかったような関係でもあった。学生時代などはそれでよかったのだろうが、世間的に仲間が少ないのは、ちょっと気になるところでもあった。
そんな関係だったので、道子さんとの再婚はある意味、
「腐れ縁」
と言ってもいいかも知れない。
それぞれ連れ子があっても、それでもよかった。二人とも、
「お互いに一緒になるのが一番自然な気がする」
と思っていただけだった。
それだけに、道子さんへの父の愛情はそれほどでもなく、道子さんとしてもそれが分かっているだけに、寂しくもあったのだろう。父が遅く帰ってきた仕事以外の時も、浮気しているかも知れないと思いながらも、何も言わないのはそんな関係を今壊したくないと思ったからだ。
だが、実際には浮気をしていたわけではない。浮気するほど父親は根性が座っているわけでも、モテるわけでもなかった。お金があればそれなりにモテたであろうが、そういうわけでもない。だが、逆にお金を払えばモテるところがあるのも事実で、そんなところに通っていた。そんな時はあまり呑まないようにしていた。男の欲望のすべてを吐き出せるわけではないので、ある意味中途半端なストレス解消であった。風俗でも直接的な相手ができる場所に行く勇気もお金もない父親は、帰ってきてからというもの、一種の「ふて寝」に近かった。
そんなところに忍んでいくのだから、危ない危ない。一歩間違えれば、本当に畜生に落ちてしまう可能性がないとはいえない。
父親が、根性のない臆病者で助かったというべきであろうか。襲い掛かられた時はビックリしたが、最後は、
「お互いにこのことは黙っておこうね」
と優しく言ってくれたことで、すでに酔いも興奮も覚めていた父親は、自分の臆病を呪いながら、それでも一切悪いことをしたわけではない自分にホッとしていた。
咲江も自分の行動が浅はかすぎて、穴が合ったら入りたいと思うほどのことだけに、本当に誰にも知られたくなかった。その日は、これくらいのことしか書けないほどの、実際には大したことなく、事なきを得たということであった。
そのことは誰も知らないはずだった。しかし、
「上手の手から水が漏れる」
ということわざもあるくらい、どんなにうまく隠しても見つかる時は見つかるというののだ。
今回の発覚は実にひょんなことからであったが、それはこういうことだった。
なるべく息子は父親とは顔を合わさないようにしていたのだが、それは顔を見ればムカムカきて、何か言わずにはおれなくなるからで、父親の方も同じだと思うと、お互いに顔を合わさないのが一番だという暗黙の了解になっていた。
それは道子さんにも分かっているようで、二人が顔を合わさないようにうまくことを運ぶことが多かった。そもそも、この結婚に踏み切った理由の最大ではないが多くなところとして、
「息子との間に和クッションがほしかった」
という父親の思いがあったからだ。
父親としてみれば、息子は引きこもっているのが自分の責任だとは感じていたが、それだけではなく、
――ひょっとすると、学校で苛めに遭っているのではないか――
という思いもあったからだ。
実際に苛めには逢っていなかったが、苛めに近いものはあった。だが、恭一自身が孤独を嫌としないこともあって、それほど本人は気にしていなかったのも事実だ。
父親は今日意思hの中途半端なところが気になっていた。それは息子に対しての数少ない遺伝の一つとして、数少ないだけに分かっているのだが、そのことを息子が気付くはずもなかった。
その思いが息子に対しての憤りとなり、何かを言わなければ気が済まなくなっていた。
息子としては、余計なことを言われると、ただでさえ苛立っているところに抑えが利かなくなってくる。そう思うと、火に油だった。
最近は、仕事もうまく行かず、いろいろなところで小さなトラブルを起こしては、その火消しに躍起になるため、心身ともにその衰弱は激しかった。
「何をするのも億劫だ」
と言わんばかりで、毎日、酒を煽らないと我慢できなくなってきたくらいだった。
いわゆるアルコール依存症なのだろうが、呑むと言ってもさほどの量ではない。たまに呑みすぎることもあり、その日もその、
「呑みすぎた日」
の一日だった。
帰ってくると、いきなり水道で水を汲み、何杯か呑んだ。一気の呑んだこともあり、ついつい溜息や声が大きくなったようで、部屋にいた恭一が最初に飛び出してきた。
もう、部屋の中で布団に入ってウトウトしていた道子さんは、起きてくる分だけ出てくるのが遅れたのだ。
もうそうなると、道子さんは完全に飛び出すタイミングを失った。
「何やってんだよ。親父。しっかりしろよ」
と、まるで他人事のように酔いつぶれている父親を窘めた。
息子とすれば、
「しょうがないな」