家族と性格
恭一は、道子さんから、長男が亡くなっていることを聞いていた。咲江も少しは知っているようだが、それほど気にしていないと言っていた。もし知っていたとしても、親を独占したいと思うのは子供の常であろうから、死んだ兄のことを気にしている様子だったら、それは嫉妬に近い思いを抱くかも知れない。
咲江はそのことを恭一に話すことはなかった。
もっとも母親が恭一に話すなど思ってもいないからだろう。
道子さんが恭一に話したのは、寂しかったからというよりも、やはり恭一に対して息子を見ているような気がしていたのだろう。そして、
「そんなお義母さんを許してね」
と言いたかったのかも知れない。
その思いは恭一に対してもあるだろうし、亡くなった息子に対しても、
「あなた以外の義理の息子をあなたの代わりにしてしまってごめんなさい」
と言いたいのかも知れない。
道子さんのそんな気持ちを知ってか知らずか、咲江は今日も甘えてくる。
最近になって恭一は感じることがあった。
――お母さんが自分を見てくれなくなったのは、俺が現れたことで兄への慕情が深まったからではないだろうか――
と思っているとすれば、本当は恭一に対して嫉妬心を抱くべきであろう。
だが、そうしないのは、咲江の方でも本当は兄貴が欲しかったのかも知れない。母親が過去のことを気にするあまり、それに触れてはいけないという思いから、押し殺してきた気持ちがあるとすれば、何ともいじらしいことではないか。そう感じた恭一は甘えてくる咲江を拒否することはできなかった。
「おいおい、抱き着いてくるなよ」
と口では言うが、これも一種のご愛敬だ。
そう口では言っても、顔は笑っている。実に楽しそうなのが自分でも分かるのだ。他人事のように見れば、
「仲良くて羨ましい兄妹だな」
と思うに決まっている。
咲江の甘え方は日に日に増してきているような気がする。
「お兄ちゃん!」
と後ろから声が聞こえようものなら、顔が自然と緩んでいるのが分かる。
咲江の部屋は自分の隣の部屋になるが、コーポということもあり、中途半端な防音加工を施しているので、隣の声や音が聞こえてくることがある。
最初は、
――咲江にこっちの声が聞こえてこないだろうか?
という不安があったが、隣からさほど物音が聞こえないことでホッとしていた。
――咲江の方も同じことを思っていて、なるべく音を立てないようにしているのだろうか?
と感じたが、それはそれでいいことではないだろうか。
だが、そのうちにあまり隣から何も聞こえてこないこといたいして不満を感じるようになった。別に盗聴しようという腹積もりではないが、思春期前の女の子の部屋から何も聞こえてこないというのも少し不安に感じさせた。
ラジカセくらいは持っているだろうから、音楽くらい聞こえてきてもよさそうだ。何よりも物音ひとつしないというのは、生活感がなく、不安に陥るのも仕方のないことであろう。
ある日、
「俺の部屋、うるさくないかい?」
と聞いてみたことがあった。
「いいえ、そんなことはないわ。静かなものよ」
と言っていたが、彼女はそこに何の疑問も感じないのだろうか?
咲江の部屋の音を気にしながら暮らしていると、思わず盗聴してみたくなった。壁に耳を押し当てて少し聞いてみたが、そこからはやはり何も聞こえてこない。
――彼女は何をしているのだろう?
そう思うと気が気ではなかった。
衝動に駆られて隣の部屋の扉をノックした。何をしようというのではない。思わずノックしたのだった。
果たして出てきた彼女に何を言えばいいのか、考えあぐねている間に出てきた彼女は、
「何? お兄ちゃん」
と言って、いつものあどけない表情をこちらに向けているだけだった。
その時点になって情けないことにおじけづいてしまった恭一は、
「あっ、いや。何でもないんだけど」
と煮え切らない。
その様子を見た咲江は悪戯っ子のように、
「フフフ」
と微笑むと、恭一の手を取って、自室に招き入れた。
「あっ」
モノも言わせないという大胆な行動に、恭一は文字通り声も出ない。
「お兄ちゃんが来てくれるのを待っていたのよ」
と言って、ベッドの上に腰かけた。
初めて入る義妹の部屋、そこは想像していた女の子の部屋とは少し違っていた。女の子の部屋というと、薄いピンクを基調にした部屋に可愛らしいぬいぐるみなどがたくさん置いているというイメージだった。もちろん、かなりの偏見が含まれていたに違いないが、よく見ると何もない。ただ、匂いだけは甘いというよりも柑橘系の匂いがして、それが鼻腔を擽るのを感じた。部屋の奥には机とその横に本棚がある。勉強関係の本と一緒にミステリー小説が多く置かれているのには少しビックリした。彼女は妹としてはいとおしい存在だが、普段は勉強家で、ミステリーを好む女の子だと思うと、なるほど隣の部屋から何も聞こえてこなかったのは、勉強をしたり、読書をする時間が多かったからなのだと納得した。
「咲江は、ミステリーが好きなんだね?」
と聞いたのは、恭一もミステリーには造詣が深かったからだ。
本棚をよく見ると、自分の好きな小説家の本が結構並んでいる。趣味も合うのかも知れない。
中学に入ってミステリーが好きな友達の影響で読み始めたのだが、彼は、
「俺は将来は小説家になりたいんだ」
とうそぶくほどのミステリーファンだった。
彼との話にはミステリーに対して一種独特の発想、いや感性を持っており、話を聞いていてついていけないところも若干感じていた。彼の話はいきなり突飛な発想をしたり、急に何かを思いついたと言って、恭一を待たせておいて、ネタ帳に書き込んだりと、なかなか進展しない時もあれば、一気に持論をまくし立てる時もあった。話の中心はあくまでも彼で、会話において主導権を握った方が勝ちだという理論を実践していると言ってもよかった。
そのおかげで、恭一もミステリーを読むようになった。自分も小説家を目指そうなどという大それたことは考えたことはなかったが、小説を読みながら、犯人当てをしてみたり、トリック解明に躍起になってみたりと、これもミステリーファンとしての醍醐味を味わっていた。
「咲江はミステリーをどうして読むようになったんだい?」
と聞くと、
「前にドラマで見たミステリーが面白いと思って、それで原作を読んでみたの。そうしたら原作の方が面白いじゃないってなって、それで読み始めたのよ」
「なるほど、映像から原作を読むというのはいいことかも知れないね。逆に原作を読んでから映像作品を見ると、どうしても面白みが半減してしまうからね。どっちがいいかはその人の判断なのだろうけど、映像から入るというのは一つの入り方なのかも知れないね」
と答えた。
「ええ、そうなのよ。原作を読むと自分の想像力が豊かになって、いくらでもいろいろな発想ができると思うの。特に時代が古いものであれば、その時代背景も知りたいって思うでしょう? そうなると歴史を勉強してみたくなるの。私が勉強を始めたのは、それが一番の現認なのよ」
「じゃあ、別に中学受験ということで勉強をしているわけではないの?」