家族と性格
確かに前に進むことはいいことだが、一歩立ち止まってまわりを見たり、状況によっては一歩下がってまわりを見るということも必要である。それくらいのことは中学生になるまでに分かってきていることだと恭一は思っているが、
「では、それがいつ身に付いたことなのか?」
と聞かれれば、明確に答えられないのも事実であった。
恭一がおじけづいたことで、相手の道子もきっと我に返ることができたのかも知れない。そして自分が大人であり、目の前にいるのがまだ思春期の真っ最中である子供だと認識すると、今度は普段のような大人と子供の関係であった。
しかも、本能からの行動を垣間見た相手が、自己嫌悪に陥りそうになっている。自分が悪いわけではないが、自分に対して感情をあらわにしたことで、道子は道子なりに罪悪感を持ったのかも知れない。
――ごめんなさいね。私が悪いの――
と、言葉で呟いていたかも知れない。
道子は自分が親であることも思い出し、逆に最初に本能を見てしまっていた方が、今後のこの子に対してどのように接すればいいかということが、何も知らないよりもやりやすいとも感じた。
本能を剥き出しにしたというには、あまりにも情けない。おじけづいたのであるがら、道子としては味気無さすらあったかも知れない。
――私に魅力がないのかしら?
とさえ思えてきて、本当は恭一の中で、一瞬我に返ったことで、自分が本能、いや本性を剥き出しにする相手がいるとすれば、もっと違うタイプの女性であるということに気付いたのだろう。
とはいえ、立場は逆転した。いかに相手が何を言おうとも、立場は完全に道子の方が有利である。行動を咎めて、脅迫することもできるだろう。自分の思う存分の相手にしてもいいわけだ。
だが、道子はそんな気は毛頭なかった。目の前にいる怯えた男の子を正直に、
「可愛い」
と感じたのだ。
いくらおじけづいたとはいえ、自分に対して淫らな感情を持ってくれたことが、嬉しかった。
もちろん、父親から受けた愛情は嬉しいし、最高だと思っている。しかし、恭一に感じた思いはまったく次元が別の感情だった。
――きっとまだ死んでいった息子のことが頭の中から消えない――
ということ思い知らされた気がしていた。
母親とそんなことがあったなど、誰が知ることだろう。道子さんはすぐには起きられない様子で、きっと金縛りにでも遭っていたのかも知れない。恭一とすればそんな道子さんを放っておいて自分だけが身体を動かせるかのような状態を見せるのは嫌だった。
十分ちょっとくらいはそんな状態ではなかった。だが、身体が動かせるのに動かさないでいるとすれば、普通ならこれほど苦痛に思うことはないが、そばにいたのが道子さんだったことで、それほど苦痛でもなかったようだ。
道子さんから香ってくるかぐわしさは、今までに感じたどんな女性とも違っていた。母親とも違っているし、幼稚園の頃の女性の保育士さんに感じた思いとも違っていた。
しかし、この二人に感じた香りは今までの恭一にとって言い知れぬ影響を与えてきたのではないかと思える。
母親から感じたものは、包容力であった。小さい頃から抱っこされるのが嬉しくて、よく抱っこをせがんだものだった。
「男の子なんだから、そんなに抱っこなんていうもんじゃない」
とあの父親にはよく言われたが、母親は苦笑いをしながら抱っこに応じてくれた。
保育士さんに感じたのは、ほろ苦いイメージだった。いい匂いがしていたのには違いないが、あまり好きな匂いではなかった。明らかに母親のしている香水とは違い、きつめの臭いがした。
今から思えば、先生も分かったのである。その香水は決して子供たちのためにしていたわけではない。むしろ子供たちのためにするのであれば、香水などしない方がいい。きっと誰か他の男性を意識してのことだったのだろう。
子供にそんな理屈が分かるわけもなく、そのきつい匂いをずっと嗅いでいると、何となく病みつきになってくるのを感じた。それがほろ苦い感覚だったのだ。
その匂いのイメージをそれから五年ほど経って思い出すことになった。それは父親に感じた思いが、その時の臭いを思い起こさせたからだ。屈辱感に打ち震えたあの時、匂いなどどこからもしてこなかったはずなのに、鼻は覚えていた匂いを思い出させた。それが保育士の臭いだったのだ。
――思い出したくもない――
そう思うと、今度は母親の匂いを思い出した。
「やっぱり母さんの匂いが最高だったな」
今でも抱っこしてほしいくらいの思いを小学校の五年生で感じた。そんな思いをどうして感じたのか自分でも忘れてしまっていた。
母親に感じたほのかな思いは、やはり父親に対しての反発から思い出したのかも知れない。
ほろ苦い匂いを思い出させておいて、それを打ち消そうという思いから、母親を思い出させる感覚は恭一を、
「父親なんて」
という、憎しみに変えてくれる。
「憎しみからは何も生まれない」
というセリフをテレビのサスペンスドラマの解決編で見たのを思い出したが、
――そんなの欺瞞に過ぎない――
と思っていた。
憎しみからは確かに何も生まれないかも知れないが、元々あったものを思い出させることはできるだろう。だから、サスペンスドラマでのあのセリフは違っている。憎しみをいかに自分で取り入れるかが問題なのであって、そこから何かを生もうという感覚自体、おこがましいのではないだろうか。
こんなこと、それまでの恭一は考えたことなどなかった。匂いというキーワードで思い出した二人と、そして今目の前にいる道子さんを加えた三人をそれぞれ思い描いているうちにそんな発想を抱かせた。
要するに、
「匂いというものは、人間の鼻腔を突いて、脳に影響を多大に与えるものだ」
と言えるのではないだろうか。
それも、ソフトに与えるもので、そこからの想像や妄想、そして記憶の中に封印されていた感覚と思い出、それぞれを刺激し、目を瞑れば、瞼の裏に映し出される光景が、一つや二つはあることであろう。
恭一は、それを思春期という時期と比べることで、素直な自分をまっすぐに感じることができることで、余計に自分を見つめ直し、思春期を大人への階段としてならしめるだけの力を感じさせるものであった。
義母である道子さんは、自分にとって大人のオンナと、母親としての中間に位置している、ある意味中途半端な存在であり、それを思うと、どこかまたしても身体の一部にムズムズした感覚をもたらすのだった。
そんな思いを知ってか知らずか、娘の咲江は無邪気に恭一を慕ってくる。
「ねえ、お兄ちゃん。私算数で百点取ったんだよ」
と言って自慢げに見せてくれる。
実際にはこんなに無邪気ではないことは知っている。ある日、学校の友達何人かと下校しているところを垣間見たことがあったが、その時はテキパキと彼女が先導して何事も仕切っている姿が凛々しかったのを覚えている。そんな彼女が慕ってくるのは、学校では自分が中心になっていることで、甘える相手がもはやいないことで寂しい思いからなのかも知れない。
母親に対しても決して甘えたりすることのない咲江は、心のどこかに寂しさを蓄積していたのだろう。