家族と性格
「今日、友達の家に皆集まっていて、それで一泊しようという話になったんだけど、僕も泊まっていいよね?」
と聞くと、受話器の向こうから返事がなく、息遣いが荒くなってくるのを感じた。
――えっ? どういうこと?
と、父親が怒りに震えている様子が思い浮かんだ。
性格的にまったく似ていない相手だと思っているわりに、父親が考えていることは結構分かったりする。
――やっぱり親子なのかあ?
と思うのだが、だからと言って、なぜそこで怒りを感じるのか、理解に苦しむだけだった。
――どうしてなんだ? 皆泊まろうという話になって、誰も反対している人はいないのに、どこに問題があるというんだ――
これは、正当な理論だと思う。
皆帰ろうということになっているのに、自分だけがごねているというのであれば問題だが、いくら子供とはいえ、普段できないことをしようというウキウキした気持ちになっているのだ。それを一人が参加しないということになるのは、せっかくの盛り上がりに水を差すことになり、社会人である父親がそんな理屈も分からないというのはおかしいと思うのだった。
「お前は何を考えているんだ。さっさと帰ってきなさい」
とドスの聞いた声が受話器から響いた。
「何をって、せっかく皆一緒に泊まろうと言ってるのに、誰も反対している人がいるわけではないんだよ」
というと、
「それは相手は子供の手前そう言ってるだけさ。せっかくの正月。家族水入らずで過ごす時間をお前は壊しているんだぞ」
と言われた。
しかし、自分だけが帰ったとしても、事態が変わるわけではないのが分かっているので、どうにも承服しかねる。そこで簡単に承服してしまうことは、まるで父親の威嚇に屈しただけだということで屈辱感しか残らない。
「おばさんが話をしてあげようか?」
と言って。友達のお母さんに話をしてもらったが、結果は同じだった。
「やっぱり、お父さんは許さないって。おばさんもこれ以上のことは言えなかったわ。ごめんなさい」
「いえ、いいんです」
もう、その時点で自分の帰宅は決定してしまった。
「それぞれの家庭の事情」
ということだったらしいが、子供の世界であっても、大切なものはあるということを、あの父親は分かっていないのだろう。
怒りと屈辱に身を震わせながら。皆の痛い視線を感じながら、うな垂れて友達の家を出るのは、まるで見世物のようで、嫌だった。
だが、自分の姿が見えなくなると、友達の家ではきっともう自分のことなどすっかり忘れて。楽しむに違いない。それは当然のことで、いつまでも引きづるようなことではないからだ。
涙が後から後から溢れてきた。
「なんで、俺がここまで惨めな気持ちにならなければいけないんだ」
晒し者になり、さらに、同情の目を寄せられたのだが、その同情は気の毒というよりも、好奇の目に思えて仕方がない。友達の家から帰るには、一度駅まで行って電車に乗って、三駅も乗らなければいけない。普段から鉄道が好きで、電車に乗ることが好きだったはずなのに、これほど電車に乗るのが嫌な思いをするなど、思ったこともなかった。
電車に乗ると、さらに屈辱感が増してくる気がした。それまでは暗い夜道だったこともあって、すれ違う人もおらず、もしいたとしても、暗くて相手の顔も分からず、しかも、すれ違ったとしてもあっという間まので、相手の表情を確認することも困難だったであろう。
しかし、電車の中というのは明るくて、しかも、皆が静止していることもあって、気になる人がいればずっと凝視することもできる。電車の中はさすがい昼間と違いそんなに人がいるわけでもなかったが、逆に少ないだけに、その凝視はすべて自分に向けられているという錯覚にさえ陥るほどであった。
しかも、その錯覚は惨めさを誘うものであり、その表情には相手を嘲笑うかのような薄笑いが浮かんでいた。薄いだけに余計に相手の考えが分からない。そう思うと、嘲笑いの信憑性はかなり高いように思われた。
「本当に惨めだ」
こんな屈辱感を味わったことは今までにはなかった。しかも、その屈辱感を味合わせているのは、自分の親なのだ。
――親であれば、息子を助けるのが当たり前じゃないか――
と思うのは間違いなのだろうか。
もっとも、自分とは趣味趣向がまったく違うと思っている父親のことなので、冷静に考えればこれくらいのこと、あっても不思議ではなかった。そういう意味では今までになかっただけでもよかったと言えるのではないだろうか。
――それにしても忌々しい――
屈辱感が、次第に怒りに震えてくるのを感じた。
――本当だったら屈辱感よりも先に怒りがこみあげてくるはずなのに――
そう思うようになったということは、少しは落ち着いてきた証拠だろうか。
家に帰りつく前にそう思えたことはよかったのかも知れない。家の扉を開けるのが怖い気持ちに変わりはなかったが、それでも意を決して家に帰った。
「ただいま」
案の定父親が待ち構えていて、何か文句を言っている。
こっちも怒りに震えているので、言っていることを聞く必要はないという思いがあった。
「ちゃんと聞け」
と言って、ぶん殴られた。
もうそれで十分だった。
「ふざけんな、くそ親父」
そう言って、家を飛び出した。
行先は決まっていた。母親のところだった。母親は再婚したということだったが、どんな人と再婚したのか知らなかったが、とりあえず挨拶がてら行ってみることにした。
さっきの父親はどうやら酒を飲んでいたようだ。あまり酒を飲めないことも知っていたので、一種の酒乱状態だったのだろう。そんな状態も初めて見たこともあって頭に血が上って出てきたが、翌日には家に帰ってもいいと思っていた。
母親も、
「今日一日はここに泊まってもいいけど、明日にはお帰りなさい」
と、恭一に促していた。
分かっていることではあったが、少し寂しそうな顔で母親に対して、
「分かった」
と告げると、安心したような笑みを浮かべた母親だったが、それが本心からの笑みではないことを、恭一は分かっていた。
――もし、あのくそ親父となんかあれば、今度からはここに来ればいいんだ――
ということが分かっただけでもよかった気がした。
父親に比べて母親というのは分かりやすいものだと思った。
「女の子は父親に似るけど、男の子は母親に似る」
ということを聞いたことがあったが、真崎家の場合はまさにその通りだと恭一は感じていた。
つまりは母親の考えていることも分かるような気がするということで、父親と性格が違えば違うほど、母親と似ていることがありがたいと思う恭一だった。
それは離れて暮らしていても同じことのようで、
「今日、お母さん、恭一に遭えるような気がしていたから嬉しいわ」
と嬉しいことを言ってくれたが、それがおべんちゃらからではないということを、恭一は分かっていた。
恭一の方も、今日ここに来たのは、父親とのわだかまりからの偶然だったのだが、言われてみると自分も昨日から母親に遭えるような気がしていたと思ったのは偶然ではないような気がする。