小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

家族と性格

INDEX|15ページ/29ページ|

次のページ前のページ
 

 子供の頃は家庭教師の先生に勉強を習っていたので、普通に会話もできたはずなのに、急にまわりを避けるようになったのは、十六歳になったくらいのことだった。いつも部屋に籠っていて、部屋の窓から表の庭を望遠鏡で眺めることが多くなり、それ以外はほとんど部屋に閉じこもって何をしているのか分からない毎日だったようだ。
 食事の時だけ食卓には顔を出すが、誰とも会話をしない。そんな長男を気にかけて母親は声を掛けていたが、返事はない。父親は最初から訝しがって話しかけることすらしなかった。
 父親の伯爵も、実はまわりとあまり会話をするタイプではなかったので、まわりの人からは、
「旦那様の遺伝ではないかしら」
 と言われるようになっていた。
 そんな長男には秘密があった。急にまわりと話さなくなったのは、その頃になるとそれまで少女だと思っていた妹が急に綺麗になり、
「大人のオンナ」
 を感じるようになった。
 元々母親に対して、その色香を感じていた。ただ、母親という意識があったので、大人のオンナというのが、母親のような人のことであり、いずれ自分が成長するとそんな女性に出会えることを予期していたのだ。
 外界とは遮断されたこの世界では、年ごろになると、親が子供の相手を連れてくることになっていた。いわゆる許嫁という形である。つまりは最初から決まっていた相手と交際し、そのまま結婚するというのが、その時代の常であり、両親もそうだったのだろう。特に華族という伝統的な家系ではそれを当然のごとく行われてきたのだ。
 二人の兄妹も、家庭教師から受けてきた教育で、そのことはさりげなく教えられていたはずだった。
 長男もずっとそのつもりでいて、その許嫁が母親のような色香を醸し出す人であればいいという程度に考えていたのだろう。
 だが、実際に成長してみると、オトコとしての感情は、かなり強いものだったようだ。感受性の強い青年だと言ってもいいだろう。恭一はその長男に自分を重ねて読んでいた。無意識にであったが、そう思って本を読むと、その世界に入り込むことができるからだ。
 主人公と思しき相手になり切って小説を読んでいると、自分もその長女の女の子がいとおしく感じられるようになり、次第に理性が利かなくなってくるのを感じた。
――自分は伯爵の長男なんだ――
 という思いは、当然のごとく持っている。
 しかし、その思いは余計に自分をジレンマに陥らせた。そのジレンマがまわりに対して避けてしまう思いを抱くに十分な効果があった。誰か話でもしたものなら、自分のこの思いをフラッと話してしまうのではないかという危惧を抱いたのだ。それは、自分が怖がりで自分に対して自信がないことが招く臆病さから来るものだということは分かっているのだ。
 もし、そんな精神状態でまわりの人を欺くことなどできない。真正面から純粋に見るという育ち方をしてしまったことで、少々の困難に陥ると、自分からまわりを避けるという方法しか自己防衛を思いつかないのだ。
 妹は相変わらずの品行方正である。それが長男には、あざとく感じられるようになる。
――俺に対しての当てつけなんじゃないか――
 という思いを抱き、妹が美しくなればなるほど、苛立ちを覚えるのだ。
 相手は妹だという意識が一番にあるだけに、目の前の結界をどうすることもできない自分がいる。それは人間としての理性を持っていれば、誰にでも抑止できるはずのことであるが、そこも個人差があり、どんなに冷静になれる人であっても、この感情に立ち向かうにはただではおられるわけはなかった。自分との葛藤は少なからず持っていて、いかに自分に打ち勝つか、それは思春期における誰もが通る道なのではないだろうか。
 実際に恭一も今思春期の真っ只中にいる。小説を読んでいて、感情としては、
「そんな理性などかなぐり捨てて、本能のままに行動してほしい」
 というものであった。
 小説の中の架空の話なのだから、いくらでも感情を剥き出しにした行動を取っても、誰お咎めるものはいない。咎めることができる人は小説の登場人物だけで、その登場人物を操ることができるのは作者しかいないのだ。
 つまり、作者の思い一つでいくらでも物語は感情的に作り上げることもできるというものだ。
 読者の中にはそんな小説を望んでいる人も多いのではないか。ただ、一般的には本能のままの小説はきっと受け入れられないだろう。モラルのない小説は果てしのない欲望を抱えている。
 基本的に小説は教育的なものでなければいけないという思いが恭一にもあった。だが、それでも、
「フィクションなのだから」
 という思いから、感情的な小説の存在を否定できない自分がいる。
 そんな時、この小説を読んで、自分が主人公になっているような錯覚を感じながら読んでいると、妹に対しての感情が抑えられなくなるのを感じてきた。小説の展開が、妹を見る長男の目という構造が出来上がってきていたからだ。
 妹も実は兄を慕っていた。その慕い方が、
「妹として」
 であっただろうと想像はできるのだが、兄を見ていて、
「兄のために」
 という献身的な気持ちをいつも持っているような少女だったのだ。
 それは文章の中に明らかな感情として表されていた。実際には妹が持っている感情をここまであからさまに知ることは現実世界でできるはずはない。小説世界でだけのことだった。
「小説というのは、そんな力も持っているのだ」
 と恭一は考え、このまま長男による妹の力による蹂躙が行われるのではないかというよからぬ想像をしてしまったが、果たしてその想像は間違っていなかった。
 いきなり強硬に及ぶわけではなく、そこに至るまでの長男の感情の推移については、かなり詳細に書かれていた。ここでそれを逐一書くことはよすが、強硬に及んだとしても、それは仕方のないことに思えるような小説の進め方だった。
 長男に言い寄られる妹は、
「お兄ちゃん、どうしたの?」
 と、怯えのある目をして、兄から何とか避けようという思いはあったようだ。
 兄の血走った眼は完全に常軌を逸していて、妹が今までに見たことのない目だったのである。
 だが、妹も感じた。
――初めて見る目ではないわ――
 それが夢に見たことだったのか、それともいつか見たかも知れないと思っていることだったのか、定かではない。
 定かではないということは、自分がそれだけ兄に対して漠然と見ている時があったということになるのだろうが、それは、
――違うような気がする――
 と、妹は感じていた。
 絶えず自分は兄を意識していたはずだ。兄の性格をどこまで理解できていたのかは分かっていないが、少なくとも自分も兄に対して慕う気持ちが強く、その思いにいつも兄は目で答えてくれていたと思っていた。
 会話がなくともそれくらいの思いを感じることは容易にできると思っていて、そのことに関しては、妹なりに自信を持っていた。
 妹が感じている兄への感情は、
――私が困った時には、いつもお兄ちゃんが現れて助けてくれる。正義のヒーローなんだわ――
 というイメージだっただろう。
作品名:家族と性格 作家名:森本晃次