家族と性格
義母はそんな恭一の気持ちが分かっているのか、何も言わずに、ただ鋭い目を向けていた。
それは戒める目ではなく、哀れみに似た目であったのだが、まだ思春期の恭一にはその気持ちは分からなかった。
ただ、実の母親とは違って、今まで受けたことのないその視線に、他人というイメージが植えついてしまったのも事実のようだ。
――やっぱり、義理なんだな――
と思わせた。
だが、それでも気を遣ってくれているのは確かなので、その視線をどこかで勘違いしている自分がいた。
道子さんは、今まで知らなかった、
「他人の大人のオンナ」
だった、
いくら義理とは言え、母親だという意識はあったのに、道子さんの戒めにも似た哀れみのあの視線を見た時、道子さんに対してオンナを感じてしまったのだ。
そうなると、同じ家にいるというだけで、何かぎこちなさを感じた。
それを他の誰にも悟られたくないという思いもあり、わざとまわりに素知らぬ表情をしてしまった。
せっかく家族ができ、四人で暮らし始めたというのに、最初に違和感を生み出したのは、他ならぬ恭一が最初だった。
最初だったという言い方は少し語弊があるだろう。恭一の態度はまわりに影響を与えたというべきだろうが、その時は誰も予想もつかなかっただろう。
当の本人である恭一にも分からなかったのだから、当たり前のことである。
恭一が一緒に暮らし始めて最初に意識したのが、道子さんだった。
父親に対しては意識したというのも、道子さんに対しての自分の意識を悟られたくないという思いで父親を見ていただけである。父親に対して自分がどう思われていようかなどというのは、まったく考えていなかった。つまりはもう相手は父親ではなく、自分が意識している人の旦那だということである。
「間男と旦那」
という露骨な言葉を知ったのはそれから少ししてであるが、それは中学での悪友から課してもらった本に書いてあったことだった。
「これは不倫や情婦などを書いたドロドロの愛欲ものの恋愛小説なんだけど、お前もこれくらいの話を読んでみるといい」
と言われ、読んでみた。
面白いというよりも、あまりにもドロドロとしていて、直視できないというような話で、読み終わってからの感想としては、
――こんな小説、どこが面白いんだ――
というものであった。
つまりは、経験してみなければその面白さは分からないということが分かったという小説であった。
それを悪友に話すと、
「タバコみたいなものさ」
という信じられない答えが返ってきた。
いや、昨夕というくらいのやつなので、タバコくらいのことで驚くようなことではないのだろうが、思わず、
「お前、タバコなんか吸ってるのか?」
と訊ねたものだ。
「何言ってるんだ。タバコなんて当たり前のことだろう。それよりも一度吸ってみるといい。最初は誰だって、『こんなもののどこがうまいんだ』って思うから」
と言われた。
突っ込みどころは本当は違うところにあったはずなのに、またしても思わず、
「お前もおいしくないと思ったのか?」
と返していた。
「ああ、息苦しいだけで、何がうまいのか理解できないんだ。だけど、吸っているうちにやめられなくなる。実に不思議なものでな、まるでコルクを舐めているような感覚なんだけど、それが病みつきになるのさ」
タバコについては少し勉強したことがある。
タバコに含まれているニコチンというのが、癖にする成分のようで、アルカロイドという種類のものらしい。
アルカロイドとしては他にはコーヒーに含まれているカフェインであったり、麻薬に含まれている成分であったりするという。
「なるほど、コーヒーなど飲み始めたら、やめられないからな」
というと、
「そうだろう? コーヒーなど、眠気覚ましに飲んだりするので、試験勉強の時などには飲みながらだと効率よく勉強ができたりする。もっともそんなのはその人のやる気次第なんだろうが、暗示に掛かってしまうと、人間というのは厄介なもので、勉強もできるような気がしてくるんだよな。だからやめられなくなる。そういう意味では麻薬だってタバコだって同じことなんだよ」
と、そいつが教えてくれた。
悪友として認識しているので、結構いろいろとヤバいこともあるようだが、結構いろいろと博学なところもある、そういう意味で彼と離れられないという感覚も、一種のアルカロイドの効果に似ているのではないだろうか。
そんな風に感じた恭一は、タバコの話を思い出していた。
確かにタバコは最初、
「どうしてこんなものを」
と思うのだが、彼にしてみれば、
「タバコをやめると、情緒不安定になるんだ。急にまわりに対して不安になったり、何かに対して恐怖を感じているような。そしてその恐怖がどこから来るのか分からないという感覚もある。まるで麻薬のような感じなんだろうな」
と言っていたが、少し大げさに感じた。
だが、その話には信憑性はあった。愛欲の小説を読んだ時、読みながら、
「何だ、これは。気持ち悪いだけではないか」
と嘔吐を催してきそうで、気持ち悪いだけしか感じなかった。
しかし、読み終わってから少し考えると、もう一度読み直してみたいという感覚に陥ったのも不思議な感覚だった。
それまで女の人の身体に興味を持ちながら、見たこともないものを想像することはできないと感じ、
「想像できないものなのだ」
という意識が強かった。
しかし、その小説は、女体に関してはかなり詳しく書かれていた。見たこともないのに、嘔吐を催してきそうな発想を思い浮かばせるというのは、それだけ表現がリアルで、しかも想像させるに十分な文才があるということだ。
これは一見矛盾しているように感じる。だが、その矛盾が気持ち悪さを呼んだのと同時に、
「再度読み直してみたい」
という衝動に駆られたのも事実なのだ。
「今までにこんなことを感じたことなかったな」
それは思春期だから感じることなのか、それとも小説のリアルさに感じたことなのか分からないが、思春期だから小説をリアルに感じることができたと言えるのではないだろうか。
その小説では、ピンポイントなシーンもリアルであったが、ストーリー性も恭一の脅威を引いた。登場人物のほとんどは親族なのだが、恭一の住む世界とは違う、いわゆる大富豪の家庭であった。
戦前のいわゆる華族制度の中の豪邸に住む家族の話であった。住人の中には家族以外もたくさん含まれていて、いわゆるお手伝いさんや書生、メイドや執事のような今では考えられない人たちが住んでいたのだ。
そんな中で伯爵と言われるご主人様とその美しい奥さん、そして十八歳になる長男と、十五歳になる長女が住んでいた。
長男と長女は、どちらかというと性格的には正反対だった。品行方正でお手伝いさんや書生たちにもいつも声を掛けるような気づかいのできる少女だった。だが、長男は人と関わることがどうも苦手で、誰と会っても挨拶すらできないような暗い少年だった。