家族と性格
これは人によって違いがあるのだろうが、反抗期と思春期とは似た時期に入るというが、どちらが先に入るかで、その人の今後が左右されるともいえるのではないか。どっちがどっちとハッキリは言えないが、咲江の場合は、先に反抗期を迎えたようだ。
母親に対しての反抗心は、他の日とは決して知らないものだった。
「咲江ちゃんは母親思いの優しい娘」
というのが、道子、咲江親子を知っている人の共通しての意見だった。
だが、それも間違いではない。表面だけが優しいわけではない咲江は、母親を前にしてだけは怪訝な表情をしてしまうが、母親を影で支えるという気持ちはずっと不変のものであって、一人でいる時の家事なども自分がするものだと考え、嫌がることもなくこなしている。
母親に対して反発だけであれば、そこまではできないだろうと思える。やはり女の子は母親の苦労が分かるのではないだろうか。
そんな母親が、これまでずっと一人で自分の面倒を見てくれたのは分かっていた。自分と二人だけで、自分に対しての責任を一人で背負っているというのは、あまりにも気の毒であり、咲江自身でも気後れしてしまいそうになり、そんな関係をいつ嫌になるか自分でも分からないところが無性に嫌であった。
「私ばっかりを気にしていないで、自分のことも考えなよ」
とおざなりに言っているが、これは決して母親を責めているわけではなく、咲江としては母親への本心であり、感謝の気持ちでもあった。
それを母親がどこまで分かっているか、咲江には理解できていなかったが、少なくとも今は新たな相手を見つけて、自分以外と幸せになろうとしているのだから、祝福すべきことだと思うようにしていた。
ただ、一人になるのは、想像ができず、寂しさがこみあげてくる。幸い、相手の家庭にも子供がいるようで、自分よりも年上の、
「お兄ちゃん」
である。
ずっと一人っ子で育ってきただけに、ほしかったお兄ちゃんである。
自分が生まれてきた時に上に兄弟がいなかったのだから、こうでもしなければ、できるはずのないお兄ちゃんなのだった。
「願ったり叶ったり」
とこのことである。
恭一も妹がほしかったので、お互いに大願成就と言ってもいいだろう。どちらの方が希望としては大きかったのかというと、恭一の方が強かったかも知れない。それは咲江も感じていることで、
「きっとお兄ちゃんよりは私なんかよりも、よっぽど寂しかったのかも知れないわね」
と言われたことがあって、その時の言葉が今も生々しく頭の中に残っているのだ。
その言葉を言われたのがいつのことだったのか、恭一にはハッキリとはしない。言われたという事実は頭の中にあり、間違いのない事実なのだが、記憶として薄れていくこともなく、かといってそれほど確定的な言葉なのに、それがいつだったのかなどの具体的な記憶はハッキリとしていないのだ。
つまり形式的には覚えているが。具体的には曖昧であるということである。そんな言葉をずっと覚えているというのもどこか頭の中に矛盾しているものを抱かせて、その思いから脱却ができないでいるのもおかしなことであった。
恭一にとって、咲江との関係は、そのことに代表されるような関係であった。形式的に兄妹であるということを頭の中で言い聞かせているのだが、兄妹としての意識は具体的なこととして何も分かっていないような気がしていたのだ。
「ねえ、一人っ子って私はずっと寂しいものだって思っていたんだけど、お兄ちゃんはどうだった?」
と聞かれて、
「それは俺だって、寂しかったという意識は強いよ。ただ……」
と言いかけて少し戸惑っていると、
「ただ?」
と促すように咲江は反復して聞いてきた。
「寂しいんだけど、一人というのが気が楽だということを教えてくれたのも、一人っ子だったからなのかも知れない。だけどそれって、ただの楽天家だったということなのかも知れないとも思ったんだけど、気が楽だというだけで、安心感に繋がらなかったのも事実でね。やっぱり最後は寂しかったんだろうね」
というと、
「お兄ちゃんは理論的な言い方なのね」
と言われた。
「そんなことはないよ。曖昧になるところを自分でどう納得していいかを考えると、そういう言い方になるだけで、結局は曖昧な部分が多く残っているだけで、自分を納得させることなんか結局できずに、どこかを彷徨っている気分になるだけさ」
と答えた。
「私は難しいことは分からないんだけど、お兄ちゃんは頭がいい人なんだって思うの。何か結論と求めるのに、一つ一つ厳選しているような気がして、それでいて完璧を求めているわけではなくて、頭の中でふるい分けをしているんじゃないかって思うのよ」
と咲江は言った。
「なるほど、俺は確かに完璧を求めてなんかいないけど、納得させようと思うと、削れる部分を削っているように思うことがある。きっと減算方式で考えているのかも知れないな」
というと、
「うん、でも、私はどちらかというと、何もないところから少しずつ組み立てていくのが好きなの。それは自分のことだけではなく、まわりのことも含めてね。だからお兄ちゃんのことも、何もないところから少しずつ知りたいと思っているから、今は結構楽しいと思っているのよ」
と咲江は言っていた。
「僕とは少し考え方が違っているようだね」
と言ったが、咲江が言っているのは、
「私は加算法で、お兄ちゃんは減算法なんじゃないかしら」
ということであろう。
分かってはいたが、まったくの正反対だと思いたくないのは、まったくの正反対だということを認めてしまうと、あの父親と同じだということを認めてしまうことが怖かったのだ。
咲江を認めるということはあの父親を認めることであり、それは自分の中で認めたくないことだった。
結婚式が行われ、食事会も済んで、それ以前から新居には両家族とも引っ越してきていたので、結婚式も食事会も、
「形式的」
なものでしかなかったが、終わってみると小規模ではあったが、それなりの儀式としてそれぞれの中で精神的に片が付いたという感じであった。
一番心労で疲れていたのは、やはり父親であろう。ここ数日があっという間に過ぎたとでも言いたいかのように、形式的な儀式が終わってから、数日ほど熱が出て、会社を休むという状態になった。本人は、
「情けない」
と言っていたが、傍で見ていると今まであまり他人に気を遣ったことがない人が、急に気を遣ったことで起きた心労ではないかと思えた。
そんな父親に恭一は、
「鬼の霍乱だな」
と皮肉を言ったが、一応敬意を表する気持ちはあった。
いくら性格的に許せない部分があるとはいえ、そのあたりの気遣いができなければ、相手に皮肉を言ったり、反発するという権利はないと思えたからである。
数日間、大人しく寝ていた父親を義母は献身的に介護していた。咲江も時々見まっていたようだが、恭一だけは父親に近づこうとはしなかった。
見かねたのか道子さんが、
「恭一さん、よかったら、お父さんのところに顔を出してあげてください」
と言われたが、
「時間があれば」
というだけで、実際に行くつもりはなかった。