家族と性格
そのくせ、恭一は目を閉じても、瞼の裏に母親の面影は残っていない。それはきっと母親はまだこの世にいるという意識があるからなのかも知れない。
――会おうと思えばいつだって会えるんだ――
と感じるからで、そう思ったのは、咲江という、本当の父親は死んでしまって、もう会うことが二度とできないという人がそばにいるからだろう。
恭一が想像してしまうと彼女に悪いという思いを抱いてしまうという感覚と、義母への遠慮も一緒にあるのではないだろうか。
咲江に対して、慕われていることにいとおしいという感情は手放しに喜ばしいことであり、いくら義理であっても、妹ができたということは嬉しかった。しかし、逆に咲江にはどこか病的なところがあり、まるで結核患者のような弱さが見え隠れしている。そこに不安を感じるのだが、その感覚が依存に思えてしまい、思わず彼女を遠ざけてしまうというジレンマを自分の中に表すことになってしまった。
ジレンマとは矛盾を孕むもののことであり、自分の気持ちに素直になれない時、どうして素直になれないのかを考え、それをジレンマとして矛盾を明らかにしようと考えるのだろう。
そう思うと、どこか咲江に妖気的なイメージが湧いてきて、自分が妹として本当に咲江を受け入れることができるのかどうか疑問に思えてきた。それは好き嫌いの問題というよりも、彼女に対して恋愛感情を抱かないとも限らない自分が怖いと言えるのだ。
確かに彼女とは血がつながっているわけではないので、恋愛感情を抱いてもそれは無理もないことで、別に問題があるわけではない。しかし、恋愛何条を抱くことでせっかくこれから築くであろう関係を壊しかねないのも怖かった。
これから築くであろう関係も、恋愛感情とは違う次元ではあるが、自分にとって大切で捨てがたいものになるはずである。
恭一は、まだよく分からないこれから抱くかも知れないという正体不明の恋心を今から考える必要などあるであろうか? そもそも恋愛感情とはどんなものなのか、人を好きななったことのない恭一に想像することもできないはずである。
しかし、一度思ってしまった恋愛感情というキーワード、経験したことがないだけに、余計に気になるというものだ。
思春期とは、経験したことのないものを想像しては悶々とするという、そんな苛立たしい感情が入り混じった時期でもあるのではないかと思う。それこそ、血管を蠢ている無数の虫を感じているような感覚に、不思議と身体が反応してしまうという、そんな感情である。
咲江はまだ小学生、オトコの人を、男子として意識することはあっても、恋愛感情などありえないだろう。
――だけど、女性の場合は、男性よりも成長が早いともいうぞ?
と、まわりの男子から、聞きたくもないのに耳元で囁かれた言葉が頭の中に去来している。
そんな風にいろいろ考えていて、ふっと我に返って考えた時、思い出すのは、咲江の肉体だった。
服の上からでも分かる胸の膨らみ、リップでもぬっているのか、ほのかに光を帯びて濡れているかのように見えた柔らかそうな唇。
何を訴えているのか分からないが、恭一を見つめながら次第に黒目が寄ってきているように見えて、それが不安を感じさせる目に思えてきて、彼女が自分を慕っているというよりも依存しているように見えるその感覚。思春期でなければ感じることのできない感情なのだろうと、恭一は思っていた。
その日のことは、まるで夢であったかのように思えた。自分の父親が再婚するなどということは誰にも言わなかった。もし言ったとすれば、まわりは好奇の目で自分を見て、いろいろ質問を浴びせてくるだろう。そしてあれやこれや、こちらの思いもよらぬような想像を巡らせて、
「知らぬが仏」
とでもいうべき内容を、勝手に想像されているのではないかと気を病んでしまうに違いない。
それを思うと余計なことを考えないようにしようと思い、逆にそれが、自分の中で悶々とした思いにさせてしまうだろうから、決して自分の父親が再婚するなど、言えたことではなかった。
恭一は咲江ばかりを意識しているように書いてきたは、実は母親になるはずの道子さんのことも気にしていた。
――あの人は大人のオンナなんだ――
と自分に言い聞かせてきたが、いまだに道子さんを直視できないでいる。
「あいつは恥ずかしがり屋なんだ」
と父親は道子さんに話していたが、そうではないことはあの父親だったら分かっているだろう。
時々、恭一をライバル視するかのような目線を送ることがある。
――なんとも大人げない――
と言えるが、その感情があるからこそ、恭一が咲江に興味を持つことを喜んでいるかも知れないとも思えた。
ただ、この思いが甘かったことを、少ししてから知ることになるが、父親がまさかここまでの人間だったとは思ってもみなかったのだ。
新しい家族
父が道子さんと再婚をまわりに正式に表明したのは、それから数か月のことだった。
「子供同士が大丈夫だ」
ということが分かれば、後は早かった。
会社にも、親戚にも公表し、結婚を暗黙でも認めさせたことで、二人は安心しているようだった。
結婚式と言っても二人とも二度目ということもあり、そんなに会社でも知り合いが多いわけでもないという二人なので、披露宴なしの結婚式となった。ほぼ家族だけの食事会のようなものを催し、後は二人で数日間の新婚旅行に行くという程度のものだったのだ。
したがって、まわりに公表してから結婚式までもそれほど時間が掛かったわけでもなく、結婚して、新婚旅行までは二人とも仕事の関係から、少し間が空いてしまった。それも別に急ぐことでもないという二人の意見が一致したことで、事なきを得たということであろうか。
新居の方も、父親の方が一人である程度決めてきて、候補が固まったところで道子さんに相談したという。道子さんの方とすれば、よほど気に入らない場所でない限り、反対する意思もなかったようなので、即決だったようだ。そのことも父親の計算には入っており、もっともそんな道子さんだからこそ、父は自分の嫁さんにしようと思ったのかも知れない。
子供たち二人には、それぞれの親から言われた。父から聞かされた時、
――何、勝手に決めてやがるんだ――
と感じたが、それも一瞬で、せっかくここまで順風満帆に運んできた結婚を壊そうなどという気持ちは微塵もなかったのである。
恭一が少し感じた不満は、父親がそんな恭一の考えも何もかも分かったうえでの確信犯であるということが分かっていることでの癪に障ったということであった。
咲江の方も、道子さんから概ねの話を聞いて、
「別にいいんじゃない」
と答えたようだ。
咲江の母親に対する態度は、彼女が恭一に対してのものとはかなり違っているようだ。母親に対しての咲江は、いつも話をすること自体が億劫だとでも言いたげに、不愛想なもののようだった。
その気持ちは思春期に入っている恭一にも分からなくもない。どこか反抗心を抱いてしまうのは、思春期よりも先に反抗期を迎えただけのことだった。