家族と性格
実際に、恭一と咲江の会話にはお互いに笑顔が漏れていたという。しかし、実際にもっと近くで見ていれば、恭一の方の笑顔が少しぎこちなかったことに気付いただろう。恭一の笑顔はあくまでも自分からのものではなく、咲江が笑ってくれたことでの安心感から出たことだった。悪い笑顔というわけではないが、少なくとも自分からの笑顔ではないだけに心の底からの笑顔ではなかっただけに、引きつっていたというのも無理もないことだ。
恭一の場合は、自分の感じたことがそのまま顔に出る。この部分は自分の父親と同じだった。それは遺伝によるものなのだろうが、そのことは恭一にも分かってることだった。だが、本心としては認めたくないことで、
――なんで、こんなところだけ似ているんだ――
と思ったのは、この性格が自分では嫌いではないところだった。
「咲江ちゃんは、お母さんと俺の親父の結婚に対して、別に何も感じないのかい?」
と聞いてみた。
「うん、別に気にはしていないわ。お父さんができるというのは嫌なことではないのでね」
と言っている。
その表情にウソは感じられなかった。無理をしているのであれば、もう少し声に抑揚が感じられたり、言葉がたどたどしくなったりするものではないかと思うからだった。しかし、咲江の返事に恭一が思うような戸惑いも憤りもない。
「そっか、だったらいいんだ」
と言って、恭一は少し複雑な心境を持って、そう答えた。
本当は咲江にもこの結婚に対して少し違和感を抱いてもらって、自分の味方になってほしいという気持ちもあったのは事実だった。だが、咲江はそんな恭一を見て、
「お兄ちゃんは、反対なの?」
と聞いてきた。
「いや、そんなことはないんだけど、急に母親ができると言われても、気持ちの整理ができないような気がしてね」
というと、
「気持ちの整理が必要なの?」
と、咲江は言った。
「うん、心の準備というべきかな? いきなり何かをあげると言われたりするとビックリしたり警戒したりするでしょう?」
というと、
「警戒? 何を?」
といかにもまったく分かっていないように純粋な目でまっすぐに恭一を見つめた。
――こんな素直で純粋な女の子がいるなんて――
と恭一は彼女に圧倒され、それ以上何を答えていいのか分からなかった。
恭一は驚愕していた。自分のまわりには父親を含めて、自分の気持ちをそのまま表に出す人はいるが、こんなにも純粋な心を持った人はいなかった。そういう意味で、彼女が自分を慕ってくれているのは嬉しかったが、その反面、
――依存ではないか?
と感じたのも、この純粋さに不安を感じたからだった。
だが、この不安は、彼女から慕われているという幸福な気持ちからすれば、ほとんど小さなものであり、心を落ち着けることができる相手に出会ったということが幸福へと自分を導いてくれると思っていた。
だが、彼女の依存を忘れたわけではない。心のどこかでいつも意識していて、それが一抹の不安を与えていた。その思いがどこから来るのか気付くまでにさほど時間は掛からなかった。
と言っても、それに気づいたのは父親が結婚し、咲江が正式に自分の義理の妹になってからのことだった。
咲江が義妹になったということで、義兄としての責任のようなものを感じた。実際の妹がいるわけではないので、妹というのがどういうものなのか分からなかったが、小学生の頃には、
「弟か妹がほしい」
という気持ちはあった。
ただ、あまり年の離れた弟か妹がほしいと思っていたわけではない。だから、両親が離婚する前から、兄弟ができることに対して、何も思わなくなっていた。
それが、義理とはいえ、父親の再婚という形で現実のものとなると気持ちは複雑だった。同時に義母もできたわけで、義母に対しては、どうして本当の母親というものを思い出すため、意識しないわけではない。
――この人は本当のお母さんではないんだ――
と常々思っていないといけないのだと自分に言い聞かせていたくらいだった。
だから、一度父と喧嘩した時、母のところに行ってみたのだし、ただ行ってしまうと、
――ここに俺の居場所はないんだ――
と思い知るだけのことだということを思い知るだけだった。
実際にはそれでもよかった。思い知ったということも実際には悪いことではない。思い知ったことで、もう実の母親のところにはなかなか行くことはできないと思うのだが、もう少し成長して、何年ぶりにか母親と会った時のお互いのギャップを考えると、ゾッとするものがあった。
母親に思い漕がれて会いに行くはずなのに、もしそこにすでに新たな人生を出発させていた母親から、怪訝にされてしまうと、そのショックは計り知れないものになるだろうと想像できるからだった。
離れてから初めて会いに行ったのが、まだ大人になり切れていない時期だったのは、ある意味よかったのかも知れない。大人になってしまうと、母の本当の気持ちも分かるかも知れないからだ。、
――そんなこと知りたくなかった――
という思いを強く持ったことだろう。
中途半端な大人が、いきなり大人の世界のドロドロした感情を知ってしまうと、多感な時期だけに、どう考えていいのか分からず、気持ちが整理できることもなく、それだけに受け入れられない感情が、きっと自分の中に蠢いているに違いない。
それはまるで血液の中を小さな虫が蠢いているような感覚ではないだろうか。気持ち悪くて、すぐにでも排除したいのだが、身体の奥深く、しかも、触ることのできない小さな部分であり、身体全体を貫くという一番大切な部分だけに、余計に気持ち悪さが倍増してしまう。そんな思いを想像しただけで、ゾッとするのであった、
実の母親と、義理の母親。比較などできるはずもないが、今は義理の母親と一緒に住んでいる。
そして、目の前にいるのは義理の母親なのだ。
「お義母さん」
と口ではいうが、文字にしてしまうと、
「義母」
なのだ。
そんなことはよく分かっている。
大人だから分かっているというわけではなく、いつも頭の中にあるから、これだけ考えていれば分かりたくないものであっても分かってしまって当然というものだという考えに則ったものだった。
咲江の方がどうだろうか?
彼女は自分の父親に対してどのような感情を抱いているのだろう。
彼女の実の父親はもうこの世にはいない。恭一とは境遇が違っている。お父さんの面影が残っているかどうか、定かではない。
ただ咲江を見ていると、
――目を閉じれば、瞼の裏に今も実の父親の面影が残っているのではないか――
という思いが頭をもたげる。
それは、恭一が、
――そうであってほしい――
と思いからで、そうであってほしいのは、咲江という女の子が実に純粋でまっすぐな女の子だということが分かっているからだ。
そんな女の子であれば、父親のことを忘れないでいてほしいと思うのは、恭一の都合のいい解釈でしかないが、だからこそ、彼女からの慕われる気持ちとは別の依存心のようなものも、一緒に受け入れても構わないという気持ちになっているのではないだろうか。