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短編集84(過去作品)

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 恐る恐る近づいてみる。冷たさが硬直している感覚を与えるのか、硬直している様が、冷たさを感じさせるのか分からないが、完全に死んでいるようだ。
 その場から立ち去りたい衝動に駆られるのは同然のことだったが、なぜか、ベンチの隣に座り、そばにいた。
 男の手にはビンが握られていて、近くにはペットボトルが転がっている。顔の表情に苦痛が感じられないことから睡眠薬であることは明白である。
――自殺なんだわ――
 男の格好は、浴衣と下駄のめぐみとは違い、ピチッとしたビジネススーツを身にまとった姿である。顔をよく見ると空港にいた男で、めぐみを見つめていた男だった。今から思えばじっと見つめていたあの時の顔が忘れられない。まるで、ここでもう一度出会うことを予感していたかのように……。
――何も自分から死を選ばなくとも――
 そう感じためぐみだったが、旅館で聞いたフリーライターというのはこの男のことだろうと直感していた。
 そういえば、空港で見られていた時に彼の顔を見て、どこかで見たように感じたのを思い出した。
――瀬川さんの表情――
 瀬川のいつの表情だったか定かではない。きっと楽しかった頃に、時折見せた普段とは違う表情だったように思えてならない。自分の中にカチッとした信念を持っているが、普段と違う表情が、寂しげで、孤独感に満ち溢れていて、それを必死で隠そうとしている姿……。
 めぐみには何となく分かっていたのだろう。そう、これは傷心旅行などではない。本当の瀬川に出会うための旅なのだ。
――自らの分岐点を自らの手で引っこ抜いたのかも知れない――
 めぐみは瀬川についてそう感じていた。
 今頃、瀬川は安らかなはずだ。今ここのベンチで瀬川との懐かしい思い出に浸っている。昔から虫の知らせなるものを一度も信じなかっためぐみだったが、今、この瞬間は自分の気持ちが身体から離れて瀬川の元で一つになったことを感じているのだった……。

                (  完  )


作品名:短編集84(過去作品) 作家名:森本晃次