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短編集84(過去作品)

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 福岡空港に着いてすぐに博多駅へと向かった。特急の指定券を買っていたわけではないので、それほど急いでいないが、福岡空港から博多駅まで地下鉄で約十分、これほど近いものだとは思わなかった。
――来た列車に乗ればいいんだ――
 そう思ってホームに出る。なるほど、特急の本数は多い。ホームに横たわっている列車に乗り込んだ。
 程なく発射する列車、窓から都会の風景が流れていく。十分もしないうちに田舎の光景が広がる。田んぼの中に広告が立っているような田舎の風景だ。しかし、そんな中でも郊外型のスーパーやパチンコ屋などの大きな建物が目に付いた。レジャー施設が郊外に広がっていることに今さらながら気付かされた。
 目的地の駅までは博多から約二時間、気がつけばあっという間だった。飛行機もあっという間だったような気がするが、特急電車の旅ももう少し長いものだと思っていただけに拍子抜けしていた。
 何も考えないで列車の揺れに任せていようと思っていたが、そうも行かなかった。いろいろな思い出が走馬灯のように頭を巡っていたのだ。しかし、まわりから見れば漠然と表を見ているように見えるだろう。もっとも、それはめぐみだけに限ったことではなく、他の人も一様に同じような雰囲気を醸し出しているのだが……。
 列車が到着して温泉宿まで宿のマイクロバスで出かける。その時間帯はめぐみだけだったらしく、宿はさぞかし閑散としたものかと思っていたが、団体客があるらしく、思ったより賑やかだった。
 部屋に案内してくれた女性から、
「お客さんすみませんね、賑やかで。でも明日にはあちらはお帰りになられるので、それからは静かになりますよ。やっぱり静かな雰囲気を求めてやってこられたんでしょう?」
「ええ、まあそうですね。気を遣っていただいてありがとうございます」
 複雑な表情を見せたので、旅館の人も気を遣ってくれたのだろう。確かに静かで誰もいない旅館を想像していただけに、当てが外れた感じにはなったが、賑やかならそれもまた考えようだ。一人ドンヨリと考え込まずに済むかも知れない。あくまでも想像だけなのだが。
 しかしさすがになるべく顔を合わさないようにしていたのも事実で、宿の中を歩き回る時も、それなりに気を遣った。どうやら自分と団体客以外には、男性が一人で泊まっているだけらしい。
「男性の一人旅というのはあるんですか?」
 思わず聞いてみた。
「女性の一人旅ほど多くはないですが、芸術家の方が一人になって創作活動をされるのに来られることもありますね。写真家の方だったり、小説家の方だったり、こちらもそれなりに心得ておりますね」
「じゃあ、今宿泊されている方も?」
「ええ、フリーライターの方だそうです。時々ここに来られては、部屋に篭ってお仕事をされていますね」
 芸術家と名のつく人と知り合ったことはなかっためぐみだけに、興味があった。さぞかし、奇抜な格好で、偏屈っぽく見えるのだろうと、勝手に想像する。ベレー帽にパイプを咥えて万年筆を持っているような姿、頭の中での妄想だ。
「あの、この近くに滝なんてありませんよね?」
 忘れたくて出かけたはずの旅なのに、どうして滝が頭に浮かぶのか、もしあるのであれば、見てみたい衝動に駆られた。心の底ではないことを祈りながら……。
「ありますよ、中くらいの大きさの滝ですがね。誰かにお聞きになられたんですか?」
「あるんですか? いえ、誰かに聞いたというわけではないんですが、どうしてそう思われたんですか?」
「ここは滝のことをガイドブックには載せていませんから、あまり知られていないんですよ。だから、どうして知っておられたのかビックリしましてね」
 何か探りを入れるような目だ。少し表情に怯えも見える。何かいわくがあるんだろうか?
「ここから遠いのですか?」
「あまり近くはないですね。少し森の中の入り組んだ道を入り込むことになりますので、あまりお勧めはできないんですよ」
「綺麗なんでしょう?」
「そうですね。でも今の時期はあまり行く人はいないです。地元の人も誰も行くことはないですね」
 どうも行かせたくないようだ。そうされればされるほど行ってみたくなるのが旅の醍醐味、普段のめぐみとは少し精神状態が違っていた。
 食事をして散歩がてら出かけてみる。やっぱり浴衣に下駄といういでたちだ。足元がぬかるんでいて歩くにくい。一応アスファルトで舗装された道なので、下駄の音が乾いた音を小気味よく響かせている。
 近づいてきたようだ。滝の音とともに、風を感じる。身震いしそうな風であるが、それほど冷たさを感じないのはなぜだろう。最初から滝は冷たいものだという先入観があるからに違いない。ゆっくりと歩を進めた。
 少し霧が出てきたようだ。瀬川と行った滝でもそうだったが、霧が掛かっているのが滝の醍醐味だと思っていたので、さらに懐かしさのようなものがこみ上げてくる。本当は思い出したくないくせに、純粋に感じる懐かしさだ。
 歩いていくと、途中に分岐点がある。片方は山に登っていくような道で、もう片方は平坦な道だ。めぐみは一瞬迷ったが、平坦な道を選んだ。もちろん、足元が下駄というのもあるが、滝は平坦な道からだという思いがあったからだ。そこに立て札はない。立っていた跡はあるようなので、誰かが抜いたのだろう。それもごく最近まであったような気がして仕方がない。
 ゆっくりと歩いていく。足元を確かめながら……。
 平坦とはいっても、かなりデコボコとした道のり、歩きやすいわけでもなく足元を見ていないと転んでしまいそうだ。足元を気にしながらどれだけ歩いただろうか、轟音だけが大きくなってくる。
――そろそろだと思うんだけどな――
 そう感じていると、目の前が急に開けるかのように、明かりが見えてきた。
 自分で感じていたよりも森が深かったようだ。限りなく暗闇に近い緑だといえば大袈裟かも知れないが、まるで緑のトンネルを抜けたかのように、差し込んでくる光は、滝に当たって煌いているかのようでもある。
 ゆっくり歩いて緑のトンネルから出ると、目の前に広がる大きな滝にしばし見とれてしまっていた。轟音は見せ掛けではなく、叩きつける水流の強さを物語っている。滝の強さは何にも増して強力なのだという思いを今さらながら抱かせるものだ。
 思わず溜息をついたが、あまりにも想像よりもはるかに大きなものを見るとついてしまう無意識の溜息のようだった。しばし見とれていたのも無理のないことだろう。
 後ろを振り返ると、そこにはベンチがあった。今まで気付かなかったが、そこに一人男性が座っているではないか。ここにやってくる時は影になっていたので気付かなかっただけだが、男はぐったりとしていて眠っているかのようだった。
 横を見ると立て札が引き抜かれたまま無造作に転がっているのが見える。どうやら先ほどの分岐点に立っていた立て札のようで、男が引き抜いてきたのだ。
――なぜそんなことを?
 考える間もなく、男がまったく動かないことに気付いた。完全にうなだれていて、顔を確認することはできない。身体は無造作に投げ出させていて格好悪い。明らかに尋常な様子ではない。
――死んでいる――
 直感で分かった。
作品名:短編集84(過去作品) 作家名:森本晃次