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短編集84(過去作品)

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 それが瀬川の持って生まれた性格だと思っていた。しかし、どうもそうではないらしい。瀬川自身自分で気付いているかどうか分からないが、多分気付いていないだろう。心のどこかで、
――気配を消すんだ――
 という気持ちが働いている。誰も知らないはずの瀬川の性格、間違いないことだと感じているめぐみだった。
 瀬川が頭のいい男であることは、めぐみも認めている。いつも計算しながら生活しているようで、そのためには、確かに目立っているよりも石ころのような生活の方がお似合いだろう。
 瀬川自身、冒険心や野心があるわけではない。そんなものを持っていればもう少し変わった人生が送れたはずだ。それだけの素質を持っているように思う。だが、それでもったいないとは思わない。それが自分の生き方なのだから、無理をすればそこから綻びが生まれるのは目に見えていた。
 今から思えば、瀬川の家庭での立場は微妙だったのだろう。少しずつ奥さんが瀬川の性格を見えてきた。最初に理解できなければ、なかなか受け入れられる性格ではないことは、めぐみにも瀬川自身にも分かっている。それだけに、めぐみの心の中には、
――この人は帰るところがないんだわ。結局私のところにいることになるのよ――
 という自信があったことは否定できない。
 めぐみは自信家でもある。自惚れやすい性格でもある。特に男に対しては、
――自分はもてる性格なんだ――
 と思っていて、実際に学生時代からラブレターをもらったり、誘われたりすることも多かった。ラブレターなどは、中学時代の純情な頃のことではあるが……。
 そんなめぐみが傷心旅行? 自分でも信じられない。
 もしいずれ瀬川と別れることになったとしても、傷心したりは絶対にしないだろうと思っていたからである。めぐみは初めて自分が女としてのもう一つの面を持っているのに気付いたのだろう。
 気が強い面もめぐみにはあった。
「めぐみっていう名前は、もう少しおしとやかな人が多いと思っていたよ」
 と皮肉っぽく瀬川に言われたことがある。
「いやだわ。そんな風に見えるなんて」
 めぐみも負けずにはにかんで見せる。
「ふっ、そこが気の強い証拠だ」
 めぐみが皮肉をこめたことは、瀬川にはお見通しだった。瀬川の笑みには悪気はない。
 めぐみの前でだけ瀬川はいろいろな面を見せる。時には亭主関白っぽいところがあり、時には甘えて見せる。めぐみ自身気分的に性格の起伏が激しいことから、お互いにうまく噛み合っているのだろう。それが二人の相性のよさを物語っていたのだ。
 会社での二人を知っている人なら、
「めぐみは瀬川なんて相手にするわけないだろう」
 と言うに違いない。まさしくめぐみ自身、最初はそうだった。
――どうしてこんな人と――
 何度感じたことだろう。しかし一緒にいればいるほど彼の知的なところや優しさが滲み出てくるように思えてならない。めぐみにとって瀬川はいつの間にかなくてはならない存在になっていたのだ。
 めぐみの気の強いところを本当に知っているのは、瀬川だけだろう。
――気が強そうな女性だ――
 と思っていても、普段の優しさがそれをオブラートで包んでいる。しかも優しくソフトなので、ごく自然にである。オブラートがあること自体を感じている人が果たしているだろうか。
――人の話に合わせるのがうまい人は気が強いのかも知れない――
 めぐみは自分のことをそう評価している。自分なりにいいように考えているからそんな結論になるのだろうが、それを瀬川に話したことがあった。
「それを他の人に話すと、真面目に聞いてくれないかも知れないね。見方によっては傲慢とも受け取られるからね。でも僕はそうは思わない。それが君のいいところなのだし、自信を持っていいところだよ」
 と、いくつかの例を示して話してくれた。
 めぐみはそんな瀬川が好きだった。そこが瀬川の優しさなのだ。そして瀬川に惚れてしまった最大の理由はそこにあった。
 男がベラベラ喋るのはあまり好きではないめぐみだったが、瀬川と話していると時間を感じない。いろいろなことを吸収できて、一番幸せな時間を共有できる仲なのだ。お喋りと相手を諭すのでは次元が違う。瀬川のそれは間違いなく諭す方である。
 あれは初めて旅行に行った時のことだった。あまり会社を休むことができないのはわかっているし、何よりも瀬川には家庭がある。一泊をお忍びで過ごした。
 旅館に着いてからの二人は宿の人たちにどんな風に見られただろう。めぐみはあまり気にしていなかったが、瀬川は気にしているようだった。それは見られて気になっているのではない。めぐみが宿の人に見つめられることを気遣っているのだ。そんな優しさのある男だった。
――そんな余計な心配しなくてもいいのに――
 めぐみは心の中でそう呟いていた。めぐみの気持ちを知ってか知らずか、なるべく楽しむことを心がけている瀬川だった。
「この先に滝があるんだって、行ってみよう」
 まるで子供のようにはしゃいでいた。めぐみへの目を少しでも逸らせようという心遣いなのか、それとも心底子供に返ったような気持ちになっているのか、どちらかはめぐみには分からなかった。
 滝まではすぐに行けた。宿の部屋から遠くの方で聞こえる轟音を感じていたが、まさしくそれが滝の音だったのだ。夏の時期だったので、納涼にはちょうどいい。露天風呂に浸かってゆっくりした後で、浴衣に着替えて行ってみることにした。もちろん履物は下駄である。今までめぐみは下駄など履いたことはなかった。実に珍しい。
「カランコロン」
 しばらくは、下駄の音が小気味よく響いていたが、次第に轟音に掻き消されるようだった。あたりが真っ白になっていて、完全に霧に包まれている。今まで滝はおろか、温泉旅館すら経験のないめぐみには、そのすべてが新鮮だった。
「私、こんな大きな滝を見るのは初めてなの」
 とめぐみが言うと、
「それはよかった。実はこの滝を見せたくて君をここに連れてきたんだ。なかなかとおくまで行くことができないので、これでもいろいろ考えたんだぞ」
 瀬川は得意げだ。
 そんな時の瀬川を見るのがめぐみは好きだった。会社では絶対に見せない笑顔で、それでいていつも緻密に計算立てている瀬川の時折見せるあどけなさ、もちろんめぐみの前でだけに違いない。
 確信に近い思い込みは、確信だと思うめぐみと、確信に限りなく近いだけで、決して確信ではないと思うことにしている瀬川とだが、根本的な考え方は同じところにあるようだった。
 そうでなければ、会社であれだけ存在を消している瀬川と付き合うようになるはずもない。あれはいつのことだったろう。冷たい雨の降る夜のことだ。
 雨は夕方から降り始めた。朝晴れていたので、傘を持ってこなかったことを後悔しためぐみが雨に気付いたのは、夕方給湯室にお茶を入れに行った時だ。
 会社では昔から、いわゆる「お茶汲み」と言われる仕事はなかったらしい。そのため、すべてがセルフサービス。給湯室は男性も入ってくるところだった。
「雨が降ってきたな」
 一人の男性社員がそう言った。その男は女性からもてるタイプであったが、あまりいい噂は耳に入らない。
――狙った女は必ず落とす――
作品名:短編集84(過去作品) 作家名:森本晃次