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短編集84(過去作品)

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 虫の知らせなど、そう頻繁にあってはたまらない。命がいくつあっても足らないというものだ。
 人が自分の夢の中に出てくるという意識は、そのまま出てくる人も、自分がその人の夢に出ていると思っているのだろうか?
――夢の共有――
 という表現が正しいかどうか分からないが、そんな感じである。
 夢の中に出てくる人がいつも知っている人だとは限らない。知らない人が出てくることもあれば、
――どこかで見たことがある人だ――
 と思う人もいる。
 要するに不特定多数が夢の世界でリンクしていて、誰がどの夢に現れるか分からない。現れたくて現れるのであっても、相手はどんな気持ちでいるだろう。もし見たくない人の夢を見たとしたら、それはきっと相手が望んでみている夢なのかも知れない。
「あいつ、目立たないのに、夢にはよく出て来るんだよな」
 と話していたやつがいた。結構大声だったので、皆驚いて振り返っていたが、振り返った理由は大声に驚いただけではないのかも知れない。きっと皆同じような思いでいたので、叫び声に対し、敏感に反応したのだろう。
 一瞬、その場の空気が固まってしまったかのようだった。夢というものに対し、それぞれの思いはかなり違うはずだ。話題にすることもあまりなく、自分から言い出すのも恥ずかしい。それだけに、余計に気になったのではあるまいか。
 夢に出てくる知っている人、本当に自分の知っている人なのだろうか?
 これも疑問の一つである。ずっと会っていない人が夢に出てくると、
「何かの虫の知らせだったのよ」
 とよく言われるが、そんな時に限って、相手に何か起こっている時だ。それならば、相手が、
――一番会いたかったのは自分なのだろうか?
 という疑問が湧いてきても不思議ではない。
 もし会いたい人が他にいたなら、たくさんの人の夢に出なければならないことになるだろう。それほど人間の意識とはたくさんの人を思い浮かべられるものなのだろうか?
 それこそ大きな疑問である。
 訃報を聞いた後から感じるから、「虫の知らせ」と思い、似ても似つかない人を見ているにもかかわらず、夢で見たと思い込んでしまっているのかも知れない。「予知夢」に対して感じることと同じではないだろうか?
 目立たない人間ほど夢の中では目立っているというのも聞いたことがある。相手が夢だと感じるのも、あまりにも性格が豹変してしまっているからだと言っていた。それが会話の中の一つ一つなのか、それとも漠然とした見方なのかは分からない。
 武藤など、夢を見ている時に、
――これは夢なんだ――
 といつも感じている。だからこそ、夢というものが潜在意識の見せるものだという認識があればこそ、大胆な行動には出ない。
 しかし、目立ちたいという意識はあるかも知れない。
――どうせ夢なんだ――
 起きてしまえば、たとえ他の人が夢の内容を覚えていたとしても、夢が人と共有するなどという馬鹿げたことを考えている人がまわりにいるはずもなく、行動は大胆になれなくても、気持ちだけは大胆になったとしても不思議ではない。
「武藤さん、夢の中で口説いていたわよ」
 泰子に言われ、ドキッとした。
「え? そんなことはないだろう?」
 と言葉を濁したが、十分にありうることだ。
――自分が見る夢なら女性を口説いても不思議はない。しかも相手が泰子ということになれば――
 と考えていた。しかし、それを露骨に指摘されるのも恥ずかしい。夢だけに、自分の本音が現れたのだ。それを悟られたくなかった。
 しかし、それも本音ではない。本音は、
――早く僕の気持ちに、気がついてくれないかな?
 である。
 夢の中で会っているうちに、次第に泰子の気持ちが分かってくるように思えてくるのは気のせいだろうか?
 泰子の中で武藤の存在が大きくなってきているような気がする。武藤が望まなくとも、泰子が夢に現れるからだ。誰かが夢に現れる場合、きっとどちらかが会いたいと強く望んでいるからではないかと思っている。あるいは、何かを確認したい時だったり、そこに必然的なものを感じる。
 自分からあまり入れ込みすぎると、却ってしらけてしまうこともある武藤としては、あまり性急に想わないようにしている。しかし。それも人から想われれば別で、熱を上げるかも知れない。あまり人に好かれることがないからだ。
 逆に相手に避けられている時はどうだろう? この時が一番相手を追いかけてしまう。逃げれば逃げるほど追いかけたくなる気持ち、男である時を一番感じる時だ。
 泰子という女性はそれほど惚れてきているわけでも、さらりとかわされているわけでもない。さりえない仕草の一瞬一瞬に女としての色香を感じるのだ。
 似ているといえば、どことなく洋子に似ているが、どこが似ているといわれると、答えがたいところがある。
 笑顔の素朴さだろうか? お互いにあどけなさが残る中で、妖艶さが滲み出ている。洋子の場合は最初にあどけなさを感じ。後から妖艶な大人の色香が滲み出てきた。泰子の場合は、最初に妖艶さを感じていたが、途中からあどけなさを感じるようになっていった。
 似たような女性でもかなり赴きが違う人もいるが、似ていない女性でも同じような赴きを持った女性が相手に似てくるということもある。元々同じ雰囲気を持っているからで、自分の最初に見る目が違っているだけなのかも知れない。
 泰子と洋子は後者であろう。
 出会いもまったく違うシチュエーションであったし、知り合ったのが学生時代の洋子と、最近知り合ったばかり泰子との違いというのもあるだろう。
 アーケードを女性と歩いたことはないが、歩いていて女性と歩いても違和感を感じない気がする。思い浮かべる女性が泰子なのか洋子なのか分からない。きっとどちらでも違和感はないだろう。
 スナック「パピヨン」までのアーケード、夢の中にも何度か出てきた。アーケードの近くに泰子が住んでいるからである。行ったことはないが、想像を巡らせている。パチンコ屋の角を曲がって小さな路地の突き当たりにあるアパート、二階建てで金属製の階段を上がっていくと、そこには出前のラーメンのドンブリ鉢に二本の割り箸が無造作に置かれているような光景が眼に浮かぶ。狭い通路に牛乳瓶と新聞受けが一緒になった木箱が置かれていて、それも散乱している。
――こんなところが今まだあるんだ――
 想像とはいえ、思い浮かべてしまう自分が怖い。
 パチンコ屋が目の前にあるわりには閑散としていて、時々パチンコ屋からのけたたましい音に驚かされそうである。
 小さい頃の友達に、そんなアパートに住んでいるやつがいて遊びに行ったことはあるが、中の様子など覚えていない。決して綺麗だった記憶はなく、今から思えばあれこそ一番二間臭いところはなかったのではないだろうか。
 そういえば臭いもしていた。ケミカル工場のような、ゴムの臭いが鼻をついたが、嫌な臭いという記憶はない。きっと今臭ってくれば
――懐かしい臭いだ――
 と感じるに違いない。
 夏、一番遊びに行っていたように記憶していて、夕方の気だるさの中、ゴムの臭いがするわりにはお腹が減っていたようだ。今でもゴムの臭いを嗅げば、夕方を思い出し、空腹感が募ってくる。
作品名:短編集84(過去作品) 作家名:森本晃次