小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

短編集84(過去作品)

INDEX|16ページ/21ページ|

次のページ前のページ
 

 その表情がちょうど前の席でコーヒーカップを口元に運んで上目遣いに見つめている女性の顔に似ていた。まさしく妖艶で、武藤を待ちわびていたという気持ちを押し殺してでもいるかのようだが、目だけは訴えているのだ。
 洋子とはこの喫茶店に来たことがなかった。
 喫茶店にはその店に似合う女性、似合わない女性がいる。洋子は似合わなかった。どちらかというと、暗い照明に黒を基調にしたようなシックなつくりの店で、BGMはクラシックといった感じの店が似合っていた。明るい性格であどけなさが前面に出ているのだが、
どうかした拍子に現れる妖艶さがたまらない魅力だったのだ。
 だがそれを知ったのは別れる寸前だったのが今から思えば悔しい。別れたくなどなかったのに、相手に好きな男ができたのでは仕方がない。
――自分がハッキリとしなかったからだろうか?
 そう感じると歯軋りをしたくなるほどの悔しさを感じる。
「あなたとは楽しかったわ。でも、楽しかっただけなの……」
 言っている意味が分からない。
――楽しいこと以外で何か求めるものがあるというのだろうか?
 今から思えば何を言いたかったのか分かる気がする。
 確かにちょうどその時、武藤は鬱状態だった。人のことを気にしていられる精神状態ではない。きっと洋子は武藤から何でもいいから話をしてほしかったに違いない。洋子自身もそんな時期だったのだろう。
 鬱状態に陥ると、自分しか見えなくなる。いや、自分すら見えていないのだ。目の前に見えるものすべてが虚実に思えてきて、何を信じていいのか分からなくなってくる。
 学生時代友達に、
「俺は自分で見たものじゃないと、信じない性格だからね」
 と言っていた人がいたが、鬱状態の時の武藤は、自分が見たものすら信じられないのだ。
 信号の色が違って見え、毎日歩いている道が、逆に新鮮に感じられる。いつもは近くに見えるものが遠くに見え、小さく感じるようになる。そんな時は鬱状態の入り口なのだ。
――何でもいいから話をしてあげればよかった――
 とは感じるが、話をしようと思えばできないわけではない。喋ることで自分の精神状態に変化が起きるのが怖いのだ。鬱状態の時というのは、早く抜け出したいとは思うが、じっとしていればいつかは抜け出せるもので、時間が解決してくれると思っている。それだけに必要以上に動くことを嫌うのだ。
 きっと身体が硬直してしまっているのだろう。他の人から見ればどんな風に見えるのかということが気になっているが、人に聞くわけにもいかず、また聞いて、期待していることと違う返事が返ってくれば、その気持ちのまま、また鬱状態に陥るのも怖い。頭の中で堂々巡りをしているようだ。
 洋子と一緒に行った喫茶店。今でもあるのだろうか?
 喫茶店でコーヒーを飲みながら違う喫茶店のことを思い出すことになるなど、思いもしなかったが、目の前にいる女性を見て、洋子を思い出したからだ。
 人によって話の内容を変えるのがうまいと思っている武藤は、スリムで背が高い雰囲気の洋子とは高貴な会話をするのが好きだった。
 趣味が絵画というだけに、洋子とは美術館などで過ごす時間が多かった。その帰りに寄った喫茶店が忘れられない。
 だが、洋子に大人の色香を感じるのは、絵画を見に行ったり、喫茶店での時間が主だった。他の時は、さすがにまだ二十歳そこそこの女の子のように、あどけない表情を見せていたのだ。そのギャップが男心をくすぐると言っても過言ではない。
 背が高いだけに、黙っていれば清楚なのだが、喋ると少し舌足らずのところがあり、子供のようである。話している内容はしっかりしているのに、損をしてしまうようだ。
 洋子との出会いは人からの紹介だった。というよりも、友達同士が知り合いだった。知り合った場所もスナックで、お互いにあまり顔を出すようなところではなかった。
 知り合ってからしばらくして、
「まさかスナックで知り合うなんて思ってもいなかったよ。呑める方ではない僕がスナックに行くことなんて、誘われでもしないとないことなんだよ」
 すると彼女も言い返す。
「あら、それなら私にも言えることなのよ。あまり呑めないのはお互い様でしょう?」
 とはにかんで見せる。
 スナックに行くようになってからの武藤は、我ながら大人になったような気分に浸っていた。高校時代まで男子校だったからか、あまり女性と接したことがない。大学に入り先輩につれていってもらったスナックでは、ほとんど何も喋れないでいた。
「お客さん、無口ね」
 と水割りを作りながらカウンター越しに言われると、すっかり顔が真っ赤になってしまい、ますます口が開かなくなった。そんな武藤を女の子たちは見つめているが、最初は情けないやら恥ずかしくてたまらなかったのだ。
 しかし、それでも何度か連れて行ってもらううちに、馴染みの仲間に加えてもらえるようになると、最初の時のような緊張はすでになくなっていた。
 アルコールも飲んでいればそれなりに呑めるようにはなる。だがそれでも弱いことには変わりなく、調子に乗って呑んでしまうと、翌日に応えた。
 誰かと一緒にしか行ったことがなかったのは、自分の行動範囲から遠かったからである。もし近かったとしても最初は行くこともなかっただろうと感じているが、一度は一人で入ってみたいところでもあった。
 喫茶店と違い、スナックのいいところは、やはりちやほやされるところだろう。大人の女性と一緒にいるだけで、舞い上がってしまうが、男としては、甘えたい態度に出る人と、毅然とした態度に出る人と二種類いるだろう、
 武藤の場合は、毅然とした態度に出たい方である、決して出ているとは断言できないが、涼しい顔をしていたいと思うところは自分でも健気だと思えてくる。
 武藤はアルコールが入ると、最初は何ともないのだが、すぐに顔が真っ赤になり、そのまま意識が朦朧としてくる。気をつけないと、自分のペースを見失ってしないかねない。そのスナックの女の子はそのことを心得ていて、武藤に無理やり呑ませるようなことはしない。だからこそ武藤も安心していたのだ。
 その店の名前はスナック「パピヨン」、まさに妖艶な蝶のイメージである。近くには高級住宅街が控えていて、それなりに客層も上品な人が多い。店の名前も街並みにマッチしているのではないだろうか。
 その日、近くの家にいる友達のところへ寄る用事があった。駅から比較的近いのでそのまま帰ってもよかったのだが、食事を軽く済ませてお腹に余裕ができると、気分的にも余裕が生まれた。
――たまには一人で寄ってみるのもいいかな?
 と思ったが、考えてみればいつも誰かにつれてきてもらっているので、行き方が分からない。しかも住宅街といえばどこも同じような風景が広がっていて、袋小路に迷い込んだようである。
作品名:短編集84(過去作品) 作家名:森本晃次