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短編集84(過去作品)

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 今の会社に入って十年が経ったが、相変わらずの生活を続けている。年齢も三十歳を過ぎ、いわゆる働き盛りというやつだろう。結婚を考えないこともない、だが結婚をしようと思う相手にめぐり合わないのは、真剣に探していないからかも知れない。
 適当に遊ぶ相手の女の子はいる。野本氏は、クールな方で、特に女性の前では自分から決して話しかける方ではない。相手が気になって話してくるのを待っているように他の男からは見えるだろう。打算的なところなど何もないのに、そう見られるのは心外だが、だからといって別に嫌われているわけではないようなので、良しとしていた。
 砂時計を見つめている時の自分が本当の自分だと思っている。結婚を考えるだけの女性が現れないのはなぜかと考えたが、そんな時に現れたのが、美咲だった。
 今までに付き合った女性で、結婚まで考えていた女性もいたことだろう。しかし、野本氏自身が女性に対して求めていたものよりも、さらに大きなものを女性が求めていることに気付くと、次第に冷めた気分になってくる。
 特に女性と付き合っていて感じたこととして、女性というものはある程度まで忍耐強く我慢できるが、ある一線を越えると、自分の世界に嵌ってしまうものらしい。しかも普段はベッタリするのが好きな女性ほど、冷めてくると豹変して、平気で他の男に靡く女が多いように思えてくる。
 皆が皆そうではないのだろうが、二、三人でもひどい女に出くわすと、すべてがそうだと思い込んでしまうところが、自分の短所だと思ってる。
――短所と長所は紙一重――
 というではないか、短所の中にこそ長所が、長所の中にこそ短所が見え隠れしているものなのだ。
 自分にはそれが多分にあると思っている。特に女と一緒にいる時など、その思いが強い。好きな女の前ではどうしてもかっこつけようと構えてしまって、却ってボロが出ることがあるが、それもご愛嬌、分かってくれる女性を探せばいいのだ。分かってくれない女性であれば、付き合ったとしても長続きするはずなどないだろう。
 一度野本氏は不倫というのをしたことがある。その時は完全に一目惚れだった。一目惚れなどするはずないと思っていた野本氏だったが、まさか、一目惚れした相手に夫がいるとは思ってもみなかった。
――女性を見る目が狂ったのかな?
 魔が差したという表現はきっと適切ではないだろう。結婚する気になれない時にふっと飛び込んできた感情だったのかも知れない。
 なぜか罪悪感はなかった。変な懐かしさがあるくらいだ。
 それまでは主婦か独身か見れば大体分かったはずだった。見る目が狂ったと感じたもう一つの理由は、
――後から冷静に考えれば、確かに主婦にしか見えないな――
 落ち着きのある清楚な雰囲気は、主婦にしか出せない味だ。主婦をたくさん知っているわけではないのになぜすぐに分かるのか自分でも分からなかったが、心のどこかに主婦への憧れのようなものが蠢いていたとしか思えない。
 一目惚れであったが、それが本当の恋だったかどうか今でも分からない。普通の恋愛感情ではなかったことは確かだ。
――一緒にいて安心できるんだが、安心したあとに押し寄せる何とも言えないやるせない気持ちはどこからくるのだろう?
 罪悪感ではない。相手の旦那に対しての罪悪感など最初からないのだ。
――自分が相手の旦那の立場だったら――
 と考えることのない自分が不思議なくらいだ。心のどこかで感じているのだろうか。
 その女性とは会話らしい会話をしたことがなかった。お互いに何も話さなくとも心が通じ合っている気がしていたからだ。
――大人の恋――
 その一言で片付けられそうな気がした。
「そこに会話なんていらない」
 と、キザなセリフの似合う男にでもなった気分だったのかも知れない。
「本当に相手を愛していたわけではない。シチュエーションに酔ってただけさ」
 他の人に言えば、そう答えが返ってくるように思う。恋愛なんて形のないものだから、思い込みや感情に流されても不思議はない。野本氏はそう思いたくないだろうが、結局冷静になって考えると、
――流されていた――
 ということになるのだろう。
 不倫が終わるきっかけを与えてくれたのは、砂時計だった。
 あの日も彼女とのかけがえのないと思える時間を過ごして部屋に帰ってきた。部屋の中は相変わらず暗く冷たかった。身体の芯から冷えていたのか、冷たい風に当たってさらに身震いをしたのを覚えている。風邪でも引いて寒気でもない限りそこまで感じることなどなかったはずである。
 薄手のカーテンから零れてくる明かりを感じていた。普段はすぐに照明をつけるので薄明かりなどを感じることもなかったが、その日は最初から感じていた。
 そういえば、部屋まで帰ってくる時に通る道はいつもと同じ道なのに、やけに照明が暗く感じられたのを思い出した。影を感じることもできないほどの薄暗さだった。
 普段は影を見つめながら帰ってくる。足元から伸びている影が、いくつも放射状に広がっている。あまり気持ちのいいものではないが、気になって仕方がない。そのすべてから見つめられている気がしているからだ。
 帰宅する路地はちょうどライトが切れ掛かっていたのか、それまで薄暗かったところまで光が当たるようになり、すべてがハッキリと見えるようになっていた。道の凹凸までハッキリ見えてくると目が急によくなったような錯覚に陥る。それがその日に限っては、以前のような薄暗がりだったのだ。
 部屋に帰ってから明かりをつける気にならなかったのも、薄暗がりに目が慣れてきたからかも知れない。慣れてきたからこそ、カーテンから零れてくる薄明かりを感じることができたのだ。しばらくゆっくりと薄暗がりを見ていたかった。
 静かだった。遠くから犬の遠吠えのような声が聞こえるが、ほとんど気にならない。普段の生活の中でこれだけの静寂であれば、ちょっとした物音でも気になって仕方がないはずである。なぜその日に限って気にならなかったかというのは、しばらくして気付いた。
――耳鳴りがしているんだ――
 最初はそれほど気にならなかったのは、本当の静寂だったからだ。犬の遠吠えが遠くで聞こえた時、初めて篭って聞こえるのに気付いた。その時に感じたのが耳鳴りで、耳鳴り自体を感じるのは初めてではなかった。
 だが、自分の部屋で感じる耳鳴りは初めてだった。
「ドックンドックン」
 胸の鼓動を感じる。最初はゆっくりだが、次第に早くなってくる。しかも信じられないくらいの早さで鼓動が聞こえてくるのだ。
 それほど緊張したり、何かに怯えているわけではなかったが、信じられないような早さの胸の鼓動を感じると、何とも言い知れぬ不安が襲ってきたようだ。それがどこから来るものかまったく想像もつかないだけに、余計不安を募らせていた。
 電気をつけるのが怖かった。いきなり光を浴びると死んでしまうのではないかと思えるほどで、極力刺激を避けたいと思うのだった。どこからかいい匂いがしてくる。女性がいるわけでも、この部屋に来たことがある女性が忘れていった香水があるわけでもなかった。しかし香りは完全に香水によるもので、今までに何度も感じたことのあるものだった。
作品名:短編集84(過去作品) 作家名:森本晃次