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ふたりでひとり

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 という意識だけがあるだけだった。
 本人がそう思うからくりとして考えられるのが、なかなか家に着かないという発想を、いつも違うところで感じていると思っていたが、実際にはまったく同じところで感じていたからである。
 その時に一瞬であるが、
――あれ? 前にも感じたことがあったような――
 という意識があった。
 まるでデジャブのようだが、それから彼がいずれはその袋小路から逃れることができるようになるのだが、それが、自分なりに理屈をつけることができて、納得できたからなのだが、
「袋小路に紛れ込んで、その中で意識していないのに、まったく同じ場所で同じことを考えている。袋小路自体が信じられないので、自分の中で同じ場所で複数回同じことを考えるなどありえないと思う」
 これが、デジャブの説明になるのではないかと思った。
 ひょっとすると、これは夢の世界でのことなのかも知れないが、もしそれが本来の意識の中で感じていることであれば、現実だったともいえるのではないだろうか。
 袋小路を感じることを自分の中で拒否することが、時間というものがすべて同じタイミングで刻まれているということに疑問を感じさせない。きっと時計なる器具があることが理由の一つなのだろうが。
 そんなことを大学時代に感じていたのを思い出していた。
 長い口づけと抱擁が終わって、中西は今感じたことを忘れてはいけないと思い、カバンの中からメモ帳を取り出して、そこに書き込んだ。このメモ帳は以前から何か思いついたことがあればどこででも書けるように持ち歩いていたものだった。
「それ、何ですか?」
「ああ、これはね、ネタ帳とでも言えばいいかな?」
「えっ、作家の先生なんですか?」
「いやいや、僕はまだ学生で、サークルで文芸関係をやっているので、そのためのネタ帳をいつも持ち歩いているんだ。この間は脚本だったんだけど、今度は小説に挑戦してみようと思ってね」
 と言って、今感じたことを少し端折りながらであったが、話してみた。
「面白い発想ですね。私も夢を見たりした時、夢についていろいろ考えたりすることが時々あるんですよ」
「というと?」
「夢って、目が覚めるにしたがって忘れていくじゃないですか。それで覚えていることと言えば怖いことが多かったりするんです。だから、最初は忘れていくという感覚がなくて、最初から夢なんか見ていなかったんだって思ったんだけど、そうなると怖い故しか見ていないことになる。それも怖いと思ったので、逆の理論で、夢って忘れるものだって思うようになったんです。それを友達に話すとですね。私もまったく同じようなことを考えていたって言っているんです。でも、それからしばらくしてまた同じような話をすると、今度は前と違って、まったく違う発想だっていうんですよ。おかしいでしょう?」
「それは同じ人に対してなんですか?」
「ええ、そうなの。前に話した時とまるで別人なんじゃないかって思うほどだったわ」
「ひょっとすると同じ人なんだけど、別人なのかも知れないよ」
「えっ、どういうこと?」
「ひょっとすると、もう一人の自分がいるのかも知れない。僕は同じ怖い夢を何度も見ているって言ったでしょう? その夢の代表的なものが、もう一人の自分と夢の中で会うというものなんだよ」
「それは怖いですね」
「うん、これが夢だからよかったんだけど、なぜかというと、君はドッペルゲンガーという言葉を聞いたことがあるかい?」
「聞いたことはあるけど、どんなものなのかは知らないですね」
「ドッペルゲンガーというのは、『二重歩行』とも訳されるドイツ語なんだけど、もう一人の自分が存在していて、その人を見るということがこの発想なんだよ」
「それは怖いですね」
「自分で自分を見る以外にも、他の人が目撃してもドッペルゲンガーというんだ。でもドッペルゲンガーは本人の行動範囲以外に現れることはない。もしいたとすれば、それはただ似ている人ということになるらしいんだ。そして自分で自分のドッペルゲンガーを目撃すると、その人はすぐに死んでしまうという言い伝えがあるんだよ」
「それは本当に怖いですね」
「僕はその話を後になって知ったんだけど、自分が覚えている一番怖い夢が、もう一人の自分を見るという夢だったというのも、そう考えるとまんざらでもないような気がするから不思議なんだ」
 中西はドッペルゲンガーの話を書いたこともあった。だが、それを発表しようという気にはならなかった。
 書くまでは結構いろいろな発想が頭の中にいろいろな発想が浮かんできたので、思ったよりも早いスピードで書き上げることができたが、書き上げてしまうと、急に不安になった。
 それは作品の内容に関してもそうなのだが、
「ドッペルゲンガーを見ると死んでしあう」
 という話を主出したからだ、
 都市伝説のような迷信に違いないと思うのだが、迷信にしては、かなりたくさんの著名人がドッペルゲンガーを経験したことによって死んでいる。
 自殺、暗殺、死に方はそれぞれであるが、それ以前に、同じ次元で同じ時間、別の場所で自分が存在しているなど、考えれば考えるほど恐ろしい。
 有名なところでは芥川龍之介だったり、アブラハズ・リンカーンなどがいるが、彼らの特徴は、ドッペルゲンガーを何度も経験しているということだ。一度だけなら信じられないことでも二度起きれば信憑性は限りなく高くなってしまう。
「二度あることは三度ある」
 ということわざもそのあたりから来たのではないだろうか。
 先ほども書いたようにドッペルゲンガーの行動範囲は、その本人と変わらない。つまり、本人が行ったことのない場所には出現しないということだ。
 そう思うと別の発想が生まれてくる。
「過去の自分を見ているのではないか?」
 という発想である。
 同じ次元に同じ時間、存在できないのであれば、次元を歪めて、時間を超越したと考えれば、それなりに信憑性があるのではないか。そう思うとそれまでできなかった説明もつくのではないかと思えた。
 またドッペルゲンガーの特徴としては、
「決して喋らない」
 とも言われている。
 喋らないのも、次元や時間の違う自分が相手だからという見方もできるだろう。
 さらに、自分のドッペルゲンガーを見ると死ぬという伝説も、考えてみれば、次元や時間を超越することへの警鐘なのかも知れにあと思うと、これも信憑性が生まれてくるような気がする。
 そんなことを考えていると、小説にしてそれを公開するということが急に怖くなってきたのだ。
 それはドッペルゲンガーに限らず、すべての超常現象に言えることだが、イメージが湧いてきてどんどん新しいストーリーを完成させていくことで、生まれてくる発想に新鮮さを感じるのに対し、不安が募ってくるのも事実で、そんな不安を払拭できないでいることへの恐怖が襲い掛かったくる。
 風俗を始めて体験したその日から数日が経ち、自分が風俗に行ったという事実がまるで架空のことのように思えてきた。
 だが架空にしてしまうと、あの時に遭ったあの娘も否定してしまいそうで、それは嫌だった。
作品名:ふたりでひとり 作家名:森本晃次