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ふたりでひとり

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 それを彼は恋愛、あるいは青春小説の中に織り交ぜようと考えた。それは映像化を視野に入れたものだったのだが、自分の経験したことから派生させようという考えがあったのだ。
 だが、意識や記憶に関連させるような経験を自分がしたという覚えはなかった。思い出せないだけなのかも知れないが、思い出せないということは、封印を解くことができないということであり、書いてはいけないことだと言えるのではないだろうか。
 どうして書けないのかを考えてみたが、何かのインパクトがないことに気付いた。それは隆正がかつて言っていたような、
「何かショックを受けたような気がする」
 というようなことでもなければいけないのではないかと思った。
 そういえば、ショックなことなどというのは、最近感じたことがなかった。仕事もとりあえずは順風で、波風のようなものもなかった。
「やはり、何かショックなことでもなければ小説執筆とかできないんでしょうか?」
 と、少し野暮だとは思ったが、そんな質問を隆正にぶつけたことがあった。
「そんなことはないと思いますが、何かある方がトリガーとしては有効なんじゃないかとは思いますね。ただその場合はトリガーが起爆剤になるということを本人が自覚している必要がありますけどね。やっぱり、火のないところに煙なんか立たないんですよ」
 と言われた。
 この意見はポジティブな発想だと理解すればいいんだろうか。引き金を引かなければ確かに弾は発射されない。発射されなければ爆発もしないというわけであろう。
 ただ、一足飛びに起爆するわけではない。歯車のようなものが噛み合わなければいけないのだろう。ショックというのも一つのトリガーにはなりうるが、その時にどのような感情が伴うのか、中西は考えていた。
「私も以前はいろいろな出版社の新人賞に応募したりしていましたけど、ほとんどが一次審査で落選なんですよ。一次審査というと下読みのプロと呼ばれるような人が審査するのだから、作品云々よりも、文章としての体裁のような文法面だったり、文章の基礎になる部分を重視して、作品部分にはあまり言及しないのが現実なんですよね」
 と聞くと、隆正は少しビクッとした反応を示したが、その反応が反射的な意味での本能から来る反応なのか、それとも自分も過去に投稿したことがあり、それを指摘されたようあ気がしてドキッとしたのかよく分からなかった。
 編集担当ということで、自分が担当している先生と呼ばれる人の経歴くらいは調べていたが、隆正が過去に新人賞や文学賞に応募したという事実はなかった。あくまでも紹運先生の強い推薦ということでのデビューだったのだ。
 だが、それは出版社としては正解だった。隆正の過去についてはまったくの白紙ではあったが、デビュー小説はそれなりに売れて、現在でも右肩上がりに売れ続けている。しかも、新作を発表するたびに、過去作品も比例して売れるというのだから、売れ行きはまるでネズミ算式に見えた。
「過去なんかどうでもいいんだ」
 と、誰もが思えてくるような隆正の台頭は、出版不況と呼ばれる中でも、新風を巻き起こすに十分ではないだろうか。
 紹運先生といい、隆正の台頭といい、M出版社はいい人材を抱えているのだと、中西は思うのだった。
 中西はM出版社にも大学時代に新人賞応募したことがあったが、今から思えばどんな小説をいつ応募したのかも覚えていない。それだけ、
「下手な鉄砲」
 を撃ったわけだが、覚えていない方が幸いだったのかも知れない。
 中西はどうしても自分の経験からしか小説を書くことができない。かと言ってノンフィクションを書こうとは思わないのだ。あくまでも架空の話を自らが作り上げることが重要で、それは、
「新しいものを作る」
 ということに造詣が深いからだと言えるだろう。
 つまりは、
「『想像』はなく、『創造』なのだ」
 と自ら実践しているようなものなのだ。
 中西は、
「ショックなことがあったので小説を書けるようになった」
 という隆正の言葉が気になっていた。
「自分もショックなことがあれば、小説が書けるようになるのではないか」
 という発想ではなく、別の発想もできると思ったのだ。
 そこで思いついたのが、
「ショックなことがあれば、どんな風に変わってしまうのかということをテーマに、一人の人物に焦点を当てた小説を書く」
 ということだった。
 これも一つの発想の転換ではあるが、考えてみればこちらの方が発想としてはしやすいことになる。
 ショックなことがあると、まず身体に変調をきたすだろう。普通であれば面白くないし……。
 そう感じた時、
「性欲が強くなる」
 というのは面白い発想ではないかと思った。
「これなら書けるかも?」
 エロスを巧みに描くのは、自分にでもできるような気がしていた。
 学生時代にもエロスを織り交ぜた話を書こうとしたがどうしても恥ずかしくて書けなかった。だが今は大学も卒業し、いろいろな先生の担当について実際に肌で触れるような気持ちにもなった。それが自分の気を大きくしたのだった。
 いろいろな経験もした。先輩から、連れていかれた風俗が自分にとって初めての風俗だったが、自分が想像していたものと結構違っていた。
 店に入ると、受付を済ませ、待合室に通された。その店は高級店でもなく格安店でもない。いわゆる大衆店だった。
 待合室には数人の人が待っていて、マンガなどを見ながら思い思いに過ごしている。半分くらいは待合室にいただろうか?
――皆初めてではないんだろうか――
 緊張しているようには見えるが、その挙動に不自然さはなかった。
 緊張は何度来てもあるものだろう。いや、この緊張を味わうのも楽しみだと言ってもいい。何度か指名している馴染みの相手であれば、懐かしさがこみあげてくるだろう。初めての相手であれば、それなりに初体験を思い出しながら待つこともできるだろう。どちらにしても、まるで恋人に遭うかのような気持ちを抱いているのかも知れない。
――ここにきている人の中には、恋人のいる人もいるのではないか?
 初めての待合室では、いろいろな思いが交錯した。
 結構長い間待たされるので、気を紛らわせる意味でもいろいろ考えるのは決して悪いことではない。
 自分はまだ経験したわけではないのでハッキリとしたことは分からないが、恋人がいても来たくなる気持ちは分からなくもなかった。
 もっとも、その思いはこの待合室に来てからでなければ感じることのできない思い出はないかと後から感じたが、それが待合室という独特な雰囲気に身を置いたからなのかも知れない。
 というのは、待合室が初めてだという意識もあるが、それ以上にここで待っている連中が今の自分と同じ立場の人間であると分かっているにも関わらず、
――絶対に自分はこいつらとは違うんだ――
 と思いたかった。
 それが自分の中で矛盾となって生まれてきて、その矛盾をいかに正当化させるかということを考えるようになると、待合室で感じる、
「待っている間の緊張感」
 だけは、誰であっても同じだということで正当化を考えるようになった。
作品名:ふたりでひとり 作家名:森本晃次