ふたりでひとり
そんな中西が、結婚するという。相手はOLの女性だというが、誰もその人に遭ったことがなかった。
「そういえば、中西さんって、秘密めいたところが多いわね」
と、女性社員からも言われていた。
噂話などには聡い女性社員から、
「秘密めいた存在」
と言われる中西は、よほど普段から気にされていない存在だったのかも知れない。
営業は担当の作家のところに入り浸ることが多いので、事務所の女の子からはあまり知られていないことが多いのだろうが、それだけに噂話が少しでもあれば、その情報は自分たちで共有していることもあり、
「秘密めいた」
と誰か一人が言えば、それは全体の共有意識であることに相違なかった。
中西が結婚を決めた理由としては。
「そろそろ三十歳近くになるので」
ということであったが、中西に彼女がいるのを、事務所の誰も知らなかったようだ。
中西は容姿端麗で、出身大学も申し分のないところで、編集者という職業柄、少し忙しいこともあるが、それでも彼女がいてもおかしくはない状況であろう。
仲人は編集長に頼むことにした。
と言っても、大々的な結婚式を目論んでいるわけではない。結婚式としては一番小規模なものだという。その理由としては、彼女の方の招待客が極端に少ないからというのが理由のようだが、それでも結婚式を挙げたいと思ったのは、中西の優しさからではないだろうか。
「招待客はなるべく抑えたいと思いますので、申し訳ありませんが、そのおつもりでお願いします」
と言って、中西は編集長に仲人を頼んだのだった。
「よし分かった。小規模で行うことには何も言うことはない。それでいいのであれば、私が仲人を引き受けよう」
と言ってくれた。
この小規模な結婚式に対しても、事務所の女性たちから、
「秘密めいている」
と言われる要因にもなっていた。
ただ、中西も会社の中ではそれほど知り合いの多い方ではない。招待客を絞るのも、それほど難しいことではなかった。
ただ、人数合わせのために招待しなければいけない人がいないだけでもよかったと思っている。
「結婚式など、別に形だけでもいいんだ」
と中西は思っていた。
結婚する彼女も、別にこだわりがあるわけではない。
「私の方は家族だけのでも食事会でいいのよ」
と言っていたが、中西へ気を遣っているだけではなく、本心からそう思っているようにも思えた。
「僕もそれでいいと思うんだけど、僕は君を編集長や会社の人間に遭わせておきたいんだ」
と言った。
それを聞いて彼女の方は、一瞬何かを考えていたが、何かを思い立ったように顔を上げると、
「分かったわ。あなたの言うとおりにしましょう」
「ありがとう。助かったよ」
と中西は言ったが。この時のm
「助かったよ」
という言葉が何を意味しているのか、二人にしか分からないことであった。
そこには二人が結婚することでラブラブな人生が待っているという感じの会話があったわけではない。どこか形式的に会話が進んでいき、中西は二人の間で何がこれから待っているのか、この結婚が一つの節目だと思っている。
それは、一般的な儀式としての結婚という意味ではなく、もっと切実で、リアルなものである。
「結構は人生で最高の舞台」
という人もいるが、中西にとっては、
「舞台は出来上がっているわけではなく、自分たちで作るもの。そこにまわりを欺くという考えが挟まってしまうことは不本意な気がするけど、これで僕と君とがこれからも共同で事をなしていくことができるようにするための、そういう意味では儀式と言えるかも知れないね」
「ええ、中西さんが私を信頼してくれているのがよく分かるわ。それは信用という意識を超えた信頼であることが私には嬉しいの」
「そう言ってくれると僕も救われた気がするよ。僕は君に対して後ろめたい気持ちになっているのも事実なんだ。まるで君のこれから歩むであろう人生を僕のわがままで潰しているんじゃないかって思ってね」
「そんなことはないわ。あなたにはそれだけの才能があると思うの。私がその手助けをできるのであれば、こんなに嬉しいことはないわ」
と彼女は涙を流していた。
それを見た中西もホロっときて、自分も目頭が熱くなってくるのを感じていた。
「でも、中西さん。私が結婚式なんか挙げていいのかしら?」
と彼女はふと思い立ったようにそう言った。
「それを言われると、僕の方こそ恐縮してしまう。下手をすれば君を晒し者にするようなものだっていうことは分かっているんだ。そういう意味では、本当に君には申し訳ないと思っている」
と深々と頭を下げた中西だったが、
「何を言っているのよ、私はあなたのおかげでウエディングドレスが着れるのよ。本当に楽しいにしているんだから」
彼女はウエディングドレスにこだわっているようだ。
「そうだね、せっかく結婚式を挙げてもいいと君は言ってくれたんだ。できる限り、君には綺麗でいてほしいんだ。たっぷりと結婚式で、その綺麗な君を見せておくれ」
と中西が言う
「ええ、そうするわ。ありがとう、中西さんに出会わなければ、私、こんなに幸せな気分になんかなれなかったはずだから」
と言って、しおらしさを見せる彼女に対し、中西は少し現実に戻すように、真顔になった。
「ところで、君の方の親戚縁者なんだけど、そのことについてご家族の方は分かってくれているのかい?」
「ええ、両親は私がいいと言えばそれでいいと思ってくれているみたい。今まで散々心配させてきたのだから、私の方が気を遣わなければいけないのにね」
と彼女がいうと、
「それについても、申し訳ないと思っている。僕の方の都合があるからなんだが、君の親に対しての気を遣わなければいけない状況を分かっているのに、どうすることもできなくて、それが申し訳ないんだ」
と中西がいうと、
「何言っているのよ。それはお互い様というもの。私だってあなたの親に私のことでは欺かせるような形になったことを私も申し訳ないと思っているわ」
「これはお互いにこれから生きていくために必要なことなので、そういう意味で他の人たちの結婚式とは違っているのは、お互いに分かっていることだよね」
と中西がいうと、
「それはそうなんだけど」
と言って、少し頭を下げて考え込んでしまった彼女だった。
この二人が話をしているのは、結婚式を開催するホテルのレストランであった。この日は結婚式の打ち合わせのために、二人でブライダルサロンの方に赴いていたのだ。
結婚式を最小限の人数で行うには、会場は限られていた。ブライダルサロンのコンサルタントの人から、
「費用の面でのことですか?」
と聞かれ、二人はお互いの顔を見合わせて、それぞれ相手が納得しているのを理解したうえで、
「いいえ」
と中西が答えた。
もしそこで、
「じゃあ、どういう理由で?」
と聞かれたら、どう答えていいのかと思ったが、それ以上のことは聞かれなかったので、事なきを得たのだった。
――さすが、コンサルタントの人だ。よく分かっている――
と中西は感じた。
理由に関してはそれ以上何も聞かれず、最小限の披露宴を行うにはどうすればいいのか、話し合われた。