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ふたりでひとり

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 一般的に二重人格というのは自覚できるものだと思っていたので、「ジキルとハイド」的な性格は二重人格とは違うと言えるのではないだろうか。広い意味での二重人格であるが、狭い意味にしてしまうと、二重人格とは呼ばないような気がしていた。
 しかし、実際に調べてみると、二重人格と呼ばれるのは精神的な病気で、
「心に強いストレスを受けた時、自分の心を守るための防衛機制として、自分の中に自分ではないもう一人の人格を作ってしまうこと」
 それを二重人格と呼ぶのだという、正式には、
「解離性同一性障害」
 というのだそうで、そして重要なことは、
「もう一人の自分が出ている時には意識はなく、まったく別の人格として振る舞う」
 ということであり、「ジキルとハイド」的な二重人格を、本当の二重人格ということのようだ。
 要するに二重人格への入り口は、
「自己防衛」
 ということになる。
 ジキルとハイドの話も、確か薬を飲むことでもう一人の自分を作り出すことに成功したということだったような気がするが、それも自己防衛のなせる業だったのかも知れない。
 中西は、その二重人格につぃて調べた時、
――だったら、僕の性格は二重人格と言えるものではないんだろうな――
 と感じた。
 しかし、もう一つ気になることがあった。それは、
「自分が意識していないだけで、自分の知らないもう一人の自分を、まわりは知っているのかも知れない」
 という意識であった。
 自分にもジキルとハイドのような一面があって、自分だけが知らないもう一人の自分の存在をまわりの人皆が知っているという恐ろしい発想であった。この発想を確認するすべを中西は知らない。まわりの人に聞く勇気もないからだ。
 もし、聞いたとして何と聞けばいいんだ?
 自分が二重人格だったとしても、その性格が分かるわけではないので、自分が感じている性格をまわりの人皆が理解してくれていれば、自分ではない性格がどんなものなのかを分かり、その部分が、
「もう一人の自分」
 であるということを指摘してくれるであろうが、中西のことをそこまで完璧に分かっている人などいるはずもない。
 そんな中西だったが、
「ひょっとして、この人だったら、自分のことを分かってくれるかも知れない」
 と思う人がいた。
 それはちひろだった。
 彼女とはお店の中でしか会ったことがなく、関係は、
「客と嬢」
 というだけのもので、情を挟んではいけない相手だった。
 そのことは分かっていたはずなのに、彼女に見つめられると、急に何でも話してしまいそうになる衝動に駆られたのを思い出していた。
 そして、その思いに気が付いて、ハッとなった中西は、お店では聞いてはいけない女の子のプライベイトなことが気になって仕方がなくなっていた。
――もし、他の女の子だったら、こんな気分になることなどないんだけどな――
 と感じていた。
 中西はちひろに対して、
「今まで見知った女性とはどこか違う」
 と思うようになっていた。
 だが、それは完全な贔屓目であり、彼女を特別な人間だと思うことで、自分が風俗に通っているという思いを少しでも和らげようという自己防衛に対しての姑息な手段でしかないだろう。
 だが、ちひろの方はどうだろう? 中西のことを、
「どこにでもいる、普通のお客様」
 というだけで見ているのだろうか?
 これも誰にも聞くことができず、悶々とした気分になっていた。そんな自分を客観的に見るもう一人の自分がいて、
「何て情けないんだ」
 と蔑んでいるのが分かった。
 だが、中西はもう一人の自分の存在を意識することはできるが、もう一人の自分になりきることはできない。このもう一人の自分を、二重人格のもう一人だと言えるだろうか。もう一人の自分は、意識することができないはずだからである。

               加筆作家

 二重人格について意識し始めたことで、二重人格について調べてみた。二重人格という性格性が今の自分に影響を与えることができるとすれば、ひょっとすると、もう一人の自分には小説の才能があり、執筆をしていてもいいという証明になる。
 山下隆正という小説家の担当でありながら、実際に面と向かったことのない人が多い中、彼と出会う機会を得たのは、中西が最初であった。
 あれは、中西が出版社に入って二年が経った五月のことだった。出版社へファックスで、
「担当者の中西君になら、私は面会をしてもいい」
 という趣旨のものが送られてきた。
 送信先はコンビニだったので、その場所を特定することはできない。何しろ執筆にいろいろ飛び回っている先生だからだった。
 隆正も川上紹運と同じで、出版社にその素性は知られていなかった。さすらいとまでは行かないが、身勝手な性格から、きっと、極度の人見知りなのだと思われていたのだろう。実際に彼は担当者に遭うことをせず、作品だけを送ってくるというやり方で、
「さすが川上紹運が推すだけのことはある。山下隆正という小説家も実に変わった小説家だ」
 と言われていた。
 中西は最近編集長との話の中で、
「このところの山下先生の作風が少し変わってきたと思わないか?」
 と言われて、ドキッとしたのを覚えている。
 忘れようと思っても忘れることのできないほどのショックを覚えたのだが、そのショックの正体が正直よく分からなかった。
「ええ、確かにおっしゃる通りですね」
 と答えたが、何がどう変わったのか、説明が難しかったので、これ以上編集長の突っ込みはやめてほしいと思うばかりだった。
 隆正のことは編集部では中西からしか聞いたことがない。一度編集部の人が中西に黙って中西の後をつけたことがあったが、尾行されているのを察知してか、途中で巻かれてしまったという。
 編集長からの命令とはいえ、人を尾行するなど本当はしたくなったので、編集長には素直にまかれたことを話し、中西には何も言わなかった。
 実は中西もその時自分が尾行されていることは分かっていた。分かっていて気付かないふりをしていたのだが、相手が尾行が下手だったおかげで、うまく巻いたのだが、相手に対して、
「故意に巻いた」
 という意識をもたれなかった。
 尾行していた方としては、
「自分の尾行が下手なだけだったんだ」
 と思ったが。これは別に反省ではない。
 元々、尾行などという姑息なことが嫌いだったことで、成功しなかったことに安心感を抱いていた。
 中西としては、
「尾行するなら、もっとうまくやらければ」
 と苦笑していた。
 こんなに簡単にまくことができるなど、思ってもいなかったからである。
 ただ、もし今度は他の人に中西を尾行させたら、成功する可能性は高かっただろう。なぜなら、
「一度尾行に失敗しているから、二度とやらないだろう」
 という思いを中西の方で抱いていたからだ。
 中西の思惑に沿ってというわけではないが、編集長の方も、部下を尾行するなどということに理不尽さを覚えたのか、それとも、隆正の正体に対して脅威を失ったのか、尾行はやめたのだ。
 確かに、中西に任せておけば、隆正からの原稿は遅延することもなく、キチンと毎回の掲載に間に合っているのだ。
作品名:ふたりでひとり 作家名:森本晃次