ふたりでひとり
厳しく躾けられ、反発していた中西に、一度母親がそう言って諭したことがあったようだ。
中西は結局そのきっかけを見つけることができず、結果としてモノを捨てることができないまま大人になってしまったが、反発していたわりに、その言葉だけはしっかりと覚えている。
親の説教じみたことで反発したことはほとんど忘れてしまったのにである。
中西は性格的に一度反発を覚えると、なかなか相手を信用できない性格のようで、そういう意味で、親に対しては反発するという意識が粘着しているようだった。
だが、そんな中西だったが、この時の、
「きっかけ」
という言葉が気になっていた。
大学生の頃には、きっかけという言葉だけが頭の中にあって、どんな時にその言葉を聞いたのかという肝心な記憶は抜け落ちていた。ただ、「きっかけ」という言葉だけが独り歩きしているようだったが、考えてみれば、人生この「きっかけ」という言葉は、すべての面において通用する言葉でもあるのだ。
だが、大学に入り、シナリオを書くようになって、この時の母親のセリフが、
「整理整頓できずに、モノを捨てることのできない自分に対しての言葉だったのだ」
ということに改めて気付かされたのだった。
――ひょっとすると、このことを思い出したことがこの言葉の神髄である「きっかけ」に繋がっていくのかも知れない――
と思った。
それがシナリオを書くということだったのは、自分で目からうろこが落ちた気がした。
ただ、シナリオを無意識にであるが加算法だと思っていた中西には、それがきっかけになっているとは思えなかった。
――何かが足りない――
と思ったが、それが何か分からなかった。
絶えず小説との比較を意識していたくせに、減算法だという感覚もあったはずなのに、その発想にまで至らなかったのは。きっと自分の中でニアミスを犯しているという意識を持っていたからなのかも知れない。
ただそのニアミスがどこから来るおのなのか分からなかっただけで、分かっていれば、果たしてきっかけになったのかどうか分からないが、中西にとってこのニアミスが、
「交わることのない平行線」
であるということを意識していたのだろうか。
中西には、ちょうどこの頃から
「交わることのない平行線」
という意識は頭の中にあった。
ただ、漠然とであるが。この平行線というのは、矛盾を孕んでいるということを感じていたようだ。その矛盾がどこから来るものなのか、それが分かっていれば、もう少しでニアミスであることが分かったかも知れない。しかし、この平行線を意識しながら交わることのないということを、
「何かの結界がある」
ということを感じたからではないかと思うようになっていた。
この結界というのは、そばにあっても気づかないものだった。それはある天文学者が創造したと言われる、
「光を持たず、光を反射させることもなく、まわりに同化する星が存在している」
という発想を思わせた。
どんなに近づいてきても、その存在に気付かない。下手をすると、衝突して自分がこの世から消え去ってもまだ、その存在に気付かないかも知れない。まるで、
「いつまで私は生きられますか?:
という質問に対し、
「死ぬまで生きることができます」
と答えるようなものだ。
まるで禅問答のようで滑稽だが、これは聞く方も聞く方だという発想も成り立つのではないだろうか。
中西は、
「小説は減算法、シナリオは加算法だ」
とまるで対照的なことを言っているが、それ以外のことで比較すれば、そのどちらも、遠くから見れば実に近い存在である。近くであれば、お互いを意識することのない平行線であり、結界があることで向こうが見えないような状態なのかも知れないが、それは中西の意識の中で、
「それぞれ、自分の頭の中で共存できるものなのであろうか?」
という思いがあることを感じていた。
シナリオは大学時代に何とか書くことができた。サークル活動とはいえ、それなりに責任感を持ってやっていたし、それなりにうまくできた自負もあった。まわりの評価もそれなりで、
――酷評ばかりでなければいい――
という程度に思っていたので、その割には結構褒めてくれる人もいて、自分でそれなりの自信を持つことができた。
だが、ここで自信過剰になってはいけないという思いから、褒めてくれた内容をあまり鵜呑みにしないようにしようと思った。それは、自分の進路を出版社に決めたことで、
「いずれ小説を書いてみたい」
という目標は持っていたが、シナリオに関しては、今後書くことはないと感じたので、自分の中で封印しようと考えたのだ。
シナリオを封印するというのは、元々小説を書くためのワンステップに過ぎないという発想があったことから、さほど辛いことではなかった。
かといって小説をすぐに書き始めることができたのかというと、そうでもなかった。さすがに小説とシナリオというのがまったく性質の違うものだということを分かってい派いたので、着手するまでが難しかった。
絵を描き続けるという経験はないのだが、小学生や中学生の頃の美術の時間で、絵を描かなければいけなかった時、まず最初に考えたのは、
「筆をどこに堕としたらいいか?」
ということであった。
絵を描くというのは、プロではない自分であってもその難しさや、どうして描けないのかということについて考えたことがあったが、どうして描けないかということは、基本的に、
「何をどう描いていいのか分からない」
という漠然としたところから入った。
要するに、
「何が問題なのか分からないところが問題だ」
という、まるで禅問答のような発想であった。
何をどう描いていいのか分からなかったが、絵というものの本質については考えたことがあり、自分なりに答えを見つけてもいた。
「絵をいうのは、バランスと遠近感が根幹にある」
と考えた。
だから、絵筆を最初にどこに置いたらいいのかが分からないのだ。
この発想は、将棋や囲碁を打つ人から聞いた考えに似ていた。これは、テレビ番組での将棋のプロの人と、テレビ局のアナウンサーとの会話からのものであるが、
「将棋で、、一番隙のない布陣というのは、どんな布陣なのか分かりますか?」
と、将棋のプロがおもむろにアナウンサーに聞いた時、さすがにアナウンサーもハッキリと分からず、少しだけ考えていたが、
「いいえ、見当もつきません」
というと、将棋のプロの人がしたり顔になり、
「それはですね。最初に並べた布陣なんですよ。つまりは一手差すごとにそこに隙が生まれる」
「なるほど、そういうことなんですね」
中西はこの話を聞いた時、自分が小説に対して感じた思いを偶然その時にも感じていた。
つまりは減算法ということである。
絵画において、バランスと遠近感が大切であるということを感じたのは、ひょっとするとこの話を聞いた時だったのかも知れないが、自分の中でこの時系列はハッキリとしなかった。