ふたりでひとり
と思うことがあった。
何をやってもうまく行く気がせず、すべてがネガティブに考えられてしまうくせに、別の意識として、
――これ以上悪くなることはない――
という意識もあった。
それは自己防衛本能から感じることなのであろうが、実際に鬱状態ではそれ以上悪くなることはない。
つまりは、
「鬱状態という時ほど、本質をついているという時はない」
と言えるのではないだろうか。
躁鬱症というのは、鬱状態と躁状態が繰り返して訪れる場合と、単独で訪れる場合があるらしいが、中西の場合は単独だったということはない。
最初に躁鬱を感じた時、最初は鬱状態だったのだが、他の人がどちらが最初なのか人に聞いたことがないだけによく分からない。
躁鬱症になってから、最初は誰にも言っていなかったが、急に話しかけてきた人がいた。
あれは、高校の時だったようだった気がするが、まったく知らない人から急に声を掛けられたのだ。
「お兄さんは、躁鬱で悩んでいたりするの?」
話しかけてきたのは一人の女性だった。
年齢的には三十歳くらいだろうか。年上の女性の年齢ほど分からないものはないと思っていたが、やはり想像できるののではないと改めて感じた。
「私はカウンセラーなんだけど」
話しかけてきたのは、けがをして通院している病院でのことだった。だから、相手が医者か看護師であるかも知れないとは分かっていた気がする。
「カウンセラーってお医者さんなんですか?」
「精神的な医者と言ってもいいかも知れないわね」
「どうして僕が躁鬱だって分かったんですか?」
「ずっと下を向いて何かを考えているような気がしたんだけど、その考えがどこか上の空な気がしていたんですよ」
「躁鬱の人ってそうなんですか?」
「人それぞれなんでしょうけど、私にはそう見えた時、その人が躁鬱じゃないかって思うんです。きっと他の人との違いは、他の人は、まわりの人に躁鬱の人なんかいないという意識が強いと思うんですよね。だからいたとしても気付かなくても当然だって思うんでしょうけど、私の場合はまわりの人が皆躁鬱症だっていう意識を頭から持っているんです。だから、消去法のように感じてしまうんでしょうね」
「じゃあ、消去法で行って、僕は消去できなかったということなんでしょうか?」
「ええ、そういうことになるわね。でも、様子を診ているだけで私の思っている躁鬱症に合致していると言ってもいいんです。それがさっき言った私の言葉に繋がってくるんですよ」
その人はカウンセラーだと言いながら、何かをアドバイスをしてくれるわけではなかった。ただ、
「躁鬱状態は癖になるというべきか、それぞれを交互に繰り返すから、ある意味慣れてくるのかも知れないけど、でも、躁鬱症は自分の中にある内に秘めた考え方から生まれることが往々にしてあるから、そのことはしっかりと覚えておくといいわ」
と言っていた。
その話を最近まで忘れていた。しかし、今回、憔悴感から自己嫌悪に陥り、その後最終的に罪悪感を抱くようになる間に躁鬱状態への扉が開かれるなどという感覚を思い出したことで、その時の話を思い出していた。
――でもあの時、もう一つ何か言っていたような気がするんだけどな――
と感じた。
それが何であったのか、さっき思い出した時、一緒に思い出したはずだったのに、我に返って再度思い出そうとすると、また忘れてしまった。
――思い出したという感覚が間違いで、本当は意識していなかったんじゃないだろうか――
と錯覚とも思える感覚が頭をよぎった。
だが、あの時にカウンセラーの女の人が話していたことは、今から思えばまんざらでもない。まんざらでもないという思いがあったからこそ、忘れていたと思っていた記憶を呼び起こすことができたのだろう。
――この記憶って、封印していたものだったのだろうか?
と考えさせられた。
人間の頭脳には限界があり、意識することと、苦億することの両方を使うだけで、脳のすべてを凌駕してしまうのではないだろうか。だから、記憶に関しては封印という形かあるいは、思い出す必要のないことは忘れてしまうような構造になっているのだろう。
だが、
「脳というのは、全体の十パーセントくらいしか使っていない」
と言われているが、それは作用に使う部分のことなのか、それとも格納する部分を含めて十パーセントだというのだろうか。意識は作用に当たるものだとして、格納するのは記憶の部分ということであろう。意識をつかさどる作用の部分は、ギリギリの百パーセントを最初から維持しておかなければいけないと思うようになっていた。
だが、記憶をつかさどる格納部分は、百パーセントの器はあったとしても、格納された大きさによって、大きさが変わるのではないかと思った。作用の部分は、まわりが固く、実際に使われている部分は表から見えるわけではなく、大きさは変わらない。その分格納部分は伸縮自在で、記憶という格納量によって、大きさを変化させることで、身体とのバランスを保っているのかも知れない。
かといって、身体の大きいからと言って、たくさんの記憶を格納できるというわけではない。いくら限りがあるとはいえ、少々の記憶を格納するくらい、小さな身体でも十分のことである。そのことで不公平がないということは、想像がつくのだった。
その時の先生の顔がなぜか思い出せない。覚えようという気がなかったのも事実だし、あおの時は、
「もう二度と会うことはないだろう」
という確信めいたものがあったからだ。
一度会った人に対して、
「二度と会うことはない」
と感じるというのは、今までにないことだった。
――もし、今何かにビックリするとすれば、あの時の先生に遭った時かも知れない――
と感じた。
顔は確かに覚えていないのだが、ひょっとすると顔を見ると、思い出せるのではないだろうか。
ちひろと会うのもこれが何度目であろうか、さすがに一か月に一度くらいの割合で行くようになったが、それが多いペースなのかどうなのか分からない。
「いやいや、一月に一度というのは、行き過ぎじゃないか?」
と先輩から言われたが、中西にとっては他にお金をあまり使うことはないので、貯めておいてその時に使うという意識で、生活に困ることもなかった。
だが、さすがに毎月行くようになると、飽きが来たというわけではないが、少しずつ自分が店に行くことを遠ざけるようになった気がした。
その思いというのが、
「急に罪悪感が強くなってきたからだ」
と思うようになっていた。
この罪悪感は、まわりが見ても感じる罪悪感ではあったが、今の中西が感じている罪悪感は、他の人に関わるものではないような気がして。それよりも自分の中だけで感じている罪悪感が強くなってきているのを感じた。
そのせいで、罪悪感の前の自己嫌悪が大きくなってきていて、憔悴感がより一層大きなものとなるのだった。
憔悴感の大きさが、足を遠ざけている一番の理由だった。
――快感の反動をもろに受ける感じがした――
と言ってもいいだろう。