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ふたりでひとり

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「ええ、他で似たようなことを感じたことはなかったわ。でも私なりにその答えを用意している気はしているんですけどね」
 と言って笑った。
 その笑いを見た時、
「僕にも実はその答えがここにあるのはあるんだよ」
 と言って頭を指差して微笑んだ。
「私は時間の感覚が影響しているんじゃないかって思ったの。それに気づいたのはもちろんその日一日が終わってからのことなんだけどね。狭く感じたその時って、一人一人と相手している時間は結構長く感じられたんだけど、一日全体を思うと、あっという間に過ぎたような気がしたのよね」
 と女の子がいうと、中西も興奮して、
「そうそう、その通りなんだ。僕も同じようなことを考えていたんだけど、どうやら君の方がもっと具体的に説明できるようだね。きっと感性が優れているからなのかな?」
 中西は本心からそう思った。
 小説を書くようになってから、何が一番変わったのかと聞かれたら、
「感性というものが分かるようになったことかも知れない」
 と答えたに違いないが、それ以上に、
「感性というのは、意識と記憶の間にあるものだ」
 という思いが根底にあったような気がする。
 これも意識と記憶との関係は、一種の時系列に支配されているように思うのだが。その二つの関係から時系列という観念を除いたその時に見えてくるものが、感性なのではないかと思うようになっていた。
 感性というのは、本能に近いものであるが、意識も記憶もどちらも本能によって司られていると思っていた。だが、意識と記憶とでは記憶になってしまうと、本能から離れてしまい、ギリギリ見える範囲にいるくらいではないだろうか。ただ、逆に記憶が本能からギリギリで見えているのは、
「感性というものが途中にあるからではないか?」
 と思うようになっていた。
 記憶や意識が感性とどのような関連性を持っているか、一口には説明できないが、そこに本能というものが介在してくると、口で説明できないまでも、自分を納得させることができるくらいにはなるのではないかと思うようになった。
 このお部屋の広さと時間の関係はまったく関連性がないように思えるが、感性という意識を持つことで、今度は感性が本能を呼び起こし、関連付けてくれるのではないかと、中西は感じていた。
 この娘がそこまで感じているかどうか分からなかったが、少なくとも中西と似たような感性を持っているのではないかと思うと、感無量な気がしてきた。
 彼女は、源氏名をちひろと言った。この名前は小学生の頃の同級生においたのが、その子とは雰囲気は違っていた。しかし、最初に指名する時、その子のことが頭をよぎったのは間違いない。もちろん名前だけで選んだわけではなかったが、写真から連想される雰囲気に、清楚さを感じたからだった。
 少しポッチャリ系のその女の子は、中西にとっては包容力を感じさせ、そのあどけなさから母親のような包容力を感じるのだ。
 最初の時から比べれば、少し印象が変わったかも知れない。それは彼女の雰囲気が変わったというよりも、中西の方で彼女に対しての印象が変わったというべきであろう。部屋を狭く感じるようになったのは、そんなちひろに対しての印象の変化から来たのではないかと思った。
 最初にこの部屋に来た時のことを思い出していた。正直、それほど詳細に覚えているわけではない、初めての風俗、彼女でもない女の子と時間をお金で買うという行為に、別に罪悪感のようなものを感じるほど、自分が偽善者ではないと思っていた。
――お金で女の子を買うのが罪だなんて思っているくせに、店には来るなんて、そんなのは偽善でしかない――
 と思う。
 そんな偽善者にはなりたくなかった。
 あれは中学時代だっただろうか。友達に持病を持っているやつがいて。数人で仲間を形成していたが、そのことを自分だけが知らなかった。どうやらわざと知らせなかったようなのだが、それを知らない中西は、皆での下校の途中で発作を起こしたその友達にビックリした。
「どうしたんだい?」
 まわりは落ち着いて、どこかに電話したり、彼のカバンから薬を取り出していた。
 その態度があまりにもテキパキしていて会話もないことから、
――まるで感情のない機械がやっていることのようだ――
 と感じたくらいだ。
 あたふたと慌てる中西を後目にテキパキしている二人から置いて行かれた気がした中西は、落ち着いてくると次第に二人に苛立ちを覚えてくるようになった。
 それはそうだ。二人は自分の知らないことを知っていて、そのことを誰も教えてくれようとしない。そのことに苛立っていた。
 薬を飲むと発作は落ち着いたようで、念のために救急車が呼ばれたが、担架で載せられた本人と一緒に、二人も乗り込んだ。さすがに三人は乗れないということで、自分だけが取り残されたことも苛立ちを爆発させる原因となった。
 こんなに面白くないことはなかった。その場にいながら、何もできずに自分だけが蚊帳の外、しかも、あとの二人は介抱に必死だったとはいえ、自分に対して何も言おうとしない。
 翌日、二人が自分にちゃんと説明して謝罪くらいしてくれるだろうと思っていたが、それすらなかった。伝え聞いた話で、やっと友達の持病が、
「過去の小児麻痺から来る癲癇」
 であることが分かったのだ。
 何も言わなかった二人に対してだけ苛立ちを持っただけではなく、癲癇を起こした本人にさえ恨むようになっていた。そんな風に思うと、今度はクラスのみんなや先生でさえ自分の敵に思えてくる。
 教室が急に広くなったような気がした。皆が遠くに離れて行く官学があるのに、少しでも近づいてくると、その人から攻撃を受けるような感覚にさえなった。一種の被害妄想のようなものだろう。
 苛めに発展することはなかったが、気が付いてみるt、自分のまわりに誰もいないということを思い知らされた気がした。友達だと思っていたあの三人には、もう友達としての意識はない。そんな心変わりをした中西に対して、その三人が話しかけてくれることもなく、結局友達関係はそのまま破局へと向かった。
 その頃から、まわりに対しての見方がまったく変わってしまった。被害妄想が理由なのだろうが、何をやっても面白くない。何かをすること自体、億劫で面倒くさく感じられる。そんな毎日を過ごしていると、身体に何か変調を覚えるようになった。
 一番の変調は、目であった。
 教室の広さは前述の通りだが、どんなに日が差そうとも、明るさを感じない。人が話していても、唇の動きと聞こえてくる声が一致しない。そのうちに理由は分からないが、
「何かが違う」
 と思うようになり、その理由が分かったのが、一週間ほど経ってからのことだった。
 気が付けばこの違いがどこから来るものなのかを考えていたが、その理由が分かったのは偶然だったのかも知れない。
 ずっと考えているつもりでも、ふっと気を抜くことがある。その間隙をついて感じたことなのだが、
「影がない」
 人の足元を見ると、差し込んでくる日差しを受けて、影が伸びているものだが、よく見ると、その影を見ることができなかった。
――他の人も?
 と思い、他の人の足元も見てみたが、影を感じることができなかった。
作品名:ふたりでひとり 作家名:森本晃次