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短編集83(過去作品)

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 カウンターがメインで、奥に二つほどテーブルがある店であるが、迷わずカウンターに腰掛けた。
――和子はこういう店にいつも好んで入りたがっていたな――
 と思いながら座ると、思わず店内を見渡していた。
――まるで隣に和子が座っているようだ――
 と感じたが、もう一人誰かいるような気配を感じたからだ。何となく息遣いのようなものを感じたが、気のせいに違いない。だが、頭だけは納得していないのだ。
 有名な夏みかんジュースを注文し、店内を見渡していたが、よく見ると、雑記長があるのを見つけた。旅行者が寄せ書きのように使うもので、昔からある風習だ。ノートもすう札に分かれていて、かなり以前からあるのが伺えた。
 思わず手にとって見てみる。最近から過去に向かって眺めてるのも楽しいものだ。不特定多数の人が見ることを見越して呼びかけている人、恋人同士で訪れていて、思い出になる言葉をお互いに書き連ねる人。またここに来て後で読み返してみた人が何人いることだろう。ほとんどいないことは想像がつく。
――自分だったらどんなことを書いただろう――
 学生時代であれば、これを見る人へのメッセージのようなものを書いたに違いない。だが、若い時に一人旅をしていて、雑記帳を気にするだろうか? 気にしても書き込むことはないように思う。書き込むとすれば、旅行で誰かと知り合って、雑記帳を見ていれば書きたくなるかも知れない。一人であれば書きたいなどと思わないだろう。まず何を書いていいか分からない。
 雑記帳をペラペラめくる音が静かな店内に響き渡っている。和豊自身には不快な音に聞こえないが、店の人はどうだろう? 店内ではアルバイトだろうか、一人の女の子が黙々と洗い物をしている。赤いエプロンが似合っている。
 さすがに昼間は観光客で多かったかも知れないが、夜の帳の下りたこの時間はなかなか客もいない。入ってくる時に無意識に見た営業時間の書かれた看板には、確か午後八時までと出ていたはずだ。
 時計を見れば、そろそろ七時、店の方としても、ほとんどラストに近い客だと思っていることだろう。
 表があまりにも暗いので、店内が明るすぎるくらいである。夜に喫茶店に入ることは今までにも日常茶飯事のことだったが、これほど表のことについて考えたことはない。それだけ、室内にいると、いつも行っている喫茶店と比べて違和感がないように感じる。
――赤いエプロンが似合っているな――
 時々行く喫茶店の女の子も赤いエプロンが似合っていた。赤いエプロンの女性には特別な思いがある。和子が赤が好きだったからだ。当然エプロンの色も赤で、時々台所に立っている姿を見ていたが、本当に赤が似合う女性だった。
 服は赤が似合うというよりも、スカートの赤が似合う方だった。上はアイボリーやベージュのカーディガンなどが似合っていて、一緒に写っている写真もそういう服装が多かった。
 彼女の服装センスは、和豊が見てドキッとさせられるほどである。自分自身の服装センスを最悪だと思っている和豊にとって、和子のセンスは羨ましくもあり、軽い嫉妬心が浮かぶほどだった。
――他の人は和子のセンスをどう見ているのだろう――
 どうせなら服装センスのよさを感じているのは自分だけであってほしかった。だが、他の人から見て、
――素敵な女性だ――
 といわせるような女性と付き合っているということに優越感を味わいたくもある。かといって独占欲が人一倍強いと思っている和豊は実に複雑な気分になっていた。
 今目の前で下を向きながら一生懸命に洗い物をしている女の子に和子の若い頃を見ているようだ。
――自分と知り合う前の和子はどんな女性だったんだろう――
 以前に、学生時代のアルバムを見せてもらったことがあった。目立つことなく、いつも端の方にいる女性、それが和子である。
「私って石ころのような存在に憧れていたから、そんな女性になりたいって感じていた頃ね」
「石ころに憧れるなんて変だよ」
 思わず答えた。
「そうね、確かに変ね。でも本当にそう思っていたのよ。誰にも気にされずに、束縛されずに行動できる。石ころって、皆に見えているのに、意識されないのよ。見られているのよ」
 声のトーンが上がってきているのに、お互い気づかなかったが、さすがに息が切れてきたことに気づいた和子は下を向いて黙りこんでしまった。
「でも、何だか分かる気がするな」
 本当に分かったかどうかは別にして、彼女の様子を見ていると、石ころという言葉がやたら気になってしまい、そう答えてしまった自分の罪の意識を徐々に消していくのだ。
――罪? 自分に何の罪があるというのだろう?
 漠然と考えてしまった。
 和子はまわりから見て存在感は十分にある女性だ。自分の意志にかかわらず、目立ってしまうことが本人には嫌だったのだろう。
 和豊は逆だった。目立ちたいと思ってみても目立つことができない。目立ちたいと普段から思っていて、時々無性に目立っている人を羨ましく思うのだ。
 小さい頃は主役に憧れるような少年だった。それがいつしか、自分に主役は無理だと思うようになった。舞台に上がれればそれでいいような気持ちになったのは、妥協という言葉を覚えてからかも知れない。
――妥協――
 決していい響きの言葉ではない。だが、ここまで生きてきた中で、必要不可欠だったことは間違いないだろう。
 とすれば望むのはまわりから与えられるもの。素敵な女性の出現を待ちわびるようになったのも無理のないことだ。
 しかしそれも寂しいものだ。自分が変わらないのに、まわりに素敵な人がいてもいいのだろうか?
――いや、素敵な人が現れることで自分も変われるのだ――
 そう考えることで、和豊は自分の存在感を維持してきたように思う。
 和子の出現は間違いなく和豊を変えた。
 何をどう変えたのかハッキリと分からない。変えたというよりも元から潜在していたいいところを引き出してくれたように思える。一緒にいる時は分からなかったが、離れてみると分かるような気がするのだ。それを発見しようと思ったのも今回の旅の目的でもあった。
 雑記帳をめくっていた手が一瞬止まった。
――おや――
 そこには殴り書きであるが、まさしく見知った字で書かれていた。ちょうど半年前、和子が萩にやってきたと言っていた頃のページである。そう、和子の書置きである。
「私の最愛の人がこのページを見てくれることを願います」
 最初にそう書かれている。
 内容は数行の詩になっていて、そこには和子の気持ちが書かれている。一番気になったのは、最後の一行で、
「私は石ころになります」
 ということだった。
 途中までは結婚することへの希望、そして少しの不安について書かれていたが、最後の一行は明らかに気持ちに変化があったように思えてならない。
――この石ころって何だろう?
作品名:短編集83(過去作品) 作家名:森本晃次