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短編集83(過去作品)

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 男女関係について疎い方である真崎でも、そう感じるくらいなので、かなり異質なカップルである。何しろ寄り添ってはいるが、一言も声を発せず、息遣いだけが聞こえる。それはお互いを意識してのことなのか、緊張しているように思えてならない。
――そこまで身体を摺り寄せていながら、心は一体どこにあるというのだろう?
 真崎はそう感じずにはいられなかった。
 そういえば、まともに二人の顔を見ていない。お互いに寄り添うようにしているせいか、暗い影のようなものが顔に宿っていて、ハッキリと顔の雰囲気や表情を垣間見たわけではない。状況からの判断で、勝手にどんな顔かどんな表情かを後から想像しているのだ。
 だから、今までに自分の知っている顔がその対象になってくる。それもよく知っている顔であってはならない。
――どこかで少しだけ見た――
 そんな感じの顔でなければならないのだ。それだけ自分の知っている人の中には二人のような人はおらず、それだけ真崎にとって違和感がある二人だった。
 真崎にとって違和感はあるが、その場の雰囲気には浸透している。シチュエーションにはピッタリの二人なのだ。
 真崎はそんな二人を横目に見ながら少し表に出てみた。最初感じていたよりそれほど寒くはない。このあたりは自然の温泉が出ているので、場所によっては暖かいのかも知れない。
 少し歩くとゴーゴーと何かの叩きつけるような音がした。一瞬にしてそれが滝であることを悟った真崎は、身体の奥から心底寒気を感じた。だが、行ってみたい衝動の方が強く、気がつけば歩き始めていた。足が勝手に滝の方へと向いていたと言った方が正解だろう。歩き始めるとそこから先は寒さを感じないから不思議だった。
 一人で朝っぱらから行くなんて考えられないことだが、却って誰かと一緒ではない方が気が楽だった。寒かったらすぐに帰ってくればいいのだ。もし他に誰かいれば、なかなか帰ろうとは言い出しにくい性格だからである。
 吸い込まれそうな風が襲ってくる。耳の感覚が麻痺してしまうほどの轟音に、さらなる風の強さを感じるのだろう。普通に立っていられないほどの風が頬に当たって痛かったのも事実だ。
 ベンチに座って見ていると、初めて来たような気がしなかった。以前に来たことのあるような気がして、その時は隣に誰かがいたようで、気を遣っていたのだけは覚えている。相手が女性であることは間違いないが、相手が誰だったのか、一体その場所がどこだったのかなど、記憶を紐解いているが見当たらない。今まで付き合った女性と滝を見に行ったなどという記憶もないし、今思い出している記憶には何か胸騒ぎのようなものを感じるのだ。
――道に迷って滝にたどり着いたような気がする――
 そこまで分かっても、そこから先が思い出せないのも不思議なものだ。トラウマを背負っているからこそ思い出せないのかも知れない。相手の女性がどこの誰で、今何をしているのか、思い出そうとすればするほど気になるのに思い出せない。
――本当にここにいたのは私だったのだろうか?
 男女二人がその場所にいるのを、どこかからか垣間見ていた。相手は自分に気付かない。気付いているのに気付かないふりをしているのかと思ったが、一度振り返ったのに、視線は真崎の正面で止まることはなかった。
 見えているのに見えないふりをしているのならば、視線は一旦止まるはずだ。だから、相手の男には自分が見えていない。
 真崎も相手の顔を確認できなかった。
 相手の顔が確認できないとなると余計に気になるもので、被害妄想の原因が相手の表情を読み取れないところにあるのだということを再認識させられた。大学時代の方が今に比べると、却って被害妄想が強かったように思える。先が見えない不安と期待を胸に、どちらかというと不安の方が大きかっただろう。それだけに、
――妥協をしてはいけないんだ――
 という思いが強かった。今、ここで妥協すれば、社会に出て妥協の許されないところで困るのは自分だと感じていたからである。
 だが実際には違っていた。杓子定規に考えていたのだが、それだけでは回らない。機転を利かせることも必要だし、臨機応変にしておかないと、まわりは海千山千の連中ばかり、そんな中で立ち回っていくためには、多少の妥協もいるのだ。
 真崎は算数が好きだった。数学になって嫌いになったのだが、それは算数が規則正しく並んでいるものに対して、臨機応変に対処する学問だからだ。答えは一つなのだが、それを導き出すためにいくつもの手法がある。それを考えることが好きなのだ。ある意味遊び感覚でできる学問、遊びがそのまま余裕に繋がってくることを分かっていたのだろう。
 そんな真崎の学生時代はまさしく算数の世界。規則正しい中に、遊び心を散りばめる。だから冒険をすることはなかったし、自分の範疇の中で、いろいろな試行錯誤があるのだ。まわりから見れば杓子定規な真面目なタイプに見られることだろう。そんな見られ方を真崎は好まなかった。
 被害妄想がトラウマに変わってしまうことは真崎だけの問題ではない。まわりからどう見られているかという感覚は社会人になれば学生時代の比ではない。
 学生と社会に出てからの違いは、
「がんばっています」
 では済まされないことであろう。いくら一生懸命にやっていても結果がついてこなければ何も実を結ばない。学生時代に教えてくれなかったことだし、分からなくても困らなかった。勉強すれば結果はついてくる学生時代。成績が悪ければ、
――もっと勉強しておけばよかった――
 と答えは一つなのだ。だが、社会に出ればそうは言ってられない。どこが悪いのか、自分で見つけていかなければならない世界なのだ。最近電車の中などで何を考えているか分からないような学生をよく見かけるが、自分の昔を棚に上げて、何とも言えずに腹が立ってくるのだ。
――社会人になってからの私は変わったのだろうか?
 時々真崎は考える。
 自分が変わってしまったのか、それともまわりの変化に順応しきれないでいるのか、どちらもなのかも知れない。変わらなければ生きて行けない世界に足を踏み入れてしまったとも考えられるし、変わらなかったからこそ、苦しい思いをしているとも言える。元々強情で、自分の意志を貫くところのある真崎は、無意識に自分がまわりの変化に順応することを嫌う性格であることに気付いている。
 学生時代からいつも誰かに見られているような意識があるのは、被害妄想からなのだろうか? ふっと気付いてまわりを見ると、そんな時に限ってまわりには誰もいない。人ごみの中で誰かが自分を見つめていることに気付くことは稀で、ないとは言えないのだが、ほとんどが、誰もいないようなところで視線を感じるのだ。
 もし真崎が誰かを見つめるとすれば、それは人ごみの中から見つめているに違いない。なぜかというと、誰もいないところで見つめていれば、相手に気付かれることが分かるからだ。だから、人ごみの中で見つめられているとしても気付かないものだと思い込んでいるところもあるので、実は絶えず見られていて気付いていないだけなのかも知れない。
 しかし実際にそんなことが可能だろうか?
作品名:短編集83(過去作品) 作家名:森本晃次