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短編集83(過去作品)

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 真面目そうに見える女性をずっと観察していた。なぜか気になるのだ。大声で喋っていて目立っているように見える三人だったが、よく見ていると実際楽しそうにおしゃべりしているのは、あとの二人で、彼女はずっと下を向いていて静かなものである。下を向いているというよりもどこか一点を見つめていると言った方が正解だ。カッと見開いたその目は、いったいどこを見つめているというのだろう。
――どこかで見たことあるような気がするんだよな――
 自分に問いかけてみるがどうしても思い出せない。どのようなシチュエーションだったかなどはまったく記憶になく、ただ見たという思いだけが存在する。
 しばらくすると着いた駅で学生がドッと降りていった。そこは学生の街として有名で、大学から付属幼稚園まで一貫教育の学園があったからだ。名門としても有名で、実際に芸術家なども輩出しているところだった。
 車でだったが、真崎も何度か駅前に来たことがあった。最近では少なくなった喫茶店もここの駅前にはいくつか点在している。
――さすが学生の街――
 車を運転しながら思ったものだ。
 その時は駅前の喫茶店で取引先の人と待ち合わせ、朝ごはんを食べるところから始まった。
「私はいつもここでモーニングサービスを食べながら仕事をするんですよ。なかなか気分が違っていいでしょう?」
 相手の営業は、パッと見たところ普通のサラリーマンに違いないのだが、自分なりのこだわりを持っているようである。セールスマンたるもの、皆と同じではいけないと思っているからか、個性の強い人を相手にするのはあまり得意ではない。
――これが営業ではなく友達としてなら最高なんだけども――
 と思わないでもなかった。いや、いつも感じていることだ。
 十月くらいのことだったので、ごく最近のことだ。その頃といえば、急に寒くなり、午前中でも息が白くなってしまうくらいの時期がある。その日もそんな時だった。
 白くなった息を感じながら駐車場に車を止め、背中を丸めるように待ち合わせの喫茶店の前まで来ると、香ばしいコーヒーの香りが中から漏れてくる。中で香りが充満していることはすぐに分かった。
 案の定、中を開けると香ばしい香りが吹き出してくるようだった。湿気を含んだ暖かい香りのために一瞬中が湯気で見えなくなりそうな錯覚に陥るくらいだった。まず目の前に飛び込んできたのが木目調のカウンターで、一番手前に小さな観葉植物が置かれていて、コーヒーの香りを含んだ湿気で、葉っぱがきらきら光っているように見える。
 店内はさすがに十時頃という時間のためか、客はまばらだった。もう少し早ければ却って多かったかも知れない。中途半端な時間なのだろう。真崎は待ち合わせ相手を探してみた。
 前に一度会ったことはあるのだが、あまり顔を覚えるのが苦手な真崎は相手を見つけることができるか不安だった。いつも、
――見つけてほしい――
 と思っていて、実際相手に見つけてもらうことが多かった。その日もテーブルの奥の方から手を振っている人が見えなければ見つけることができたかどうか、疑わしいものだ。
 ニコニコ微笑んでいるその顔はまさしく取引先のバイヤー。バイヤーというと、会社のジャンパーを着ているという雰囲気があったが、さらにラフな格好をしている。ネクタイは絞めているが、少し茶色掛かった髪に革ジャンと、どう見てもバイヤーに見えないいでたちである。
 だがよく見ると笑顔の似合う人である。サングラスでもしていれば笑みを浮かべることもないだろうが、素顔を見ている限り、真崎は笑顔でいられる。近づくにつれハッキリしてくる顔には、満面の笑みが浮かんでいた。
 その日は営業というよりも顔見世に近い形だったので、喫茶店にしたのだ。気分も楽になれるし、相手バイヤーもしばし仕事の手を休めて他愛もない世間話に話を咲かせている。
「どうだい? ここはいいだろう。私はここで仕事をするのが好きなんだ」
 現在は携帯電話も普及しているので、会社にいる必要もない。会社の近くにさえいれば電話が入っても早急に手が打てる。便利な世の中になったものだ。
「いいところですね。秘密の隠れ家のようなものですか?」
「なかなかいい表現だね。そう、ここは私の隠れ家なんだよ。普段の私と本当の私が二人存在するとするなら、ここでは二人の私がいるって感じだね。それほど居心地がいいんだよ」
「私もそんな隠れ家を持ちたいものですね。羨ましいですよ」
 と心にもないことを言った。なぜかって、真崎にも同じような思いになれる「隠れ家」があるからである。
 目を瞑って思い出してみる。初めてその場所に足を踏み入れたのは、半年前だった。
 バイヤーのように、仕事を持ってそこに行くことはない。隠れ家はあくまでもプライベートな場所なのだ。もっとも仕事を持っていったとしても、資料をカバンから出して開くことなどない。
 その店は、ここよりもさらにレトロな雰囲気を醸し出していて、同じようにコーヒーの香りが充満している。最初この店に入った時に感じたホッとした気分、それは隠れ家に帰ってきたような懐かしさを感じたからだ。
 隠れ家にはガラス細工がいっぱい置かれている。マスターの趣味らしく、ステンドクラスのようなグラスがワイングラスと同じくらいに置かれている。お冷用に用意しているようで、レモンの香りのするお冷に黄色く光るグラスはいかにも柑橘系を感じさせ、コーヒーの香りに合っていた。
 隠れ家を思い出しながら雑談をしていると、その日仕事が終わってから寄ってみたい衝動に駆られたのも当然というものだろう。
「おっと、もうこんな時間だ」
 気がつけば時計の針は昼過ぎになっていた。まわりを見ると、昼食に寄った学生で人が増えてきている。カウンターはすでにいっぱいになっていて、テーブルも半分が埋まっていた。
 席を立とうとまわりを見渡すと、
――おや?
 どこかで見たような人がいるではないか。それは来る時に見た男性一人に女性二人のカップルのうちの二人がいたのだ。今度は男性一人に女性一人のペアで、これが本当なのに朝の二対一のカップルを見ているからだろうか、何となく違和感を感じる。しかも、一緒にいるのが、髪が黒い、どこから見ても普通の女の子だった。
 カップルとしては異質なのだろうが、却って二人がいることを納得できている自分が不思議だった。
 二人はテーブルに乗り出すように話をしている。人に聞こえない蚊の鳴くような声で話している姿はやはり異質に違いない。声を押し殺して話しているのだが、却ってその方が気になってしまい、思わず聞き耳を立ててしまう。もちろん聞こえるはずもなく、二人は身を乗り出して話しているにもかかわらず、しっかりとまわりにも気をつけている。聞こえないようにしながら、まわりの人の態度を気にしているのだ。
 いかり肩のように肩を竦めている男に対し、女性の方がある程度落ち着いているように見える。あまりキョロキョロとした視線を送っているわけでもなく、オドオドしていない。男の方がオドオドしているが、細部にまで気をつけている様子はさすがと言えるほどに見える。
作品名:短編集83(過去作品) 作家名:森本晃次