短編集83(過去作品)
といって照れていたが、図書館に勤めるための特殊な資格を持っていると先生から聞かされたことはあった。ひょっとして先生よりも偉いのかも知れない。それをひけらかさないところが彼女の魅力なのだろう。
顔が赤くなっていくのが分かる。図書館にいる時の平群は正真正銘の中学生で、普段の自分を想像できないほどであった。だが、本人はあくまで普段が本当に自分だと思っていて、逆にこのギャップを楽しんでいるところもあった。
平群はそんな自分をひた隠しに隠してきた。誰にもバレないように図書館へ行き、幸い自分のことを気にするようなやつがいないことを分かっているので、堂々と入ることができる。そんな時に石ころのように気配を消すことのできる自分の性格をよかったと思うのだ。
だが、そんな平群のことを誰よりも気にしている人が、図書館での彼の行動を悟っていたなど誰が知っていただろう。しかも平群自身、あまり気にしていない人物だけに分かるはずもなかった。平群のことを気にしている人は気付かれてもいいつもりで気にしているのに、気付かないというのも皮肉なものだ。案外、世の中なんてそんなものなのかも知れない。
その人物とは星野のことだ。他の人に
――平群は星野にとって呪縛だ――
と言わせただけに、星野自身もかなり意識していたことだろう。
かくいう星野も図書室の女性のことが気になっていた。星野自身は、自分が品行方正な性格だと思っているため、一人の女性を気にするということはあまりなかった。なぜなのか自分でも分からなかったが、平群を意識する故のことだと思いたくなかった。
心の中では、
――平群を意識するから気になるというのは彼女に失礼だ――
と思いながらも、一人の女性も気にしたことがない自分は、まだウブなのだとしか思えないところも嫌だった。
――もしこれが平群だったら――
と思わないでもない。やつだったら、
「それが俺の生き方だ」
と胸を張って言えるだろう。そんな彼の性格が手に取るように分かるのも複雑な気持ちである。人の気持ちが分かるのは、それだけまわりのことを理解しているからだと思っていたが、平群に関してはまったく逆だ。じっと見つめる先しか見えていないことでも相手を分かるというのはいいことなのだろうか?
星野の目下の関心ごとは、平群が自分の見つめる目に気付いているかということである。気付いている上での行動なのか、それとも自分の生き方をあくまでも貫いているだけなのか、知りたかった。
平群が図書館に勤めている女性、名前を水谷淑恵というが、彼女を意識し始めたのは、死んだ母親に似ていることが最大の理由だろう。平群自身、マザーコンプレックスだとは思っていないが、淑恵を見ていて安心感を感じることから、母親のような存在だという意識でいる。だが、淑恵を見ていて自分の母親のことを同時に思い出そうとするとまず思い出すことができない。自分の頭の中ではまったくの別人なのだ。
星野にとっての淑恵はどうなのだろう? 確かに気になる女性であることに違いはないが、そこまで強い意識を持っているわけではない。
――もし平群という存在がなければ、彼女をここまで意識することなどないだろう――
普段から清楚な淑恵に惹かれているのは、きっと二人だけではないだろう。学校がいくら共学で、育ちざかりの女性ばかりとはいえ、所詮はまだ子供である。確かに男性に比べれば同じ歳でも発育は早いだろうが、大人の色香を醸し出すまでに至っているわけではない。
星野も図書館に入ると、大平原を思い浮かべることがあった。もちろん、お互いに同じように大平原を思い浮かべることを知っているわけではないし、まさか同じことを考えているなど、想像もしないだろう。
それだけ図書館には同じイメージを持たせるだけの力があるのだろう。同じイメージを違う人が持つということは同じ感性もさることながら、同じイメージを持たせるだけの強さがなければありえることではない。そこに淑恵という女性のイメージがついてくることは否定できない。
淑恵にとって、二人はどのように写っているだろう。平群に対して放しかけたことはあるが、星野に対しては話しかけたことがない。淑恵の意識の強いのは、平群の方ではないだろうか?
「あの子、弟に似ているのよ」
男性司書官に話したことがあるが、
「君の弟は確か?」
「ええ、そうなの。事故で……」
「あれはかなり大きな事故だったようだね」
「ええ、でも即死だっただろうから、苦しまなかったことが幸いだったのかも知れませんね」
そう言って、少し頭を下げた。
あれは高速道路での玉突き事故だった。かなりの事故で、新聞にも載ったのだが、スキー客を乗せたバスが、早朝の凍結した高速道路を走行中に、大型トラックを中心とした事故に巻き込まれたのだ。
原因はアイスバーンによるスリップと、トラック運転手の居眠り運転とされた。トラック会社には当然捜査が入り、刑事事件に発展していたが、だからといって弟が戻ってくるわけではない。その時に少しだけ淑恵の性格も変わったかも知れない。
それまではくだらないことでも、場の雰囲気が盛り上がるのであればどんどん話していて、まわりからは、
「彼女って目立つ性格よね。中心にいたいのかしら?」
と言われていた。実際にその意識はあっただろう。ただ、顔には出していなかったのだが、それだけに十分目立っていたことだろう。
男性にも人気があり、そんな女性は女性からも意識されてしかるべきである。
しかし、弟の事故があってから、彼女は少し目立つことをしなくなった。言葉を選ぶようになったし、まわりの人の目を気にするようになった。それをまわりの人は、
「弟が死んだんだから当たり前か」
「そうね。少し自粛しだしたのかもね」
と噂したものだが、本人の意識は少し違う。
元々、冷静なところがある女性だったが、まわりに合わせようという意識が強かった。それだけに少し浮いたように見え、まわりからは無理しているように見えたかも知れない。
女性が冷静になれば男性よりもその態度は顕著に現れる。
警戒心が強くなるからだろうか? 男性というものを意識し始めるからだろうか。淑恵の場合は、今までまわりにいる男性を意識するとすれば弟だった。他の男性を男性としてというよりも普通に意識もしていなかった。それだけに、
「彼女って男性恐怖症なんじゃない?」
って言われたこともあったが、
「いやいや、恐怖症という感じはないわね。それより、意識していないんじゃないの?」
どちらかというと、男嫌いに見られていたようだ。
実際にはそちらの方が意識としては強かったのかも知れない。いつも一緒にいるのは女性とばかりであった。それもほとんどが団体行動である。それ以外は一人の時が多かったようだ。
淑恵の弟は、どちらかというと暗い方だった。だが、それは人から見てそう思うだけであって、本人に意識はない。
――わが道を行く――
そんな言葉がピッタリの青年だ。弟のこととなると、普段冷静な淑恵が急にムキになって怒り出すことを皆不思議に思っていた。
淑恵に彼氏がいないことを誰が信じるだろう。おどけた様子で、
「彼氏なんていないわよ」
作品名:短編集83(過去作品) 作家名:森本晃次